六話
ラルクの館は高い塀に囲まれていた。
塀は所々塗り直された跡あったり、生ゴミが付着したりしていた。
剥げてきたから塗装した、というわけではなさそうな気がする。
落書きでもされたのではなかろうか。
ここまでされても懲りずに悪評を重ねる辺り、相当根性の座ったお方らしい。
どんどん会いたくなくなっていく。
「アベル、あれ……」
メアが目線で合図をしてくる。
先を歩くユーリスがこちらの様子に気付いていてか、複雑そうな顔をしていた。
「……あんまり見ないでおいてやろう」
俺が小声で返すと、メアが小さく頷いた。
門には武器を持った体格のいい短髪の男が立っていた。
たまに襲撃があるというのは、どうやら誇張でもなんでもなかったらしい。
これ、領主として成り立ってるんだろうか。
「ああ、ユーリス殿! 安静にしろと言われたばかりでしょうに、また打ち合いでもしていたのですか!」
門番の男は、ユーリスの持っている模擬剣を見つけると声を荒げる。
なんで模擬剣なんか持ってるんだと思っていたら、どうやらリハビリ中だったらしい。
言われてみれば、足を庇うような歩き方だった気がしなくもない。
「そんなことよりも、こちらの方々を領主様の許へと連れて行きたい」
「……見慣れない顔触れですが、どなたですか? いや、でも……領主様に会わせない方が……。ほら、領主様は気難しい方ですから! 簡単な事情と事づけだけ聞いて伝えて、それでもしも領主様が会いたいと仰ったら、でいいのでは……」
門番は、遠回しに、領主との面会を避けるよう提案してくれた。
もうここまで来ると、逆に怖いもの見たさで会ってみたくもなってきた。
「ナルガルンの息の根を止め、領地を救ってくださった方々だ。領主様から、一言の礼もなしというわけにはいくまい」
……別に、こっちとしてもできることならば会いたくないんだけどなぁ。
とりあえず、余計なことは言わないように気をつけておこう。
「ナ、ナルガルンを!? そんなわけ……」
「先日に襲撃を仕掛けた際、どうやらナルガルンはかなり疲弊していたらしい。単に怪我を治すのではなく、首一つ生成するのだ。それ相応の対価が必要であった、ということだろう。我々のあの戦いは、無駄ではなかったのだぞ」
ユーリスが微かに笑みを浮かべると、門番が破顔した。
「は、はは……良かった、だよなぁ。よくよく考えてみれば、あれだけの手数を受けてなんともないはずがない! そういえばナルガルンも、かなり苦しそうだったように見えないこともなかったような気がする」
……あの首、やっぱり隠しといた方がいいのかな?
いや、でも、上手く捌ければ一攫千金だしなぁ……。
金さえあれば、ここでの生活が落ち着いてから魔導携帯電話 ( マギフォン ) 開発にだって着手できる。
あの首は手放したくない。
「領主様は、二階の執務室にいらっしゃいます。あ……と、ノックは、忘れないように……」
門番が付け足したように言うと、ユーリスはわかっている、というふうに頷いた。
基本的なことだからわざわざ忠告するようなことでもないと思うのだが、ノックを忘れたら首を刎ねて来かねないような奴なのかもしれない。
俺も態度に気を付けなければ。
いざとなればアシュラ5000を転移して逃亡する準備をしておこう。
館の中は、さすが領主様としか言いようのない豪華な作りとなっていた。
曲り角の先が小さく見えるほど長い廊下、派手ながらに気品を醸す赤い敷物、魔鉱石とガラス細工を組み合わせて作られたシャンデリア。
廊下の隅には、箒を持ったエプロンドレス姿の少女がいた。
使用人なのだろう。
ユーリスに頭を下げた後、俺とメア、エリアを不思議そうに眺め、それから思い出したように慌てて頭を下げる。
「いいな~メアも、こういうお屋敷に住んでみたいです」
メアが目を輝かせながら、落ち着きなく廊下を見回していた。
「……お客さんの婿さんなら、その内お城の一つや二つ建てられそうだけど」
「メ、メアとアベルは、ま、まだ、そういう関係じゃないっていいますか……あ、あのアベル……」
「すげーな、あれ、何の魔鉱石だろ? 色からして、普通のレイルタイトじゃないな。三種くらい組み合わせているのか? 一度砕いて観察してみたいところ……」
「か、勝手に外さないでくださいね?」
ユーリスから念を押された。
そんなつもりはさすがになかったが、領主の前で素が出るとマイナス印象になりかねないな。
気を引き締めなければ。
階段を上がったところに、大きな扉があった。
「す、少し待ってくださいね、ちょっとノックしますから、そこから動かないでください!」
