1.はじめての、異世界召喚!
推し活ってしたことあるか?
推し活……定義は人それぞれ、正解とかはない。
俺にとってのそれは、人生の支えそのものだった。
ライブで推しを応援し、推しが嬉しければ笑い、推しが涙を流せば号泣した。
それは、無味無臭だった人生を鮮やかにした。
やってるやつの中には、頷いてくれる人もいるんじゃないかな。
推し活まだの人は、是非、自分の推しを見つけてみて欲しい。
それは人生を豊かにし、彩り、楽しくて、刺激的で。
——そしてたまに、世界を救うんだ。
◇1.はじめての、異世界召喚!
テーマパークとかもう随分と行ってないが、引けを取らないであろう長蛇の列。もう並び始めてかれこれ一時間と少し。
俺はじっとりと濡れた手汗を執拗に厚手のハンカチで拭った。拭いても拭いても濡れてる気がする。
「……あと……三人か? や、やばい……心臓が口から出てきそう……うぇ……あ、出たかも……」
俺は日向凌翔。読みはヒュウガ、リクト。三十一歳、独身、彼女なし、営業職の平凡な社会人。
申し訳ないが、今忙しい。
「だ、大丈夫だ……風呂には三回入った。歯も五回磨いた。消臭スプレーも一本丸々ぶっかけてきた。服も新品だ。大丈夫、大丈夫……」
月ケ瀬詩音。
”ツキシオ”の愛称で親しまれるアイドルユニット【Noctis Aura】のクール担当兼サブリーダー。
彼女のためであれば、待ち時間の一時間や二時間、体感なら三分だ。
この時間が待っていたから、俺は仕事がきつかろうとメシが貧相だろうとなんてことはなかった。
「手を空けてくださーい」
「あ、は、はい!」
ひんやりとしたアルコールが表面の温度を攫っていくも、俺の体温を下げることなど幾ばくも叶わなかった。
俺の前の同士が、ブースを去っていく。
つ、次だ。
もう次は、俺だ。
視界が滲んできた。が、がんばれ。練習しただろう。格好つけなくていいんだ。良く思われる必要もない。
とにかく、伝えることができれば。それだけでいいんだ。
心臓が耳のそばで鳴ってる。そ、そうだ。手汗……不快感を与えるのだけはだめだ。は、ハンカチ……どこだ? どこいった? あれ?
「はい、次の方どうぞー」
「あ……」
顔を上げた瞬間、滲んでいた世界のピントが、一人の少女にフォーカスされた。
月ケ瀬、詩音だ。
画面越しじゃない……月ケ瀬詩音がいる。
深い紺色から毛先に向かって鮮やかな藍色に変わる癖の無いロングヘア、自信に満ちたダークブラウンの大きな瞳。
揺れる毛先。息遣いと共に微かに動く肩。
存在、してくれている。
彼女は、いつもライブで着ているモノトーンを基調としたステージ衣装だった。
何度もライブで応援した、擦り切れるほど画面の外から応援した、ツキシオだった。
全部が……止まっているみたいだ。
音も、時間も、空気も、消えてしまった。
だ、だめだ! 何しに来たんだ、俺は。伝えに来たんだろうが。
情けない、何回目の握手会だ。
行け! 行って……!
「こんにちは。あ……また来てくれたんだ」
「つっ……! へぁっ……」
その瞬間、あまりの出来事に思考が凍ってしまった。
なんて……言った? いま、ツキシオはなんて言ったんだ……?
……”また”?
バカな、ありえない。
長くツキシオのファンをやっているからこそ、俺は極力目立たないようにしてきた。
公式のプロフィールがそのままであれば月ケ瀬詩音は現在十六歳、俺と倍ほども違う。
だからこそ、俺は常に透明になることを心掛けてきた。
俺……認識……されてる?
