10 倦怠に求む作興
或斗、二十四歳。赤兵、二十歳のころ。或斗は相変わらず、公私にメリハリをつけながらも忙しい生活を送っていた。警備隊の人手不足も相変わらずで、普段は女性隊員が任されがちな事務作業も手伝いつつ、出動の指令があれば食事中でも外に飛び出していくのが日常だ。セレイア国は治安が悪い。
めまぐるしくすぎていく多忙の日々を送るうち、火柱の一件などはすっかり忘れてしまった或斗は、マニュアルを手に丁寧な挨拶とともに、肩に挟んでいた受話器を置いた。
「まったく、電話番も楽じゃない」
「最近、くだらないことで通報してくるやつが多すぎるんだよなあ。かと思えば、案外ヤバイ内容の通報もあったりするし」
「その全部に対応していかないといけないのが大変だ」
「で、今度のはなんだった?」
「近所に不審な男たちが複数集まっていて怖いからなんとかしてくれ、だってさ。行くぞ」
「なんだ。くだらねえ。どうでもいいほうかよ」
「くだらないってことはないさ。立派な職務だ」
「そりゃあ、わかってはいるけどさあ」
ぼやく赤兵をなだめながら出発する。通報のあった場所は都市部を西南に向かって離れたところにある、ベアム亡国だった。ベアムとは遠い昔にセレイア国との戦いに敗れ、吸収された小国で、人口が少なく静かだ。国内では比較的平和といえる。
通報者は、かつてベアム国とセレイア国を区分する役割を担っていた森の近くに住む、初老の女性だった。女は或斗たちを見るとまず最初に来るのが遅いと文句を垂れ、若者の職務怠慢を嘆くと、先日の報道紙に載っていた試験を物騒がってから、天気が崩れそうなことを心配した。
次に、或斗をじろじろ観察すると、自分の娘と見合いでもどうかと縁談まで持ちかけ、本題とまるで関係のない話題をまくしたてる女に、見かねた赤兵が間に入った。女は話をさえぎられたことにむっとしたが、通報の件について詳しいことを尋ねると、それもすぐに忘れてようやく本題に入るのだった。
「さっきからねえ、森のほうで変な男が何人もうろうろしてんの。変でしょ? なんかねえ、黒い帽子かぶってたり、マスクつけてたり、みーんな黒っぽい服着てね。ヤダわあ。そんでね、私が怪しんでるとこっち見て『なに見てんだババア』ですって! もうアタマにきちゃって。あれ犯罪者よ! 指名手配犯とか。絶対そう! そうじゃないなら絶対そのうちなんかするわよ! 私が狙われるかもしれない! このままじゃ殺されちゃうわ!」
「ち、ちょっと待ってください。ええ、黒い帽子に黒い服?」
「そうそう。ピアスなんか着けちゃったりして!」
「そういった服装の男性が複数人いたと」
「いたいた。ニット帽と、マスクと、髭生やしてるのもいた! まだまだいたし、もっともっといるわ!」
「どうして、もっとたくさんいると?」
「わかんないわよ、そうかもって思っただけ!」
「はあ」
一応メモは取っているが、つい、なんとも言えない生返事をしてしまった。
「その男たちの年齢はどれくらいに見えましたか?」
「うーんと、そうねえ、二十歳は超えてると思うけど、若かったわ。あ、でも三十代くらい? 四十まではいってないかも」
範囲が広い。
「体格はどうでした? 体型とか、身長とか」
「フツーよ、フツー。太ってもないけど痩せてるってほどでもないし、ウワッ大きい! ってびっくりするほど大きな体ってわけでもなかったわ」
「な、なるほど」
「ねえ、もうホント怖いのよ、なんとかしてちょうだい! 早く逮捕してよ!」
「そう言われましても」
格好が怪しいというだけで逮捕はできない。
「なによォ、なんかあってからじゃ遅いじゃないのよォ!」
「わかりました、わかりました。あの、とりあえず我々がその人たちに話を聞いてみます。もし今後もまだ、変わらず怪しい挙動を見せるようでしたら、またご連絡ください」
その後、森の中で仲間の落し物を探していたのだという男たちにかいつまんで事情を説明し、通報者は伏せたものの、周辺住民の女性に暴言を吐いたことなどを注意してから、来た道を引き返した。
なんだかどっと疲れたような気がする。赤兵もぐったりした様子で、二人はセレイア部隊に戻った。すると、なんだか周囲がばたばたと騒がしいので、近くの隊員に話を聞いたところ、またなにか大きな事件が起きたらしいとのことだった。
「赤兵、指令だ」
「はあん? 今度はなんだよ。迷子の犬探しでもしろって?」
「ここから北東にある、とある集落が荒らされて、住民が消え去ったらしい。現場に急行し、C班と合流せよとのことだ」
「お、いいねえ。ようやく血のたぎるような事件がやってきたってことかい」
「公の場に出ようというときに不謹慎な発言は慎め。行くぞ」
