第28話 料理人たちの祭典と紛れ込んだ龍王
受付会場――氷の宮殿の大広間。
透き通る柱は淡く光を反射し、床の氷石は鏡のように人影を映していた。
その光景を一言で表すなら、幻想的だった。
「わあ……」
クロノが小さく声を漏らす。
会場の至る所に、料理人たちが集まっていた。
白衣に身を包んだ宮廷料理人。
精巧な菓子箱を抱える菓子職人。
見たこともない香辛料の袋を積み上げた異国の料理人。
空気には、蜂蜜菓子の甘い香りと焼きたての生地の香ばしさが漂っている。
会場のあちこちで、料理談義が飛び交っている。
「今年は精霊蜜が使えるらしいぞ」
「本当か? それなら果実タルトに」
「いや、氷糖菓子の方が合うだろう」
この場所には、料理界の天才たちが集まっていた。
まさに、料理人たちの祭典。
料理界の頂点と呼ばれる『真っ当な天才』たちが、腕を競う場所。
その中に混じる“異物”が、会場の空気を鋭利な刃物のように変えていた。
「……ねえ、クロノさん」
隣に立つリゼットが、そっとクロノの袖をつまんだ。
その指先が、わずかに震えている。
「どうした?」
クロノはきょとんとした顔で振り返る。
「……あそこを見て」
リゼットは小さく顎をしゃくった。
クロノがその方向へ視線を向ける。
人混みの中。
料理人たちが談笑する中。
明らかに空気の違う存在が――
「……あれ、絶対に料理をする人じゃないよね」
リゼットが小声で言う。
そこにいたのは、燃えるような紅い髪の男。
肩まで流れる髪は炎のように揺れ、黄金の瞳が鋭く周囲を見据えている。
背は高い。
周囲の料理人たちより頭二つ高い。
そして何より、体格が異様だった。
厚い肩。
隆起した腕。
服の上からでも分かる、明らかに鍛え抜かれた肉体。
むしろ、その身に纏う威圧感は、猛獣。
そう表現するのが一番しっくりくる。
料理人の空気ではない。
明らかに――
戦闘を生業にする者の気配。
周囲の料理人たちも、無意識に距離を取っている。
誰も近づこうとしない。
まるで、そこに危険な魔物でもいるかのように。
「確かに、料理人っぽくはないね」
クロノがのんびり言う。
「でしょ!?」
リゼットが勢いよく頷いた。
「どう見ても戦士とか傭兵とか、そういう感じよ!?」
「うーん」
クロノは顎に手を当てて観察する。
「包丁より剣の方が似合いそうだ」
「でしょ!?」
「むしろ包丁持ったら凶器になりそう」
「それただの凶器よ!」
リゼットが小声でツッコむ。
その間も、紅髪の男は腕を組み、微動だにせず立っていた。
周囲のざわめきなど気にも留めない。
ただ、静かに受付の方を見つめている。
まるで戦場で獲物を待つ獣のように。
「でもさ」
クロノはふと首を傾げた。
「なに?」
「料理大会なんだし、料理人じゃない人が来る理由あるかな?」
その時――
フィーナが、くすっと笑った。
「残念だけど」
二人が振り向く。
「この大会、料理人“だけ”が参加するとは限らないのよ」
「え?」
クロノが目を瞬かせた。
「どういうこと?」
フィーナは軽く肩をすくめる。
「簡単な話よ」
そして、紅髪の男をちらりと見た。
「《零華の蜜》がそれほど魅力なの!」
その男が、受付カウンターの前に立つ。
受付係がにこやかに言った。
「お名前をお願いします」
「イグニール」
男は短く答える。
「イグニール様ですね」
受付係が羊皮紙にさらさらと書き込む。
「職業は?」
(……職業)
空を焼き、山を砕き、国すら滅ぼす存在。
数千年、畏怖され続けてきた名だ。
龍王イグニールは腕を組み、ほんの一瞬だけ悩んだ。
受付嬢の視線がこちらを見ている。
羽ペンが、職業欄の上で止まっていた。
後ろには料理人たちの列。
沈黙。
「……王だ」
イグニールは、堂々と答えた。
受付係はペンを止めた。
