第21話 究極の布陣、完成
雲海を切り裂き、白銀の翼が朝日を弾く。
その背に立つ青年――クロノは、頬に当たる風を気持ちよさそうに受けながら、前方を指さした。
「見えてきたよ。ほら、あそこ」
雲が晴れた瞬間、姿を現したのは
王国屈指の景勝地――
七色の断崖。
朝焼けに照らされた断崖は、岩肌が虹色にきらめき、眼下には田園と川が絵画のように広がっている。
「うん、やっぱりここだね。この見晴らしの中で食べるのが一番うまいんだよ」
クロノがひょいと天馬から飛び降りると、そこでのんびりピクニックを楽しんでいた冒険者や観光客たちの時が止まった。
「……おい、嘘だろ。今、空から降りてきたのって、お伽話の『銀翼の天馬』だよな?」
「待て、その横! 霧を纏ったライオン……いや、あれは伝説の『ミストキマイラ』じゃないか! なんであんな化け物が二体も同時に!?」
周囲がパニックに陥りかける中、伝説の魔獣たちはクロノの指示に従って、甲斐甲斐しく動き始める。
『ヒヒィン!(絶景でございます、ご主人様!)』
銀翼の天馬が誇らしげに鳴き、隣を飛ぶ霧を纏った巨獣――ミストキマイラが低く唸る。
『本日の朝餉に相応しい聖域。微風すら整えましょう』
「うん、お願い。風はちょっとだけ柔らかめで」
巨岩がふわりと持ち上がり、音もなく設置される。
霧がカーテンのように広がり、まるで野外レストランの特等席が完成した。
その様子を、周囲の冒険者たちは口をあんぐりと開けて眺めることしかできなかった。
彼らの目には、伝説を顎で使うクロノが、正体不明の超・大物に映っていた。
冒険者たちは思った。
(あれ、俺たち今……世界の歴史的瞬間を見てないか?)
だがクロノは、そんな空気もどこ吹く風。
「よし、セッティング完了!」
クロノは用意された岩のテーブルに、これまでの旅で集めた『至宝』を丁寧に並べていく。
黄金色に焼き上げられたパン。
翡翠のように輝くジャム。
ぷるりと震える温泉卵。
そして琥珀色の湯気を立てる一杯の黒茶。
香りが広がった瞬間、周囲の空気が変わった。
「な、なんだこの匂い……」
「胃袋が……理性を突破してくる……!」
「完璧な布陣だ」
クロノは満足げにうなずく。
クロノがパンにジャムを塗り、温泉卵を添えようとしたその時。
「ちょっと待ったぁ!そんな目の毒なもん、一人で食べようなんて許さないよ!」
背後から響く軽快な声。
振り返ると、そこにはひらひらと手を振る情報屋、フィーナ・ライムが立っていた。
「フィーナ? なんでここに」
「商売の匂いがしたからに決まってるでしょ! っていうか何その魔獣セット!? あんた、実は魔王軍の総帥か何かなのさ……」
「やってないよ?」
さらりと否定しながら、クロノは黒茶を一杯差し出す。
フィーナは呆れ顔を見せつつも、ちゃっかりクロノの隣を陣取り、
フィーナが一口飲んだ瞬間。
「……は?」
目を見開いたまま、固まった。
「なにこれ。舌の上で夜明けが起きたんだけど」
クロノが淹れた『幻の黒茶』の神々しい香りに誘われるように、周囲の旅人たちもふらふらと吸い寄せられてきた。
「おい、兄ちゃん……そのパン、一口でいいから分けてくれないか? 代わりに俺の持ってる最高級の燻製肉を出すから!」
「私は村から持ってきたばかりの新鮮なヤギのミルクを出すわ!」
「干し果実三種盛りだ!」
一人が声を上げると、堰を切ったように物々交換の提案が始まる。
「あはは、いいですよ。せっかくの絶景だし、みんなでお祭り騒ぎにした方が美味しそう」
クロノは笑った。
断崖の上は、瞬く間に熱狂的な宴の場となった。
クロノが黄金麦のパンを切り分け、みんなに配り歩く。
