Code:106 審問の鎖②
「さて」
茶化すような雰囲気が、その声から綺麗に消えていた。
ヴァラムの表情に笑みはない。
「そろそろ本題に入ろうか」
顔を上げるミラフィス。
弄ばれて涙目になりかけていた少女の顔が、僅かに引き締まった。
「本題……?」
「単刀直入に言おう」
ヴァラムが両手を組み、前のめりになる。
その瞳に宿る光は、先ほどまでとはまるで別人だ。
「僕は……いや、僕たちは、ある目的のため、秘密裏に行動している。ある組織を、壊滅させるために」
黒い霧がゆらゆらと渦を巻く闇の中で、ヴァラムの声が不気味に反響する。
「それで? ウチに何の関係が——」
「君を仲間に勧誘したい」
回りくどい前置きも、詩的な修辞も一切ない。
ただ、事実だけを告げる。
「はぁ!?」
ミラフィスは混乱と困惑が入り混じった表情で、ヴァラムを見つめた。
「意味分かんないんだけど。アンタ、何言って——」
「これは、僕からのお願いじゃない」
ヴァラムが静かに遮る。そして、決定的な一言を放った。
「アルト・ツヴァイライン。彼の意向だ」
「アルト……が?」
「君も薄々感づいているだろう? 彼が、普通じゃないってことに」
新人離れした術式のセンス。状況を数手先まで読む冷静さ。
何より、あの歳の少年が見せるにはあまりに深い、底知れない目。
何かを隠している——その直感は、共に過ごした日々の中で幾度も頭をもたげていた。
「そして、僕らが敵対している組織の名は……《黒い鉤爪》」
ミラフィスの瞳が見開かれた。
羞恥に上気していた顔が瞬時に引き締まり、術式師の眼差しに変わる。
甘さの一切ない、戦場で鍛えた目だ。
「十三年前に壊滅した組織だ」
言葉とともに、影が踊る。
淡々とした声の奥に抑えきれない何かを潜ませて、ヴァラムは静かに語り始めた。
壊滅したはずの《黒い鉤爪》——その残党が仮面の下に素顔を隠し、今なお水面下で蠢いていること。
彼らは巧妙に身を隠し、復活の時を待ちながら、着実に爪を研いでいること。
アルトが魔導プラントで遭遇した異常な災魔。
ミラフィスが耀魔鉱採掘場で遭遇したの異形の災魔。
あれらは全て、奴らが裏で糸を引いた結果であること。
不自然に強力な災魔の出現。
それらは自然発生したものではなく、《黒い鉤爪》が禁忌の術式を用いて生み出した人工災魔であること。
人の手で創り出された人類の天敵という、悍ましい存在。
その狙いはギルドの戦力を削ぎ、混乱の種を撒くためであること。
さらに恐ろしいのは、各ギルドに奴らのスパイが紛れ込んでいるという事実。
情報は筒抜け、ギルドの動きは全て敵の掌の上。
誰が味方で、誰が敵か——その境界は曖昧になり、疑心暗鬼が組織を内側から腐らせていく。
ジュリアナをはじめとする上層部も、この事実を把握している。
だが、ギルド間の複雑な政治、しがらみ、そして何より内通者への懸念から、表立って動けずにいること。
膠着状態が続く中で、闇は着実に街を蝕んでいること。
ミラフィスは半信半疑の表情で、ヴァラムの話に耳を傾けていた。
あまりにも壮大で、あまりにも恐ろしく、あまりも荒唐無稽な陰謀。
しかし、これまでの不可解な事件の数々を思い返せば、辻褄が合う部分も多い。
長い沈黙の後、ミラフィスは口を開いた。
「アンタたちは、何のために奴らと戦うの? アルトはともかく、アンタに正義の味方は似合わないでしょ」
ヴァラムの視線が、一瞬だけ遠くなった。
過去の深い場所を覗き込むような、束の間の空白。
そこに何が映っているのかは、ミラフィスには読み取れない。
「復讐者だからさ。僕たちは」
僕たち、とヴァラムは言った。
自分とアルトを束ねる言葉。共有された過去。奪われた何か。
その喪失だけが、二人を同じ道に立たせている。
「復讐、者?」
掠れた声が、漆黒に溶けた。
ヴァラムは静かに頷く。そして——言葉を紡いだ。
「殺されてるんだよ、奴らに」
抑揚のない声。けれども、その奥に潜む感情の深淵は計り知れない。
風も吹かない黒の帳の中、ミラフィスはその言葉を咀嚼するように、しばし沈黙した。
身近な人を奪われた痛み。愛する者を失った喪失感。復讐という業火に身を焦がす覚悟。
ヴァラムの言葉には、経験者にしか持ちえない重みがあった。
だが、彼女は知らない。この言葉に隠された、もう一つの真実を。
アルトが禁術によって蘇った転生者であること。
一度、死という究極の断絶を経験していること。
文字通り「殺されている」という、二重の意味を持った言葉であることを。
それでも、ミラフィスは納得したように頷いた。
転生の真実など知らずとも、あの少年が歳に見合わない何かを抱えていることくらい、肌で分かっていたからだ。
それが復讐という名の業だったとは、流石に思い至らなかっただけのことで。
「そんな悩みを抱えてるならさ」
ミラフィスの声が、沈黙を破る。
「ウチに一言あっても良いじゃん」
拗ねるようでいて、その実、心配の色が濃い。
指導役を外されてもなお、彼女のアルトへの想いは薄れるどころか——距離を置かれた分だけ、胸の奥で膨らんでいた。
「君に心配をかけたくなかったんじゃない?」
再び沈黙。ミラフィスは唇を噛んだ。
ああ、確かに。アルトなら、そうするだろう。
一人で背負い込んで、平気な顔をして。あの不器用な優しさで、周りを遠ざけて。
「本当、生意気なんだから……」
呟きに、怒りの色はなかった。
もっと深い場所にある慈しみだけを、言葉の端々に匂わせながら。
「後輩のくせに……」
苦い笑みが、唇の端にこぼれる。
やがて——ミラフィスは顔を上げた。
瞳に、もう迷いはない。
「いいよ。アンタの話に乗ってあげる」