「え……あ、はい」
俺が呆気に取られながら返すと、ユーリスはそそくさと扉の前まで移動し、背を屈める。
……ノックって、何かの隠語だったりするんだろうか。
田舎育ちの俺には、悪いが通じないぞ。
ユーリスが扉に耳を近づけたとき、大きな声が部屋から響いてきた。
「だ、駄目です、駄目ですラルク様! お止めくださいっ!」
「もう我慢できんぞぉ! 使用人如きが、この私に刃向かう気かぁ! 黙ってじっとしていろ!」
「駄目、駄目です! おお、落ち着きになってください!」
……これ、今来たら駄目な奴だったのではなかろうか。
「あの、俺達、やっぱり一度帰った方が……」
「ララ、ラルク様ぁっ!? 何をしているのですか!」
ユーリスが大慌てで扉を蹴破った。
開いた扉の奥に、領主ラルクと思わしき男の姿が見えた。
噂通りの赤毛の男であった。
ラルクは机の上に立っており、天井の中央にあるシャンデリアにくっ付けた縄にしがみついていた。
縄の先端は円を象っており、丁度人の首一つ通せそうな大きさをしていた。
ラルクの背には、藍色の髪をした少女が抱き付いて必死に止めている。
彼女も使用人らしく、エプロンドレス姿であった。
「うるさぁぁあい! 貴様ら、私のことが嫌いなんだろう! 知ってるんだからな! 私だって貴様らのことが大嫌いだバーカバーカ!」
ラルクは怒鳴りながら縄をぐいぐいと引っ張り、シャンデリアを大きく揺らしていた。
「落ち着いてください領主様、私は、マリアスは何があっても味方ですからね? ね? だから、机から降りてください!」
使用人の少女が、半ば叫ぶようにそう言う。
「え、ええ……」
そのあまりにあんまりなほど惨めな言動を見て、思わず素でドン引きしてしまった。
「なんでもかんでもっ! 私のせいにしやがって! 挙句の果てには、干ばつや不作、ナルガルンも私のせいだぁ? 私は神か何かか! そんな力があったら窓に有精卵投げつけてきた奴、全員呪い殺してやるわ! 馬鹿にするのもいい加減にしろぉっ!」
……やっぱり落書きされていたのか。
そりゃそうだよな、あれだけ嫌がらせと悪口散々くらって平然としてる奴なんか、まずいないわな。
食糧厳しいのに有精卵投げるって、どれだけ嫌がらせに命懸けてるんだここの領民達。
食うか育てろよ。
「イカロスも言うこと聞かないで好き勝手やるし! ポーグ(伝書を運ぶ鳥)をどれだけ飛ばしても何の助けも来やしないし! 私だってなぁ、やれることはなんでもやったんだぞ! 食事だって大幅に減らしてるんだぞ! 少しでも何かやってみようと思って試しに作物育ててみたら、壁よじ登って溝水ぶっかけて腐らせたのは貴様らだろうがぁぁっ!」
挙句の果てには、自分より明らかに年下である使用人の少女に抱き付き、顔を埋めてわんわんと泣き始めた。机の上で。
「よーしよーし、大丈夫ですよ。ラルク様が頑張ってるのは、マリアスにはわかっています、わかりまくってますから落ち着いてくださいね」
子供か、ここの領主は。
俺達は引き攣った顔で、ラルクの丸くなった背を眺めていた。
ラルクは時折嗚咽を上げ、肩を震わせていた。
マリアスと名乗る、使用人の少女が先に顔を上げた。
「あの……ユーリス様、見ての通り、今は、取り込んでおりますので、後にしてもらえると……」
使用人の少女は、そこまで言って気が付いたのか、睫毛の長い大きな目をぱちりと瞬きさせ、俺を見る。
「……あ、あれ、そちらの方々は?」
「ナルガルンを倒してくださった方々です。早急に領主様の耳に入れなくてはと……」
「ナ、ナルガルンを倒した……?」
マリアスは、信じられないものを見るような目で俺を凝視した。
「ええ、まぁ、私達が首を一度落とした段階でかなり弱っていたみたいですね。あの、先日に私達が一度首を落とした段階で……」
ユーリスも彼女のプライドがあるのだろう、声量をわざとらしく抑えながら、自分に言い聞かせるように二度言った。
マリアスはぽかんと口を開けたまま、俺とユーリスへと交互に視線をやる。
正に狐に包まれたかのような表情をしていた。
「ナナ、ナルガルンを倒しただと! ほ、本当か! 嘘ではないだろうなぁ!」
ラルクがマリアスを払い退け、這いながら机を滑り落ちた。
後頭部を床に打ったらしく、鈍い音がした。
ユーリスが駆け寄って手を差し伸べるのを無視し、そのまま俺へと距離を詰めてくる。
「え、ええ……はい……」
「おお……おお、ありがとう、ありがとう、助かった……本当に、助かった……」
ラルクは俺の手を握りしめ、その場に泣き崩れた。