「……王、ですか?」
「そうだ」
イグニールは腕を組んだまま言う。
「王であり、支配者であり、頂点だ」
「は、はあ……」
受付係は少し困った顔をしながらも、結局書き込んだ。
「職業:王、と」
横で見ていた別の受付係が小声で囁く。
「多分……料理王とかそういう感じでは?」
「なるほど……」
「ありがとうございます。ではいくつか確認事項を」
「これまでの料理歴をお聞きしても?」
「数千年だ」
受付係のペンが止まる。
「……数千年?」
「我は長命なのでな」
「……なるほど」
(全然なるほどじゃない)
受付嬢は慣れた手つきで羽ペンを動かしながら、次の質問を口にした。
「では次に、過去に料理大会での受賞歴はありますか?」
その言葉に、龍王イグニールはわずかに目を細めた。
(受賞歴……だと)
数千年の記憶が、ゆっくりと脳裏をよぎる。
古代王国を焼き払った戦争。
天空都市を炎で崩した戦い。
大陸最強の魔獣王との死闘。
数えきれないほどの勝利。
しかし、料理大会。
その分野は、さすがの龍王でも数が少なかった。
「……ありませんか?」
受付嬢は首を傾げた。
「ある」
イグニールはゆっくり腕を組み、堂々と胸を張った。
「あるんだ……」
リゼットが横で小さく呟く。
クロノとフィーネも興味深そうに耳を傾ける。
そして龍王は、威厳に満ちた声で語り始めた。
「まず。火山竜族 甘味宴 会場破壊優勝」
指を一本立てる。
「優勝なの!?」
リゼットが思わずツッコんだ。
イグニールは気にしない。
二本目の指を立てる。
「炎龍族 極甘競技 優勝」
「へえ……すごい大会なんですね」
受付嬢がメモを取りながら頷く。
三本目の指を立てる。
「古代龍王会議 酒品評戦 全会一致最優秀賞」
「お酒の大会よそれ!」
フィーネがツッコんだ。
その後も、受付嬢の質問は淡々と続いた。
まるで日常業務の一部のように、慣れた調子で次々と確認していく。
「魔法調理の使用予定はありますか?」
龍王イグニールは一瞬だけ考えた。
(魔法……)
国一つを火の海に変える龍王の業火。
彼はゆっすらと顎を引き、堂々と答える。
「ある」
「どのような魔法でしょう?」
受付嬢が羽ペンを構える。
「龍王炎」
イグニールは誇らしげに言った。
「りゅ、龍王炎……?」
周囲の料理人たちが一斉に振り向いた。
ざわつく会場。
だが受付嬢は慣れた顔で書き込む。
火属性高出力……と。
そして最後の質問をする。
「優勝賞品《零華の蜜》を目指す覚悟はありますか?」
その瞬間。
イグニールの黄金の瞳が、わずかに細くなる。
空気がほんの少しだけ張り詰めた。
「当然だ。その蜜は、龍王たる我が得るべきものだ」
低く、揺るぎない声。
近くにいた料理人が、なぜか背筋を正した。
受付係は笑顔を崩さない。
「なお、不味い料理には“氷像の栄誉”が与えられます。問題ありませんね?」
慣れた調子で次の説明を続けた。
「氷像?」
イグニールは眉をひそめる。
「はい。不出来な料理を提出した参加者は、“氷の彫像”として会場に展示されます」
「展示!?」
近くの料理人が思わず声を上げた。
「大会の名物です」
受付係はにこやかに補足する
「くだらんな」
黄金の瞳が静かに光る。
そして、胸を張り――
「我が料理を不味いと言える者など、この世に存在せぬ。龍の甘味、その真価、思い知るがいい」
その声に、周囲の料理人たちがざわめいた。
「すごい自信だ……」
「どこの料理人だ?」
「龍の甘味って何だ……?」
しかし受付係はまったく動じない。
淡々と羊皮紙をまとめ、羽ペンを置いた。
「……参加登録、完了です」
その瞬間。
龍王イグニールは正式に料理大会の参加者となった。
なお――
数人の料理人は、この時点で静かに帰るかどうか悩み始めていた。




