12 打たれる杭となる予感
体は疲労しているが目が冴えてしまい、その日の夜はなかなか寝付けなかった。眠らなければ疲れは取れない。疲れが取れなければ明日に響く。明日も明日で今日より忙しくなるかもしれない。早く寝てしまわなければと意識すればするほど意識は覚醒し、余計に眠りからは遠ざかっていく。或斗は掛け布団を体から蹴り剥がし、勢いよく起き上がった。
ベッドを降りると、そのまま部屋を出て寮の廊下を歩いていく。既にほとんどの隊員が眠りについており、廊下の明かりも消えていた。しかし窓から月明かりが差し込んでいるため、部屋の中よりも明るい。足音をひそめたまま中庭に出る。外の空気を吸いたい気分だった。
中庭はそれほど広くないものの、少し息抜きに来るには十分で、よくここで談笑している隊員や、たばこを吸っている者もいる。とはいえ最近は誰もが忙しいからか、それもあまり見かけなくなってしまったが。今は誰もいないため或斗の貸し切りのようだ。
大きく息をつき、ただぼんやりと突っ立って夜風に吹かれていると、背後からかすかに足音が聞こえた。振り向くと、赤兵が或斗のすぐうしろで背中に両手を伸ばしているところだった。
「……なにをしてるんだ、赤兵」
「なんだよ、気付かれちまったか」
残念そうに言い、赤兵は或斗の隣に座り込む。或斗も合わせてその場にしゃがんだ。
「或斗のほうこそ、なにしてたんだよ。こんな時間に」
「別に、なにをしてるってわけじゃないんだけどな。ちょっと眠れなくて」
「なんだ、ガキみたいなこと言って。子守唄でも歌ってやろうか?」
「お、それじゃあ歌ってもらおうじゃないか。今ここで」
「……ちぇっ、からかい甲斐のない男だね、あんた」
「で、お前はどうしたんだ。こんなところで」
「どうしたもこうしたも、隊長殿からのお説教だよ」
「説教?」
「好き勝手暴れすぎだとさ」
「ああ、いつものやつか」
赤兵は入隊当初よりよほど落ち着きが出てきたものの、それは昔の比較してみればの話だ。今でもたびたび、他の先輩や上官の命令を無視したり逆らったりしては喧嘩になっている。入隊時のギラつきは収まっても、じゃじゃ馬は相変わらず。戦力として優秀であるからクビを切られはしないものの、すっかりセレイア部隊の問題児だ。誰彼かまわず噛みついてばかりなので、一部では狂犬と揶揄されているらしいと、他の班員から聞いた。或斗からすれば、少し血の気が多いだけで扱いやすい後輩なのだが。
とにかく、普段からそんなことなので、しょっちゅう部隊長から呼び出しを食らっては説教を受けているのだ。それが今回は長引いたのだろう。赤兵らしい。だが、赤兵の態度が悪いのは今に始まったことでもない、今さらここまで長引くほどの説教を受けたりはしないだろう。ということは。
「あたしって、そんなにあんたとばっかり一緒にいるかい?」
やはり。
「そう言われたとしても否定はできないなあ」
隊員は勤務中、とくに現場で手分けする場合でも、二人一組での行動を原則としている。セレイア部隊では基本的に、単独行動は控えるようにと、まずそれを最初に教わるほどだ。或斗は赤兵が入隊してきたばかりのころから一緒にいるので忘れがちだが、今のお互いの立場を考えると少しまずいだろう。
「俺もお前も、今まではバディとして認められてはいたが、今は班長と副班長なんだ。班を仕切るはずの二人が他の班員をほうっておくばかりじゃ、たしかに叱られても仕方ないな。俺もつい赤兵と行動してるけど、これからは気を付けないと」
「なんか、あたしがあんたにつきまとってばかりみたいに言われてさ。或斗は能力自体はショボいけどマジメで優秀だから、あたしみたいな不良が四六時中くっついてちゃ迷惑だとか言われて、アタマきちゃってさあ」
