夕暮れに銀の星 04
悪の代名詞たるエカルラート家が治めるその領地は、諸悪の根源が渦巻く無法地帯。
というわけではない。
道なりにずらりと並んだ露店や屋台。そのカラフルな天幕と屋根の色が、平凡な町並みを豊かに彩る。そこで客を呼び込む商人たちや、行き交う人々の賑やかな声。大人たちの間を器用に駆け回る子供たちは、皆明るく快活だ。
今、リリアーナたちの目の前には、生き生きとした市場が広がっている。
「これがこの国のお金。今日は実際の使い方と、この辺の物価について教えるね」
サングラスを指先で持ち上げて、リリアーナは自分と同じく質素なローブを頭から被るイオを見上げた。こくりと頷いた拍子にフードから銀色の髪が少しこぼれ、陽の光が透く。
今日も良い天気だ。
エカルラート家の領地は豊かだ。
長い歴史の中で築いた影響力と、赤い瞳が持つ特殊な力。それらを利用して、この一族は莫大な財を築いてきた。
そして、支配する民が富んでいなければ、支配する意味さえない、というのがこの領地の運営指針である。
なにより、この領地内でよからぬことを企み、あまつさえ実行に移した者は、徹底的に潰され、惨たらしく晒し上げられる。
皮肉な話、エカルラート家という圧倒的な悪が、その他の悪の抑止力になっているのだ。
「必要悪だなんて、思いたくないんだけどね」
リリアーナはお手本に屋台で買ってみせた果実をかじる。シャク、と良い音がして、爽やかな酸味が口の中に広がった。
「抗わなければ、平穏でいられるのなら。私みたいに、楽な方を選ぶ人は多い」
「ご主人さまは、お優しいですから」
「そんなんじゃないよ。はいこれお金持って。あそこで売ってる飲み物買ってきて。私はここで待ってるね」
あわわとお財布を受け取ったその背中を押す。道脇に積まれていた荷に腰掛けて、リリアーナははじめてのお使いに挑むイオを見守った。
「ふふ、がんばれ」
店の女性に熱い視線を向けられ、何やら話しかけられ続けている。どれほど野暮ったい服装をさせていても、顔の良さに気づかれればああなる。その容姿に見合わない控えめな態度も、さぞ魅力的に見えるだろう。
後ろに並んでいた女性にまでイオが声をかけられた所で、リリアーナにも声がかけられた。
「おい小娘、どこに座ってるんだ。どけ」
こちらはあまり穏やかじゃない。
「ごめんなさい」
リリアーナは素直に謝りひらりと降りる。
「どこの商会の荷物だと思っている。万が一、中の物が壊れていたら弁償してもらうからな」
「あいわかったわ」
毅然とした態度を崩さないリリアーナに、身なりからして商人と思しき男性は不愉快そうに鼻を鳴らす。
「口では何とでも言える。保護者はどこだ? ……身なりからして、商家の娘といったところか。商会名を言え」
リリアーナは吹き出してしまった。この男、商人として大切な人を見る目がない。
「何笑ってんだ。言っとくが、俺は女子供だろうと容赦しないからな」
こめかみに青筋を立てた男が、リリアーナに手を伸ばす。
「暴力はだめよ。商人なら、言葉で戦わなきゃ」
その手を避けずに、リリアーナは嗜める。
「お前、あんまり調子に乗ってると痛い目みせるぞ」
「あら、たとえばどんな?」
その太い腕に胸元を掴み上げられ、つま先が浮いた。リリアーナは憐れみの目で男を見る。
「おいあんた、やめておやりよ。その子、目が不自由なんだよ。見てわかるだろう」
「どうせそうやって甘やかされて育てられたんだろう。見ろ、この大人を舐め腐った態度。俺はな、社会の厳しさってやつを教えてやってるのさ」
通りすがりの老人の言葉を、男は鼻を鳴らして一笑する。
そして躊躇なく振り下ろされた平手を、リリアーナは無言で叩き払った。
何が起きたか男が頭で理解する前に、胸元を掴む腕に自分の腕を絡め、そのまま関節を捻る。
「うおっ!?」
驚きの声と同時に離された手の、その手首を掴む。
くるりと身を翻し、地面に倒れた男の背中を踏みつけた。
「いだだだだだ! 離せ! おい! 俺を誰だと思ってるんだ!」
「うーん、誰?」
ぎゃんぎゃんと元気よく吠えるその耳元に、リリアーナはそっと囁く。
「……ねぇ、ここね、このまま私が足を踏み抜いたら、どうなると思う?」
肩の関節を踏みつけている足に力を込めると、男は急に大人しくなった。思ったよりは賢いらしい。
「大切な商品の上に勝手に座った事は謝るわ。でもその横柄な態度と、独断制裁は良くない。それが許されるのは、それを受ける覚悟がある者だけ。あなたにその覚悟はあった?」
不穏な空気を感じ取った周囲が、ざわざわと騒がしくなりはじめる。
あまり目立ちたくはなかったのに、とリリアーナは溜息をついた。
その雑多な声の中で、一際大きな声が上がる。
「ご主人さま! 大丈夫ですか?!」
この声に、人々はひき潮のように引いていく。
とどめに、駆け寄ってきたイオのフードが風にあおられて取れた。
顔が良い従僕を侍らせることを一種のステータスにしているのは、ほとんどが上流階級だ。
そして日和見主義の多いこの町の住人は、賢い者ほど貴人とは関わりたがらない。
遠巻きに様子を伺っていた視線さえも消え、皆々が足早にその場から去っていく。
「ん、あれ、なんで一つしか買ってこなかったの?」
「ええっ?」
「あぁ確かに、イオの分も、とは言わなかったもんね。いいよ、半分こしよう」
「い、いえ、僕は試飲でたくさん頂いたので、もういりません」
ふは、とリリアーナは笑った。
「たくさん飲まされちゃったんだ。一番美味しかったやつ選んできてくれたのかな?」
はい、と小さく答える姿がいじらしい。リリアーナは自分の足元で身じろぎ一つしなくなった男の存在を、一瞬忘れた。




