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俺の部屋にアザラシがいる

 あれから一ヶ月。少しリアル世界は暖かくなってきた。

 世間の真っ当な人たちは進学に就職、新しい生活が始まった。

 だが俺は……俺たちはいつもと変わらない。だってダメ人間だから。

 だけどそんな俺たちにも少しだけ変化があった。

 ピルルルと電子音で携帯端末がメッセージの受信を知らせた。

 俺は「またかよ」とため息をついた。


『ジュース取って!』


 メッセージは傍若無人。しかも冷蔵庫の近くにはメッセージの送り主のアザラシが漫画を見ながら寝そべっている。

 なお、ここは現実世界である。

 二つの西瓜をつけたアザラシは当然のように葵。足をパタパタしている。

 ……なぜだ? なぜ葵は俺の部屋でくつろいでいるのだろうか?

 俺は冷蔵庫からジュースを取り出し葵に渡す。

 すると、もう一度メッセージが来る。


『お昼なんにする? 今日は私が買ってこようか?』


「葵ちゃん……直接しゃべれ」


「からあげ弁当」


「はいはい駅前の店ね。あとで一緒に……って違う! 年頃の女の子がおっさんの部屋に入り浸っちゃ、だめー!」


「らめぇ? くっころ?」


「オークに捕らわれたエルフが……って違うわ! 葵ちゃん。よく部屋を見て」


 そう。俺の部屋は葵に侵略されたのだ。

 部屋にはいるかの人をだめにするクッションをはじめとして、さまざまなかわいいクッションが置かれている。

 俺のではない。葵のものだ。

 据え置きのゲーム機はマイコントローラー。充電器の近くには携帯ゲーム機。

 そしてVR機までも俺の部屋に持ち込んでいる。

 少女になつかれて……というのはエロ漫画あるあるシチュエーションだ。だが……日々ダメ人間になっていく気がする。

 だ、だめだ。居心地がよすぎて人生終了まで爆走している!

 葵は「うーん」と考えている。


「でも……誰かとご飯食べるの……楽しいです」


 あれ……論破された?

 反論がどこからも出てこないぞ。


「まあ、たしかに楽しいけどさ。いやそうじゃなくて! 芹沢さんがいるじゃない」


「セリナは昼夜が完全に逆転してる……です。ごはんはゼリーばかり」


 予想以上に剛の者だった。ボトラーの可能性すら考えられる。引きこもりレベルが高すぎるぜ……。

 するとメッセージの着信が入る。


『つうかセリナセリナって、セリナ狙ってんのか! この性欲ビースト!』


「なにを言ってやがりますかね? なんでも恋愛に結びつけるんじゃねえ、この恋愛脳!」


『お、おう。狙ってないのか。狙ってないんだな! てめえコラ! まったくこちらは金髪幼女だぞ! 欲情の一つもしやがれー!』


 するかボケ。


「ちげえっての! つうかお前の中の人はそこのアザラシだろが! だいたいさ、なんなのナターシャって!? 西川口のロシアンバーなの? バカなの? ねえバカなの!?」


『言ったな! 言いやがったな! お前な、ツルペタ金髪ロシア系幼女になりきるとか人類の夢だろが! 肩こらねえし、シャツのサイズはあるし、下着どこでも売ってるし! なによりかわいい!』


「お前の肩こりは運動不足が原因じゃい!」


『き、貴様! 誰がデブじゃ! 誰がデブじゃああああああああああッ!』


「んなこと一言も言ってねえ! 運動不足だって言ってんの! お前、駅前の弁当屋まで歩いて一日の運動終わりだろが!」


『ウキーッ! じゃあいいもん! 運動するもん! 俺……痩せたらツルペタの金髪幼女になるんだ』


「DNAレベルで改変が必要じゃね?」


『まずは駅前の弁当屋でからあげ弁当買うぞ!』


「……太るぞ」


 俺の余計な一言で、ぷうっと葵がふくれた。そのまま涙目でポコポコと叩いてくる。


「突然の暴力だと!」


「からあげ大盛り。テイクアウトじゃないお店」


 ふくれた葵はポコポコと叩き続ける。

 わかった! わかったから!

 つうかマジで太るぞ!


「お嬢さま、おごらせていただきます……チェーン店でよければ」


「はーい。行こ♪」


 もはやペアルックと化したジャージ姿で駅前の定食屋へ行く。

 食券を買って待つこと数分、唐揚げ定食と大盛り唐揚げ定食が運ばれてくる。

 あざらしはハムスターと化して大盛りを口に放り込む。ニコニコ顔で。

 俺も食べる。うまい。外はカラッと中はジューシー。

 つい一ヶ月前はなにを食べても味がしない、まるで砂を食べているようだった。だけど今は味がわかる。美味しい。

 精神状態は改善しているようだ。これも葵に振り回されたからだろうか。それとも8月32日になにか癒やしの効果があるのだろうか。

 葵に感謝せねばならない。……のかもしれない。


「葵……ありがとう」


 もぐもぐと唐揚げを噛んでいた葵の顔が真っ赤になった。

 またもやメッセージ。困ったらメッセージで話すクセ直そうぜ。


『おっぱい狙い……か?』


「違う。お前本当は自分の姿に自信を持っているだろ?」


『違う! それは断じて違う! 小さくてかわいい。これ正義! わかるか貴様……実家の暗い廊下を歩いているとき、鏡に映った自分の姿を見て腰を抜かした私の気持ちが……以来、夜中に風呂入ったら部屋中の電気は全部オンだ! このボケ!』