「……暴れなかっただろうな?」
「まさか。灰皿投げつけただけだって」
「おいおい」
「だって考えてもみなよ。たしかにあたしはあんたと一緒にいることが多いけど、そうしろって言ったの部隊長じゃん? あんた以外にあたしを扱えないからって。そのくせ今度は離れろって。言ってることムチャクチャだっての」
それは赤兵が或斗以外の言うことを聞かないからであって……それがまだ改善されていないということは、或斗の教育が下手だということだろう。そもそも考えてみればその手の教育をした覚えがない。
「う、うーん……まあ、あのころとは立場が変わっちまってるからな。お互い。仕方がない部分もあるさ」
「あんたって、組織に従順だよねえ」
「そうでもない。本当に従順なら、お前と一緒になんていないだろ。俺は面倒ごとを避けたいだけだ」
「……ま、あんた、仕事中は鬼みたいだけど、命に係わること以外には寛容っていうか、いい加減だしね」
「お前に毒されてきたのかもなあ」
「はん、上等じゃないか」
「……ただ、うーん、そうなると」
顎に手を当て考え込む或斗に、赤兵は首をかしげる。
「どうしたんだよ」
「少し気になることがあるというか、確認したいことがあってな、ベアムのほうに行きたかったんだが……」
「ベアムに? 気になることってのは?」
「いや……ちょっとな。まあ、すぐに済むだろうから、午前中にさっと行ってさっと帰って来ようと……ただ、だったら、お前以外の誰かを連れて行くか、俺一人で行くことになりそうだ」
「……ま、ずっと班をほったらかしには、できないしね」
「なんだ、物わかりがよくなってきたな」
「だって、その口ぶりからすると、わざわざあたしがついて行かないといけないほどの大変な用事じゃないんだろ?」
「そうだな。あとは隊長殿の許可が下りるかどうかだが……」
赤兵が大きなあくびをして、目をこする。
「はあ……まあ、そいつは聞いてみないとわかんないね。あたしはもう寝る。あんたもさっさと寝なよ」
「ああ、そうする。おやすみ」
「おやすみ」
赤兵が寮のほうへ行ってしまったので、或斗も部屋に戻ることにした。誰かと話して気分が落ち着いたのか、今度はおとなしく眠りにつけそうだ。
*
「ベアムの調査か……」
「はい。今日一日とは言いません、午前中のうちに帰還することを条件に、調査の許可をいただけませんか」
「あのなあ、或斗。今の国内の状況がわかっていて言っているのか? 今、お前と赤兵、二人も抜けたうえにB班の統率がとれないのは……」
「いえ、赤兵は連れて行きませんので、B班への指示は彼女に。俺は別の班員を連れて行きます」
「あ、赤兵はいいのか?」
「班の動きが鈍りますから。これには赤兵も了承済みです」
「う、む……いや、その、まあ、お前のことだ。それなりの考えがあって言っているのだろう……だが、さっきも言ったように、二人も抜けるのは痛い。ただでさえ人手が足りないんだ」
「しかし……」
「お前が単身で向かい、すぐに帰還するなら……いや、一時的なものとは言え、あの赤兵に班長代理が務まるとも思えんが」
「ところで以前にも申し上げた、南大陸への異動の件ですが」
「ま、またその話か。あー、あー、わかった、行くなら行け。さっさと行って、気が済んだらすぐに戻れ」
「ありがとうございます。早ければ二時間足らずで帰還しますので」
「無線を忘れるなよ。なにかあったら連絡しろ」
「了解です」
部隊隊長を言いくるめて部隊を離れ、列車を乗り継ぎベアムへ向かう。以前に落とし物を探していたという男たちに声をかけた例の森にひと気はない。或斗は森の入口で目の前に鬱蒼と広がる木々を一度だけ見上げると、その奥へと足を進めた。
