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Democratic Empire 〜民主帝国の皇帝〜  作者:
エスターライヒの残像
1/9

ロニーという男

この作品は架空の世界を舞台にした政治・戦略小説です。実在の国家・人物とは一切関係ありません。

 議会の廊下は、いつも人間の本性を映す鏡だった。

「また来やがった」

 声は背後から聞こえた。振り返る必要もない。ロニー・フォン・エスターライヒは歩みを止めず、ただ前を見ていた。

「敗戦王子が大臣とはな。ギール共和国も落ちたものだ」

「父親は首を晒されたくせに、よく恥ずかしくもなく顔を出せるな」

 囁きが廊下に溶けていく。ロニーはそれを聞きながら、内心で静かに数えていた。反対派、十一人。賛成派、七人。中立、三人。就任を阻もうとした連中の顔と名前は、前夜にすべて記憶した。

 使えるかどうかは、これから判断する。

 隣を歩くエルヴィンが、小声で言った。

「兄さん、聞こえてるよね。気にしないの?」

「聞こえている」

「それだけ?」

「それだけだ」

 エルヴィンは困ったように眉を寄せた。弟はいつもそういう顔をする。感情が顔に出る。実に人間らしい。ロニーは内心でそう思いながら、歩みを緩めなかった。

 扉が開いた。議場に入った瞬間、空気が変わった。拍手はまばらだった。ある議員は露骨に腕を組み、ある議員はそっぽを向いた。最前列、カレル・ドヴォルザークが鋭い目でロニーを見ていた。五十代の老議員。民主化運動の生き残り。エスターライヒ家への憎悪を、五十年かけて政治信念に昇華させた男だ。

 厄介な人間だ。信念のある人間は、利益で動かせない。

 ロニーは演壇に立ち、議場を一望した。

「ギール共和国経済大臣、ロニー・フォン・エスターライヒ。就任いたします」

 声は静かだった。怒鳴る必要も、媚びる必要もない。



 就任から三日後、ロニーは執務室で資料を広げていた。

 大戦から五年半、戦後から何年も経ったのにも関わらず、全く経済成長が見込まれなかった。旧エスターライヒの心臓部、ヴェルナはそこら辺の街に成り下がっていた。

 失業率三十一パーセント。インフラ損壊率六十八パーセント。対外債務、GDP比二百四十パーセント。主要産業稼働率、十二パーセント。

「……改めて見ると酷いな」

 エルヴィンが資料を覗き込みながら呟いた。目に感情が滲んでいる。数字の向こうに、飢えた国民の顔を見ているのだろう。

「酷い、か」ロニーはペンを回しながら言った。「俺には更地に見える」

「更地?」

「壊れたものは設計し直せる。中途半端に残った旧体制の残骸がないほうが、思い通りに組み立てられる」

 エルヴィンはしばらく黙っていた。それから静かに言った。「兄さんって、たまに怖いよ」

 ロニーは答えなかった。白紙に書き始めた。

「ギール共和国経済復興五ヶ年計画」


 翌日、ロニーは大学時代の旧友を執務室に呼んだ。

 ハルト・ヴァイスは部屋に入るなり、机の上に広げられた資料を一瞥し、すぐに理解した顔をした。

「呼ばれると思ってた」

「座れ」

 ハルトは椅子に座り、復興計画の草案を手に取った。しばらく無言でページをめくり、やがて顔を上げた。

「資金源はどうする。この規模、国内では賄えない」

「同盟から借りる」

 ハルトの眉が上がった。「同盟から? 足元を見られるぞ。事実上の属国になりかねない」

「そう思わせておけばいい」

「……どういう意味だ」

 ロニーはハルトを見た。この男は頭がいい。説明すれば理解する。しかし今は、説明する必要がない部分がある。

「融資を受け、復興する。それだけだ。契約書の名義は必ず、同盟名義にする。そこだけ覚えておいてくれ」

 ハルトは何かを察したように口を閉じた。それ以上聞かなかった。この男の優秀さは、聞くべきでないことを聞かない判断力にもある。

「わかった。計画の精度を上げる手伝いをする」

「頼む」



 計画の発表は、国民に衝撃を与えた。

 議会でドヴォルザークが立ち上がった。

「同盟からの借金で復興など、売国行為だ!エスターライヒ家の人間に、この国を売り渡すつもりか!」

 議場がざわめいた。ロニーは静かに立ち上がった。

「では議員、あなたは国民に今夜も飢えて眠れと言うのですか」

「そういう問題では——」

「私は数字と向き合っています。イデオロギーではなく。ギール共和国に今必要なのは、理想論ではなく、来月の食料です」

 拍手が起きた。最初は少数だった。やがて広がった。

 ドヴォルザークはロニーを睨んだまま、座った。その目には憎悪ではなく、警戒があった。

 この男は馬鹿ではない。

 ロニーはそう思いながら、拍手を聞いていた。表情は変えなかった。



 その夜、ロニーは一人執務室に残った。

 机の上には二種類の書類が並んでいた。一つは経済復興計画書。もう一つは、表紙に何も書かれていない薄いファイルだった。

 彼はそのファイルを開いた。中には、ナポリ帝国とヴァルク連邦共和国の国内民族構成、主要政治家の人間関係、両国間の外交摩擦の記録が整理されていた。

 ドアがノックされた。

「兄さん、まだいるの」

 エルヴィンだった。ロニーはファイルを引き出しに入れた。

「入れ」

 エルヴィンは盆に湯気の立つカップを2つ載せて入ってきた。1つをロニーの前に置き、もう1つを持って向かいに座った。

「議会、上手くいったね」エルヴィンは言った。「ドヴォルザーク議員、怖かったけど」

「あの男は正しいことを言っている」

 エルヴィンが目を丸くした。「え?」

「同盟から借金をすることへの警戒は、正論だ。ただ——」ロニーはカップを手に取った。「正しいことを言う人間が、正しい結論に辿り着くとは限らない」

 エルヴィンはしばらく考えてから、言った。「兄さんの言ってること、時々わからなくなる」

「わからなくていい」

「それも怖い」

 ロニーは珍しく、わずかに口の端を緩めた。

 窓の外、ギール共和国の夜景が広がっていた。まだ電力の復旧していない区画は暗く、街はまだら模様だった。

 父上、あなたが作ったものは壊れた。だが——

 ロニーは暗闇を見つめた。

 俺が作り直す。もっと、完璧に。

 夜は長い。やることは山ほどある。

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