「それ髪型が原因だよね! 花火のときにちゃんと切ったよね! そのあともちゃんとケアしてるよね」


『甘いわ! 全身固形石けんでちゃんと枝毛だらけになっておるわ!』


 なんだか髪がボサボサしていると思ったら、そんな暴挙に出ていたのか!


「やーめーてー! 自分を大切にしてー!」


 貴様は米の国の兵士か!


「かわいいのに……」


「ふえッ!」


 ぼそっと俺がつぶやくと葵の顔がボッと真っ赤になった。


「そ、そういう不意打ちはよくないと思います!」


「メッセージじゃないだと!」


「このセクハラ魔! からあげ全部食べちゃいます!」


 そう言うと葵は俺の唐揚げをバクバク食べていく。

 ふえええええええ! 俺の唐揚げちゃんが! らめええええええええええ!


「ぽくの唐揚げちゃんがー!」


「天罰です!」


「人災だー!」


「ケイちゃんはドリンクゼリーでも食べてればいいんです!」


「せめてカップ麺つけてー!」


「まずい完全栄養食ならつけてあげます!」


 前に気の迷いで買ったアミノ酸だ。嫌だ、追加された鉄分のせいかで血の味がするんだもん。

 葵だって「まずい……」って言ってたじゃん!

 くそ、俺はこの運命に抗う! それが俺のジャスティス!


「あ、おっちゃん。チンジャオロースー追加で」


「流れ無視して注文したよこの人!」


「葵ちゃん。いい加減学習しなさい。欲望……特に食欲のためならどこまでも汚くなれる。……それが大人なんだよ」


「それはケイちゃんだけです」


 違うもん。おっさんはもっと汚い生き物だもん。


「いいじゃーん! チンジャオロースも食べたかったんだよ!」


「太ります」


「だが食べる!」


 チンジャオロースが届き、俺はむさぼり食う。

 それを横目で見ていた葵がへらっと笑う。


「一口ください」


「ふむ小皿に分けてやろう」


 俺はチンジャオロースーを小皿に分けて葵に渡す。

 葵は小動物のように料理を食べる。かわいい生き物である。

 ああ、なんだろう。日常がファンタジーに侵略されてきた。

 だってあり得ないじゃないか。失業者と少女の組み合わせ、友人関係なんて。

 でも葵との関係は続くような気がする。いやそれすらも流転する局面の一つなのかもしれない。

 一つ気がかりなのは、葵のことだ。

 葵って一人で住んでいるのだろうか?

 どうして学校に行ってないのだろう?

 聞くのは怖い。でも……。


「ねえ葵。かなりぶしつけな質問だけど聞いていい?」


「え? 別にいいですけど。ケイちゃん友だちですし」


 俺は少し躊躇した。

 その一言で関係が崩れてしまいそうで。

 だけど好奇心が勝った。葵のことが知りたい。なぜか知りたかった。


「なんで学校行ってないの?」


 葵は一瞬黙った。下を向いて考えている。次の瞬間水を飲み、息を吐いた。

 そして俺を真っ直ぐに見つめた。


「クビになりました」


「え? なんで……」


「いじめっ子を殴りました」


 だって葵って、ナターシャモードじゃなければ大人しいし。顔形は整ってるし。

 人なつっこいし、嫌われる要素ない。

 いや……待てよ。明るくて可愛くて……頭も悪くない。そうか嫉妬されたのか。

 気が弱そうに見えるからいじめられたのか。


「後悔してません」


 笑顔。

 ……そうか葵はナターシャだ。

 やろうと思えばもっとえげつない手で報復するはずだ。

 たとえば巨大な虫が跋扈する森に連れて行くとか。……俺は根に持っている。

 葵はそれだけの力を持っている。ただの気の弱い少女じゃない。

 つまりもう終わったことなのだ。ぶん殴って終わらせたことなのだ。


「悪かった」


「気にしてません。いつかケイちゃんが会社を辞めたわけを聞かせてくださいね」


 ああ、今でもいいよ。

 面白くない話だ。


「まともに生きるのに向いてなかったのさ」


 見事なカウンター。もう笑うしかない。

 俺に比べたら、葵の方が何倍もまともだ。


「みんなそうですよ」


 なぐさめか、それとも本気なのか。判断がつかない葵の言葉に微笑み、俺は食事をした。

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