2/163 神風<乃> 伊勢能國尓<母> 有益乎
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題詞:藤原宮 御宇天皇代 [高天原廣野姫天皇<天皇元年丁亥十一年譲位軽太子尊号曰太上天皇>] / 大津皇子 薨 之後 大来皇女 従 伊勢齋宮 上京 之時 御作歌二首
原文:神風<乃> 伊勢能國尓<母> 有益乎 奈何可来計武 君毛不有尓
校異:之→乃 [金][類][古][紀] / 毛→母 [金][類][紀]
訓読:神風の 伊勢の国にも 在らましに 何来けむかな 君も存らなくに
仮名:かむかぜの いせのくににも あらましに なにきけむかな きみもあらなくに
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原文:欲見 吾為君毛 不有尓 奈何可来計武 馬疲尓
訓読:見まく欲る 吾がする君も 存らなくに 何来けむかな 馬疲らしに
仮名:みまくほる あがするきみも あらなくに なにきけむかな うまつからしに
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題詞:移葬 大津皇子 屍 於葛城二上山 之時 大来皇女 哀傷 御作歌二首
原文:宇都曽見乃 人尓有吾哉 従明日者 二上山乎 弟世登吾将見
修正:宇都世見 人尓有乃吾哉 従明日者 二上山乎 吾弟登曽将見
訓読:現世見る 人にある吾なり 明日よりは 二上山を 吾が弟と見むぞ
仮名:うつせみる ひとなるあなり あすよりは ふたがみやまを あがおととみむぞ
二上山(二人が見る山)を弟と見よう。
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原文:礒之於尓 生流馬酔木<乎> 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓
校異:<>→乎 [西(右書)][金][類][紀]
漢文:杼目折 生流 馬酔木 手於尓 之礒、之 尓(有) 不言 常 令視倍吉 君 在
修正:之礒尓於手 生流馬酔木<> 折目杼 令視倍吉君 之在常不言尓
訓読:岩場に 生ふる馬酔木は 折らめども 見すべき君が 存ると言はなくに
仮名:いはにはに おふるあせびは をらめども めすべききみが あるといはなくに
ここでアセビを摘み取って貴方の面影を見ても、それは生きているとは言わないのだ。
あせび(馬酔木):アシビ、アセミ、アシミなどとも。おそらく名前から「吾が背振る」、または「吾が背を見る」といった言葉と掛けたのだろう。
大来皇女の他の歌 2/105~106
大津皇子と関連する歌 2/107~110、129?
大津皇子と大来皇女は母が同じ兄弟
***以下、日並皇子(草壁皇子)と石川郎女(大名児)を交えた考察
草壁という名前は「草下辺(民草の下の辺り)」と書き換えられる事からこの名を嫌い、「日並(アマテラスに並ぶ)」という名前を使ったと考えられる。
また、日並皇子は石川郎女を使って大津皇子に美人局を仕掛けたと思われる。
日並皇子が石川郎女に送った歌(2/110)は「大名児よ 彼方の野辺にて 刈る草の 津かの会ふ今にも 吾を忘れめや」つまり大津皇子に浮気をするなというメッセージにも読める。さらに津守の占いでバレるというのも不自然である。
そして2/129と20/4491も関連歌だとすると、日並皇子は大伴宿祢宿奈麻呂に利用されていた可能性がある。この場合、石川郎女の大名児という名前は偽名である可能性がある。




