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震え

はじめまして、五織と申します。

ゆっくり更新になりますが、楽しんでいただければ嬉しいです。

 それは、風の心地よい初夏の午後のことであった。

「殿下、塔主さまがお見えです」

「珍しいこともあるものですね。読みが外れてしまったわ」

 殿下、と呼ばれた女性は軽く伸びをするとソファから立ち上がった。ゆっくりと歩き出すその足取りはどこか不安定でおぼつかない。

「お久しぶりでございます、セルフィーナ・ルミナリア殿下」

「セラフィオン殿がこちらにいらっしゃるとは。また兄にでも唆されたのですか?」

「いえ、治療のことではなく」

 塔主――セラフィオンがそう言って一度言葉を切る。セルフィーナは静かにその続きを待った。

「昨日の‘星’に関して、セルフィーナ・ルミナリア殿下にご意見を伺いたく」

「……‘星’ですか」

 そう反芻するセルフィーナの声には愁いが滲み出ているようだ。

「私も実際の空を見たわけではありません。観測班から今朝方報告がありました」

 そういい、セラフィオンは星図をどこからともなく取り出し、机の上に載せた。セルフィーナは後ろに手を伸ばし、羽ペンを取る。

「こちら、書き込んでもよろしいでしょうか?」

「ええ」

 方角と星の位置のみが記録された紙であるがセルフィーナは別の何かが見えているかのように、迷いなく手を動かす。

「少し、待っていてくださいね」

 セルフィーナは塔主にそう告げた。すると何処からともなく本が意思を持ったかのように現れ、セルフィーナの手にとあるページが開かれた。

「……星図だけでは確実な判断はできかねますが、綻びが発生しているのではないか、と」

「‘綻び’ですか」

「ええ、少し気になる程度ですが」

「詳細は?」

 抑えきれないのか、セラフィオンは間髪入れずに問いを重ねる。

「なんとも申し上げられません……こういった方向性だろうか、といった見立ては可能かもしれませんが。実際に見てみないと、断言は難しいです」

 セルフィーナはそこで言葉を止め、改めてセラフィオンの目を見てこう伝えた。

「私は星見の専門家ではありません。こういった理論的なことは、魔法塔の皆様の方が本職かと」

「……それは失礼いたしました。塔の方に戻り次第、他の者と協議し、対応にあたります」

 セラフィオンはそう告げ、辞去の挨拶を行い去っていった。

 セルフィーナは、彼が去っていったことを確認して深く息をつく。

「殿下、やはりお通ししない方がよろしかったのでは……?」

「いいのよ、彼も必死なのよ。悪いお方ではないから」

「左様でございましたか」

「……でもすこし疲れてしまったから。今日はもう誰も来客の取次をしないでもらってもいいかしら?もちろん、兄様も例外じゃなくてよ」

 そう侍女に笑うセルフィーナの表情は先ほどと打って変わって和らいでいた。

「お茶を淹れてまいりますね」

 侍女がそう言って応接室から退出する。

「……‘綻び’、か」

 セルフィーナは小さく呟き、机上の星図へと目を落とす。指先でなぞった線がわずかに震える。







 ――あの時も、確かに光は震えていた。だから私は――

 光が、弾けた。

 伸ばした手の先は確かに一度触れた ――はずだった。――けれど。

 それはもう、別の何かに変わっていた。

――「フィーナ、もうやめなさい」







 カップの触れ合う、小さな音がした。セルフィーナはゆっくりと目を瞬かせる。いつの間にか視線は机の上の星図から外れていた。







 

「――ちょ、ちょっと待って!」

 魔法塔の一角で突風が吹き荒れた。

「あっちゃー、盛大にやっちゃったね、新人くん。でも大丈夫、いまならセラフィオン様いらっしゃらないし戻られるまでに片付ければ、叱られない……」

 それはこの時期の風物詩とでも言うべき光景であった。

「ええっと……風よ、」

「ちょ、新人くんストップストーップ!」

 焦ったように制止する女性の傍で、低い声が静かに響いた。

「……毎年のこととはいえ、一度行った失敗を繰り返そうとする者は初めてです」

 ‘新人くん’は恐る恐る振り返る。そこには、魔法塔に勤める者にとって最も恐ろしい存在があった。

「シニカ君、この紙の山を元に戻して損傷がないか確認してください……ノア君は私の部屋へ」

 ノアは周囲の職員たちの憐れむような視線を感じながら、セラフィオンの後を追った。

「ノア君、君は手加減を知らぬ赤子のような魔法しか使えないのかい?」

 セラフィオンの言葉に、ノアは背筋を伸ばした。

「この度はご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」

「……君の学院での成績は知っている」

 その言葉に、思わず顔を上げる。

「教授陣からの評価も高い。推薦書もしっかりしている」

 ――やっぱり、見られている。

「もちろん、私はそれを鵜呑みにするほど愚かではないがね」

セラフィオンは淡々と続ける。

「だが、貴族の後ろ盾もない君の推薦が、不当に高く書かれるとも考えにくい」

 ノアは何も言えなかった。

「――推薦の内容は、概ね事実なのだろう」

 一瞬だけ、胸の奥が軽くなる。しかし

「『大規模な魔法の展開や複数同時展開を得意とする』――そう書かれていたね」

セラフィオンの視線が、まっすぐに突き刺さる。

「だが私は思うのだよ。君はそれを“得意としている”のではない」

「……」

「繊細な制御ができないがために、結果としてそうなっているのではないかと」

 心臓が、大きく跳ねた。

「……っ」

 言い返せない。図星だった。

「次の出張メンバーに君を組み込んでいたが――」

 セラフィオンはわずかに言葉を切る。

「再考する必要がありそうだ」

 頭の中が真っ白になる。

 ――外される。

「……次の、出張ですか?」

 かろうじて、それだけを絞り出した。

「ああ。調査が必要な事案があってね」

 何事もなかったかのように、セラフィオンは続ける。

「失敗すること自体は問題ではない。規模が大きいだけなら対処は容易だ」

「……」

「だが、将来的に魔法開発に関わるのであれば――」

 一歩、踏み込まれるような感覚。

「細やかな制御を身につけるべきだ」

 ノアは小さく息を吸った。

「……はい。心に留めます」

「もう行っていい。シニカたちに謝罪し、作業を手伝いなさい。ただし――魔法の使用は禁止だ」

「承知しました」





 

 ――どこか、噛み合っていない。

 そんな気がした。


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