1 入城 ~緑の月 雨曜日~ ①出立
わたしが結婚する 王子さまは誰?
三百年間
長きにわたる戦争が、終結を告げた。
ガレジア帝国、第七皇女
セレンディーナ・リ・ガレジアと
ドルディア王国、王子との
政略的な婚姻に、よって――
***
草木萌える緑の月、雨曜日――
サラサラと柔らかい風が、少女の少し紅潮した頬を撫でてゆく。夢見心地の瞳が追うのは、重厚な革で装飾された本のページ。
テラスに用意された席につき、目の前の美しい菓子にもお茶にも目もくれずに活字を追う様は、まるで文官のようだとマルセイは思う。
幸せそうに活字を追う主には申し訳なかったが、そろそろ三の鐘が鳴ってしまう。急がねばならなかった。
「姫さま? そろそろこちらを飲んで下さいませ、準備が間に合わなくなってしまいます」
「……もう飲まなくてはダメ?」
さっきまで楽しんでいた本を名残惜しそうに閉じ、姫さまと呼ばれた少女は寂しそうにつぶやいた。マルセイは、その様子に胸を痛めつつも、努めて厳しい口調を保つために、一つ咳払いをした。
「もちろんです、身体が変化するまでに鐘半時はかかってしまうんですから、出発の時間に遅れますと、本日中の入城に間に合わず、恥をかくのは父君である陛下なのですよ?」
「……わかりました、飲みます」
シュンと肩を落とす姫君。マルセイはガラス瓶から一つ、大きな虹色のドロップスを取り出して、テーブルの皿の上に置いた。少女は一つため息をついてから、それを口に入れる。マルセイはそれを確認して、主の前にかしずいた。
「セレンディーナ様、四の鐘が鳴りましたら軽めの昼食と着替えを持ってまいります、こちらで過ごすのも最後で名残惜しいでしょう、残りのひと時をゆっくりとお過ごしくださいませ」
「ありがとうマルセイ、お昼はドロップスで食べる自信がないけれど、お出かけ用のドレスは楽しみよ、今日のドレスは何色かしら?」
「もちろん、姫さまのはちみつ色に輝く金色の髪に負けない、ガレジアの赤でございますよ?」
「ふふ……、楽しみだわ」
誇り高くそう言ったマルセイに、セレンディーナは、可憐な花が咲くように笑って頷いた。
***
四の鐘が鳴った――
急激な身体の変調の後遺症で、喉を通らないであろう昼食もそこそこに、出立前の準備が進む。
「お美しいですわ、姫さま」
先ほどとは比べようもないスラリとした体躯に、深紅のドレスを身に纏い、丁寧に編み込まれハーフアップされた蜂蜜色の金髪に、赤い花の細工の飾りが揺れる。腰まである豊かな金髪が、波打つように流れ豪華なドレスを彩っていた。
「ドルディアの王子殿下もきっと、姫さまに一目惚れですわ」
「……」
マルセイの言葉に、淑女のように美しく着飾ったセレンディーナの顔が曇る。
「わたしはかの地に、望まれていないのではないかしら?」
「そんな事は断じてございません、そもそもこの婚姻は、ドルディアからの申し出だったのですよ?」
「では、なんでまだ婚約者の名前さえも、教えてもらえないのかしら?」
「……そ、それは、きっと、何か意味があるのだと思いますよ? そんなことより、姫さまのお顔が雲っていてはせっかくのドレス姿が台無しです」
マルセイの言葉に、セレンディーナは仕方なく鏡の中の自分を見た。優雅にドレスを広げ、膝を少し折り腰を落として笑ってみせる。鏡には成人した美しい淑女が微笑んでいた。
「挨拶だけは、完璧でしょ?」
「ふふ……、はい、花の美神シャルローゼンデリ様かと思いましたわ」
「……それは、言い過ぎよ?」
セレンディーナは頬を赤らめて、少し拗ねたように横を向いた。
主のそんな仕草を可愛らしいと思うも、もう少し見た目に合った大人びた所作を教えないといけないな、とマルセイは息をつく。
「失礼します、翼竜の準備が整ったそうです」
部屋の外でノック音が響き、護衛騎士のアレイナの声が室内に届く。四の鐘が鳴って半時くらいか、そろそろ出発の時間だった。
「アレイナ、姫さまの荷物は、問題なく積み込めましたか?」
急いで姫の身支度用の道具を残りの荷物入れに仕舞いながら、マルセイは確認をとる。
「はい、二台目と三台目に、私達三人の荷物も三台目の残りに問題なく、今マユーラが、それぞれの翼竜を確認しています」
細かく生真面目なアレイナの報告に、同行する護衛騎士が彼女でよかったと、マルセイは安堵した。
元敵地に向かうと言うのに、セレンディーナに同行する従者は驚くほど少ないのだ。ドルディア側の指定だからと言え、帝国の皇女が嫁ぐにはあまりにもお粗末過ぎる。
まぁ、明日の命も保証されていない主に、ついてゆく従者は少ない方が良いのだろうが。
「そう、思ったより早くて助かったわ、……ではセレンディーナさま、そろそろ出発のお時間になります、他に忘れ物はございませんか?」
マルセイが振り返ると、セレンディーナは申し訳なさそうに、鏡台の横に置いていた本を持ち上げた。
「マルセイ、この本を持って行ってもいいかしら?」
「……かまいませんが、籠の中では揺れがひどくて読めませんよ?」
「大丈夫、向こうに着いた時に、読みたいと思ってるの……、初日、二日目ならまだ大丈夫でしょう?」
「仕方ありませんね、あちらでのすり合わせをきちんと覚えていらっしゃるなら、読んでも構いませんよ?」
「そ、それは! ……これから再度、見直します」
語尾が小さくなってゆくセレンディーナの物言いに、マルセイとアレイナは顔を見合わせると、肩をすくめて苦笑し合った。そんな二人に、姫はムゥと口を尖らせる。
「失礼ですよ? 二人とも、わたしだってやる時はやるのです」
「ふふ……、失礼致しました、では早速籠の中で復習いたしましょう」
「……っ」
セレンディーナの持つ本を預かり、残りの荷物の中へ入れていく。
「道中長いので、ゆっくりお話致しますよ?」
「お、お手柔らかにお願いするわ」
にこやかに威圧するマルセイに、観念した姫は何とか言い返すも、しょぼんと頷いた。




