宵闇と明星 20
地下牢には窓がない。
石壁は湿っており、床にもところどころ水が溜まっている。天井から落ちた雫が石床を打ち、一定ではない間隔で音を立てていた。
燭台の光は弱く、牢の奥はほとんど暗闇に沈んでいる。
その中央に、地下牢には不釣り合いなほど立派な寝台が置かれている。
リリアーナはその上に横たわっていた。
何をされても身じろぎひとつしない。
食事を運んでも、自ら口を開くことはない。水を含ませても、目を覚ますことはない。当然、呼びかけにも反応しない。
生存に必要な最低限の魔術だけが、絶えずその身体に流されている。
呼吸はある。脈もある。
しかし、その体はあまりにも冷たかった。
「……もって、あとひと月でしょう」
「なんとかしろ」
「もう手の施しようがありません。以前もお伝えしましたが、生きる意思を持たない者を、医者は救うことができません」
「では救える者を探し出せ」
白衣を着た男は静かに首を横に振る。
「今の彼女を救える者がいるとすれば、それは彼女が生きたいと思う理由になり得る方でなければいけません。私はただの医者です。彼女の慕う方を存じ上げません」
相対しているもう一人の男は、舌打ちをする。
普段、感情を表に出さない彼が苛立つ姿は珍しい。
「……もういい。出ていけ」
男の言葉に医者は丁寧に頭を下げ、牢を出ていった。
足音が遠ざかり、やがて消える。
男は、寝台の上で眠り続けるリリアーナの頬に触れた。
黒い手袋に包まれた指先に伝わるのは、その柔らかさだけ。
「……つまらない。簡単には壊れてくれるなと、言ったはずだぞ」
返事は返ってこない。
男はゆっくりとリリアーナの身体に近づいた。
その胸元に耳を当てる。
小さく、けれど確かに聞こえてくる規則正しい音。
男は赤い瞳を閉じ、ただその心音に耳を傾けていた。
枕元に置いた灯りの揺らめきが、伏せられた青い瞳に映り込む。赤と青が溶け込んで、きらきらして綺麗だった。
「それでね、結婚式に呼ばれたその王さまは、二人を祝福したのよ」
「……え? どうして? 王女さまのことが、とっても好きだったんでしょう? 実の娘だという禁忌を犯してまで求婚したのに、どうして認めたの?」
「まぁ、リリちゃんったら難しい言葉を覚えちゃって。そうね……時間が経って、好きの形が変わっていったのかもしれないわ。相手の幸せを願う、愛の形になったのよ」
「うーん。納得できない……」
「もしくは王子がとんでもないイケメンだったのよ。王はオジサンだったから、こりゃかなわねぇわって引き下がったの」
「あぁ、なるほど」
「うーん、これで納得するのね」
ふふ、と吐息を漏らして笑うその顔は、慈しみに溢れている。
「愛はまだ、わたしには難しいわ」
「……そうね。私にも、難しかったもの」
「むずかしかった? 今はもう、簡単なの?」
「ええ。リリアーナ、あなたが生まれてきてくれたから」
真綿のような愛情に包まれて。
「どうかあなたが、これからたくさんの人に愛されますように。どうかあなたが、これからたくさんの人を愛せますように」
柔らかくて、温かくて、嬉しくて。
「どんなに悲しいことがあっても、笑っていなさい。嘘はね、貫けば真となるの。胸を張って生きるのよ。ママはいつでも、いつまでも、あなたの幸せを願っているわ」
あぁ、苦しくなるくらい、幸せな頃の夢。
ねぇ、かあさま。リリも、かあさまと同じ所に、いけるかな。
うーん、きっと、いけないね。
でもね、リリ、がんばったよ。
だからね。ちょっとでいいからね。
昔みたいに、手を繋いで一緒に眠って欲しいの。
まだね。一人で眠るのは、ちょっとだけ怖いから。
「置いていかないで」
切なくて、哀しい慟哭が聞こえた。
「一人にしないで」
本当は、そう言って泣き叫びたかった。
今、代わりに泣いてくれているのは誰だろう。
三章おわりです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この物語はラブコメですよ。この物語は、ラブコメです。
お気軽にお楽しみいただければと思います。