「……?」
ほんの少し、小首を傾げると前髪がさらりと流れた。止まった時間もそこだけ流れる。
揺れるダークブラウンの瞳に、間抜けな俺がいる。
息の仕方が……思い出せない。
「はい、次の……」
本当になんという間抜けだろうか。止まっていたのは時間じゃない。
俺だった。
スタッフが交代を促している。
奇跡の時間はもう終わり。
しまった、俺……まだ、なにも……。
「まって」
キツイ言い方ではなかった。いつもの、ツキシオの、柔らかい声。
でも、意味はわかった。
スタッフが畏れるように一歩引いた。その意味は……”さがりなさい”。
「……ん はい♪」
差し出された、細くしなやかな手。
終わったはずの魔法を、彼女は許してくれた。
「あ……あっ! あ、ほぁ! あ、あの! ずっと! 応援してますっ!」
情けない限りだが、これが今の俺の精一杯だった。差し出された手を握り、一番伝えたいことだけ伝えた。
もう及第点でいい。俺にしては上出来だ。それだけを、伝えるために来たんだから。
ずっと、あなたを応援してます、と。
「うん。ありが……ぇ?」
「つっ……ぁ……?!」
──バリン!
突然、頭の中でガラスか何かが弾けた。
世界が、ぐにゃりと歪んだ。
熱中症を起こしたような、強烈な倦怠感と共に身体中を捻じられる。突如襲ってきたそれは強烈な吐き気と、軋んだ関節の悲鳴がグルグルと身体中を駆け巡った。
何が起こったかわからないが、俺は途切れそうになる意識を必死に繋ぎとめた。
まだ手の中に……ツキシオの感触があるから。
意識が霧散しかける。でもだめだ。繋げ。無理やりでも繋げ。
ここで、ぶっ倒れるわけにはいかない。彼女に迷惑だけはかけられない。彼女の握手会を中止にすることなど、俺が許さない。
だが、そんな俺をあざ笑うかのように襲い来る倦怠感、吐き気、眩暈、動悸。
やばい、これはマジのやつだ。やばい。やばいやばいやばい!
「ぐっ………………え?」
永遠にも思われる一瞬ののち、急にさっきまでの生き地獄が消失した。
頭の中を無理やりかき回される不快感も、少しずつ治まっていく。
と、とりあえず……病院だ。病院に行こう。動けるうちに。ここを離れなくては……。
「………………へ?」
頭が一旦、考えるのを拒否した。
目の前にある、目をまんまるに見開いたツキシオ。ぽかん、とした気の抜けた表情……この人、こんな顔もするんだ。可愛らしい。
でもきっと、俺も同じような表情をしていたに違いない。
どこだ、ここは。
ツキシオの後ろに広がっていたのは俺の知らない世界だった。
天井が見えないほど高い……白い。ステンドグラスから色とりどりの彩光が降り注ぎ、繊細な意匠が施された壁と柱。天使でも舞い降りてきそうだ。まるで旅動画に出てくる、名前も知らない外国の聖堂。
あれ? 握手会場は……?
「成功……した、ようですね。不躾な召喚、申し訳ございません。詠唱歌姫よ、この世界をお救いくださ……へ?」
声がした方を向くと、そこにはブロンドの女性が立っていた。
白で構成されたゆったりした神官服。歳の頃は俺と同い年くらいだろうか。女優顔負けの整った顔立ち。
そして……なんだ、あれ。頭の上の。
「あ、あれ……? 詠唱歌姫が……二人?」
困惑しているその女性の頭には、その表情と連動するようにピコピコ動くネコミミ。
……すげぇ、リアルだな。どういう趣味なんだ、この人。
まて……尻尾まである。どうやって動いてるんだ、あれは。
「あ、あれ……? なんで二人……え? 男?」
困惑はお互いさま、と言わんばかりに彼女は俺とツキシオを交互に見ている。
よく見たら彼女の後ろに他にもいる。同じ服のやつらが、十五人くらい。
そしてなぜか、全員同じ動きだ。俺とツキシオを交互に見ている。
ここにいる誰一人として今の事態を理解できていないような、そんな意味の分からない虚無の時間。
それがたっぷり十数秒ほど流れ、そして。
「あの……すいません。その……どちら様でしょうか?」
「それをそっちが聞くんかい」
なにもかもわからん。なにひとつ。
いや……違うな。ひとつだけわかった気がする。多分だけど。
俺、呼ばれてないな、これ。
次話 責任者をだしてください!
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