ベアム国内へ足を運ぶためにこの森を通る必要はない。森を横断するのもルートのひとつではあるものの、地面の凹凸の激しいところや、入り組んだ道、視界に広がる、変わり映えのない景色に方向感覚を奪われ、結局、森を突っ切ろうとすると、迂回するよりも時間がかかってしまう。地元の人間でもほとんど近寄らないと聞く。或斗はこの場所に縁も土地勘もなく、なので目印などがなければ道に迷う危険があるのだ。
だが、少なくとも今は道に迷うことなどないだろう。
獣が大群で移動したかのように乱れた地面。無数の爪跡を辿って道なき道を歩いていく。森に入ってどれほど経っただろうか。やがて、或斗は少しひらけた場所に出た。風に乗って、かすかに獣のようなにおいが漂ってくる。
或斗が辿りついた場所にあったのは、大きな廃倉庫のような建物だった。周囲をぐるりと見てまわる。建物の高い位置に窓があるものの、すべて木の板と釘で打ち付けられているようだ。裏と表に大きなシャッターと、人が出入りするような扉がある。爪跡はシャッターの奥に消えるように続いており、扉の近くの地面には無数の真新しい足跡がある。最近でも、複数の人間が頻繁に出入りしているようだ。
腰に無線機の存在を確認してから扉に耳を当てる。とくに物音などは聞こえないが、獣くさいにおいはより強くなっている。ドアノブに汚れはない。汚れるほど放置されていないのだ。そっと手をかけ、ひねってみるが、鍵がかかっていて扉は開かない。屈んで鍵穴を見た。なんてことない簡単な鍵だ。この程度のものであれば、隊員の多くは針金だけでも開けられるように教え込まれている。或斗の場合、数年にわたる自首訓練の結果、能力を併用すれば瞬時に開けられるようにまでなった。今では得意分野と言える。針金はあるに越したことはないが、少し時間をかければなにも持っていない状態でも鍵開けができるはずだ。
いつ現場で必要になるかわからないため、多くの隊員は鍵開け用の針金をどこかに隠し持っている。もちろん、或斗もその一人だ。携帯方法はそのときによってまちまちだが、最近は厚紙で作られた小さな絆創膏ケースに、絆創膏と一緒に紛れ込ませて胸ポケットに入れている。以前に街で配られていたものを、中身を補充しながら使いまわしているだけだが、意外と使い勝手がいいのだ。
右の胸ポケットのボタンを外し、ケースを取り出す。針金をつまみ出して鍵穴に向けて構えた。
そのとき、ふと、背後に人の気配を感じた。
咄嗟に振り返ったときには既に遅く、頭部に強い衝撃と痛みを受け、そのまま地面に転倒する。或斗が自分の身になにが起きたか理解する前に、意識は闇へと沈んでいった。
声が。
声が聞こえる。
「――じゃなかったのか。いったいなぜ――、――」
「以前にも――がここに、そのとき――。――だと言ってごまかし――」
「――がいるのかもしれない。周囲の見回りは――? ――」
「こいつ一人で――に来たということか? なら都合がいい」
「いいものか。こいつが戻らなければ、他の警備隊員が不審に思って捜しにくるだろう」
「だが、ここがバレちまったからには、帰すわけにもいかねえ」
「……仕方がない。少し早いが、計画を進める。全員、手筈はわかっているな? すぐに実行にかかるぞ。予定どおり、都市部に攻め入る」
「こいつはどうするんだ。……ここで殺すか?」
「ひとまず地下に放り込んでおけ。拘束は厳重にな」
「まあ、都市部を落としきれず半壊止まりになったとしても、こいつから警備隊の詳しい情報を聞き出せば、次の手はすぐに打てるだろう」
「情報は多ければ多いほどいい。せっかく捕らえたんだから利用しないとな」
「利用価値がなくなってから殺せばいいさ」




