第十四夜 銭湯
東京へ来て十年、俺は相変わらずフリーターをしていた。
俳優になる為に田舎から上京し、東京の事務所へ登録した。それでもすぐに仕事が来る訳はなく、オーディションを受けに行っては、落ちて落胆する日々の繰り返しだった。
エキストラやカラオケ屋でアルバイトをしてお金を稼がないと暮らせない状態だった。
十六で上京したから、今は二十六歳か。田舎の家族からは、早く帰って来て農家を継ぐように言われている。
だが、あと二年は踏ん張ろうと思っていた。
俺が住んでいるのは、風呂なしで共同トイレのボロアパートだ。風呂は二日に一度銭湯へ行く。
そして、今日は銭湯へ行く日だった。
アルバイト帰りに飲みに行ったので、今はもう夜の11時半だった。
銭湯は12時まで営業しているとはいえ、間に合うだろうか。
電車に乗り、走って銭湯へ向かう。12時ちょうどだ。
「すいません、もう駄目ですよね。明日は来れないので、今日入りたかったんですけど‥‥。お掃除手伝いますが、駄目ですよね?」
ちょっと図々しいお願いだったが、ダメ元でお願いしてみた。
「あんた‥‥いつもの兄ちゃんか、もう閉めるところだが、今日だけ特別だよ。入っておいで。掃除はいいから、ゆっくり浸かっておいで。」
「ありがとうございます!助かります!」
「あっ‥‥他のお客さんが残ってるかもしれんな。兄ちゃん、この時間のお客さんは色々訳ありの人が多いんだ。目を合わせず、知らん顔をしておくと良い。」
あっ、もしかして刺青のある人とか指のない人の事かな?そう思って、少しドキッとしたが、背に腹は変えられない。
「分かりました。話しかけないし、目も合わせないようにします。」
そう言って、券売機で買ったチケットをおじさんに渡して、浴場へ向かった。
‥‥ここってこんなに蒸気が出てたかな?
今日の浴場はやたらと蒸気が凄くて、隣の人の顔も見えないぐらい視界が悪くなっていた。
銭湯のおじさんの優しい計らいだろう。皆んな訳ありの人だから、お互い人目を気にせず湯船に入れるようにしてくれたのだろう。そう思うと、つくづくあのおじさんは良い人だなぁと思えた。
一、二、三‥‥俺以外に三人ほどがこの浴場にいた。
皆んなバラバラに離れて湯船に浸かっていた。
この銭湯は、湯船の中が仕切られておらず、皆んな自由に湯の中を移動できた。
落ち着きがなく、ぬるめの湯が好きな子供用の湯船は別の場所に設けてあり、常連達は大きな湯船でゆっくりと浸かれるようになっていた。
「はぁーっ。気持ち良い。」
あっ、しまった。声を出してしまった。
「兄ちゃん、今帰りかい?若いのに頑張るなぁ。」
俺から少し離れたところで寛いでいた中年の男性らしき人影が見えた。この人が話しかけてきたらしい。
「あっ、はい。でもアルバイトなんです。ちょっと、訳ありで。」
ここに残ってるお客さんは、皆んな訳ありだとおじさんが言ってたのを思い出し、俺も訳ありだと思わせて、暗にもう話しかけるなと言いたかったのだが‥‥
「ほぉ、訳あり?」
「あっ、いや。その‥‥実は俳優を目指してまして、まだ俳優の仕事はないですが。」
「ほぉ、‥‥兄ちゃん、あんた俳優めざしてるんなら、ちょっと役になりきって俺と話してみてくれよ。」
「え~っ‥‥分かりました。じゃあ、話しかけてみて下さい。」
面倒臭いなぁと思いながらも、怒らせたくないので、申し出を引き受けてしまった。
「なぁ、兄ちゃん。‥‥あっ、そうか。お前は太郎だったなぁ。太郎、親父とお袋は元気にしてるか?」
もう演技が始まっているようだ。
「どうだろう、分からない。俺も田舎にはずっと帰ってないんだ。」
「ハハハハ。俺達は親不孝者だなぁ。俺は東京へ行って働いて、沢山のお金と美人のお嫁さんを連れて、田舎へ帰って親父達をびっくりさせてやろうと思ってたんだ。
東京オリンピック特需で、仕事は沢山あった。俺は体力には自信があったから、土方や建築関連の仕事に就いたんだ。
だけど、命綱もなくきちんとした装備もない状態で、急いで作業をしていたものだから、たくさんの仲間が死んでいった。俺も含めてな。」
これは演技なんだよな?この場合、セリフは何を言えば正解なのだろう‥。
「‥‥。」
何も言葉が出なかった。だが、中年の男性らしき人は話を続けた。
「俺は、田舎に残した親父とお袋の事だけが気がかりで、心配でたまらないんだ。‥どうしたら良いと思う?」
「あっ‥‥俺は‥‥。」
ガラガラガラガラ、
扉を開けて、銭湯のおじさんが入ってきた。
「そろそろ閉めますんで。」
いつの間にか、まわりのお客さんらしき人影は一つもなくなっていた。
脱衣場へ戻るが、俺一人しかいなかった。何となく不思議に思いながらも、おじさんにお礼を言って帰ろうとした。
「兄ちゃん、お客さんと話しちゃったんだな‥‥。危ないから、次からはもっと早い時間帯に来るようにしなよ。二度とこの時間帯には来ちゃいかん。‥‥でないと連れて行かれてしまう。」
おじさんは俺にそう言うと、黙って浴場へ掃除をしに入っていってしまった。
訳あり‥‥の意味が分かってしまった。
やはりあの人影は、人ではない何かだったのだ。
あのまま、あの中年の男性らしき人影と話し続けていたら、俺はどうなっていただろう。
せっかく温まった身体に寒気を覚えながら、アパートへ向かった。そして、何となく田舎へ一度帰ってみようかな、なんて思ってしまった。