そこに乗せられた翠玉ジャムと温泉卵のハーモニーに、屈強な戦士が一口かじる。
「……あ。俺……このために剣を振ってきたのかもしれん……」
目尻から涙。
別の冒険者は空を仰ぎながら呟く。
「母ちゃん……ごめん……俺、帰るよ……」
クロノもまた、自分が完成させた究極の一口を噛み締めた。
パンの香ばしさ、ジャムの爽やかさ、卵の濃厚な旨味。
そこに旅人たちの持ち寄った食材が加わり、味の層は無限に広がっていく。
「……あぁ、幸せだ」
クロノが心からの至福に浸り、ふにゃりと表情を緩めたその瞬間。
彼の体から、黄金色の光がふわりと溢れた。
無意識に漏れ出た【影の力】。
それは攻撃ではなく、ただ『この幸せを壊したくない』という純粋な願い。
その波動に飲み込まれたのは、岩陰でクロノの首(賞金)を狙っていた凄腕である暗殺者ハルトや、勇者から派遣された不機嫌な調査兵たちだった。
「……。俺、なんでこんな殺気立ってたんだっけ?」
「争いなんて虚しいよな。俺……故郷に帰って、花屋になるよ」
調査兵も膝をつく。
「花屋、いいな……」
「パン屋も悪くない……」
殺意は瞬時に浄化され、至る所で重い鎧を脱ぎ捨て、寝転んで空を仰ぐ者たちが続出する。
誰もが戦うのが馬鹿らしくなったと、憑き物が落ちたような顔になった。
断崖は、完全な無抵抗地帯になった。
クロノは気づいていない。
自分が、局地的に世界平和を発生させたことを。
宴が落ち着いた頃、フィーナが真剣な眼差しでクロノを呼び止めた。
「ねぇ、クロノ。あんたの持ってるその『幻の黒茶』……一袋、私に譲ってくれない?」
「いいけど、これ手に入れるの結構大変だったんだよ?」
「わかってるって。……ほら、金貨5枚。これでどう?」
「金貨5枚!?」
周囲の冒険者たちがどよめく。
だが、その価値があることをフィーナの舌が証明していた。
クロノは笑って袋を渡す。
「毎度あり。ミストくんが丁寧に一芯二葉で摘んでくれたやつだから、最高だよ」
クロノが快く手渡すと、フィーナはさらにニヤリと笑って続けた。
「いい取引だった。あたし、対価を払わない主義の連中は大嫌いなんだよね。……だから、これはおまけの情報さ」
「情報?」
「街道の三叉路に、大きな折れた松の木があるでしょ? あそこに、たまに『はぐれ行商人』が出るんだ。
銀貨を投げれば、本来は王宮に卸すはずの最高級の『発酵バター』を横流ししてもらえるよ」
「発酵バター、かぁ。パンケーキに合わせたら、香りが一段と引き立ちそうだ」
クロノの目が、少年のようにキラキラと輝いた。
翌朝。
「ふわぁ……。よく寝たぁ」
朝日を浴びて、呑気に欠伸をするクロノに、彼女は快活に声をかける。
「おはよー! いい朝だね、クロノ!」
「あ、フィーナ。おはよう。よく眠れた?」
「もちろん! あたし、いい取引をした後はぐっすり眠れるタチなんだよね。……そうだ、お礼に『とっておきの情報』を教えてあげるよ
……あんた、次は甘いものを狙ってるんでしょ? 北の『甘味の聖地』シュガーベル。そこに、美味しい蜂蜜があるって話だよ」
「蜂蜜?」
「その名も――『氷晶のハチミツ』」
「氷晶のハチミツ……。パンケーキにかけたら最高だろうなぁ」
クロノの目が輝いた。
満足げに腹をさするクロノの傍らでは、銀翼の天馬とミストキマイラが「次はどんな美味を食らえるのですか!」と言わんばかりに鼻息を荒くして寄ってくる。
『次なる美味を求めて!』
「シュガーベルを目指そう!」
こうして無自覚に世界の一部を浄化した青年は、
再び伝説級の魔獣を従え、旅立つ。
後に残ったのは、断崖に広がる幸福の余韻と――
「伝説の美食家が現れたらしい」という、噂だけだった。




