小話⑨ずぶ濡れの少女3
雨で冷えきっていた体が、ぽかぽかと温まっていく。味が美味しいのはもちろんなのだが、それ以上にマスターの優しさを感じられた。少女がこの酒場に来た理由も聞かないし、追い出す事もしない。無関心なのかと思えば、体を拭く布を貸したり、飲み物を出したりと。
「……っ!」
不意に目頭が熱くなった。
どこか張り詰めていた心が、緩んでいく。嬉しくて嬉しくて。次々と溢れ出す涙が、感情が止まらない。両の手の甲で涙を拭うと、少女はカウンター越しにマスターの背を見つめた。その大きくがっしりとした背は、少女に安心を抱かせる。
「あのっ」
緊張の中、勇気を振り絞って声を上げる。少女自身も驚くほど小さなその声に、しかし、マスターは気づく。せわしなく動かしていた手を止めて。少女は恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤に染めながら、言葉を告げる。
「あ、あり……がと」
ただ一言。それだけ。
本当はもっと何か言おうとしていた。けれども無数に浮かんだ言葉の中で、この言葉だけが確かな力を持っている様に思えたのだ。この言葉が1番、自分が言いたい事なのだと。
「……支払いはいい。また、来い」
「うん!!」
マスターの提案に、心が躍った。
また来ていいと。気づけば少女の虚ろな瞳に、光が宿る。暗く沈んでいた表情は消え去り、花の様な満面の笑顔がそこにあった。
少女は勢いよく椅子から飛び降りると、借りていた布をたたんでテーブルの上に置く。
「おじさん、またね」
そう言葉を残して、少女はバタバタと酒場を出て行った。開け放たれた扉の先で、少女の走っていく姿が見える。マスターは扉を閉めに出入り口に行くと夜空を見上げた。
「 …… 」
いつの間にか雨は上がっていたらしい。
満点の星空が、広がっていたのだった。