「了解。……ったく、仕事になると冗談通じないんだから」
休む間もなく出発し、列車を乗り継ぎ一時間。最寄駅から徒歩で数十分。到着したのは林に面した位置にある、小さな集落だった場所だ。つい最近まで人が住んでいた様子はあるが、当の住人は一人たりとも見当たらない。消えてしまった――という情報は本当のようだ。先に到着していたC班の班長が、或斗に声をかける。
「ようやく来たか、或斗」
「遅れました。状況は?」
「集落の周辺と林の中を捜索中だが、ここの住人は一人も見つかっていない。見つかったとしても無傷ではないだろう。至る所に大量の血痕が残されている。かなりの惨劇が繰り広げられたようだ。林が広くて、そちらに人員を割いているのだが、人手が少し足りなくてな」
「他に判明していることは」
「カルセットの仕業だということくらいだな。うちの班が詳しく調べているが、そこの森にも有害カルセットが数種、生息していたらしい。カルセットってのは元から狂暴なやつでもない限り、小さな集落であっても人間が集団生活をしているところには近寄らないし、ここの住民たちも、これまで襲撃なんてなかったから油断していたのかもしれない」
「大量繁殖が起きているなら、その均衡が崩れても不思議ではありませんが……」
「ああ。俺もそう思ったが、林を調べてる連中からは今のところ、そういった報告はない」
C班の班長の言うとおり、カルセットというのは普段あまり人里には姿を見せない。なので長い間使われなくなって人間の匂いが消えた廃墟や廃村、森や山などの人間があまり立ち入らないような場所に生息している。
ほとんどのカルセットには繁殖期なるものが存在し、その周期や程度などは種によって異なってくるのだが、ともかく定期的に数が増える。同じ場所に生息している数種類のカルセットが同時に繁殖期を迎えることを大量繁殖と呼び、繁殖期を迎えると大抵のカルセットは気性が荒くなるので、この集落のような小さな集団では襲われてしまう危険がある。今回のようなケースはあまり珍しくもない。辺境ではこういうことも、ときどきあるのだ。そして住人の姿がどこにもなく、血痕だけが残されているということは――一人残らず喰い尽くされてしまった可能性が高い。
C班の班長が或斗の代わりにB班の隊員たちに指示を出す。あくまで或斗たちはC班の応援としてきているので、ここでの仕切りは彼に一任される。或斗はその場にしゃがみ、土を撫でた。
「この集落の隣の林に、どんなカルセットがどれだけ生息しているのか、これが大量繁殖による被害なのかどうかはともかく……ここを襲ったのは獣型のカルセットだろうな。足跡――というか、爪痕が残っている」
赤兵が或斗の隣に片膝をつく。
「じゃあ、その獣たちはどこへ?」
「林に戻った……というのは考えにくいな。さっき聞いたように、C班の隊員たちが調べても増えすぎたカルセットを発見した旨の報告はないらしいし。……いや、でも、大繁殖の線も考えられないでもないから、現時点では断定できないな。近くに潜んでいるか、集団で移動し、住処を変えたか。あるいは誰かが退治したか」
「誰かって、誰が?」
「さあな。住人のなかに能力者がいても不思議じゃないし、たまたま通りかかった誰かということも考えられる。カルセットは絶命すると死体が残らず消えるやつだって多いし」
「なんか、最近こういうの多くないか?」
「防御体制が国の推奨する安全水準に達していない集落や町村は、今も多く存在するからな。カルセットの襲撃対策の強化を呼びかけるか……それで不十分なら、視察も必要だ。直々に見てまわって警備の強化を」
「待ちなよ。それはわかるけどさ、或斗。そんな途方もない作業に時間も人数も割けられんだろうよ。ただでさえ人手が足りねえのに」
「そこなんだよなあ」
或斗は頭を掻く。都市部から離れた場所で集落を結成し、ひっそり閉鎖的に暮らすことを好む人々は、普段から警備隊や国がなにかしらの呼びかけをしても、なかなか言うことを聞いてくれないところが多いのだ。それでも人の命がかかっている。厳しく取り締まっていく必要があるものの、厳しくしすぎては反発心を刺激してしまい逆効果になる。さじ加減がむずかしいうえに警備隊は手が足りておらず、ひとつひとつを見てまわろうとすれば人も時間も足りない。そちらに人数を割いてしまうと、今度は本来の捜査ができない。
「これがジレンマってやつか……ったく。とにかく、報道紙や掲示板、あらゆる手段で村々に警備体制の見直しを呼びかけよう。なにもしないよりはマシだ」
「意味があるとも思えないけど……ま、今はそれくらいしかできねえんだよな」
「なにをするにしても、まずはこの集落をさらに詳しく調べないとな」




