鳴高市の悪役事情21
その日は、雲一つない、穏やかな青空だった。
「ふう、今日も一日疲れたですね……」
長い一日の終わりを告げるチャイムを、祭は至福そうに聞き入っている。
「そんなこと言って、どうせまた、伯爵のことでも考えてたんだろ?」
「そ、そんなことはありません。今日はどこで待ち伏せしようか、なんて断じて考えていませんよ!」
そんなことを言いながら、帰宅準備を進める俺の元に、そそくさと近寄ってきたということは、聞いて欲しくて仕方がないのだろう。
「今日は、どこで伯爵を待ち伏せるつもりなの、祭?」
後ろの席の伊月が、俺達の話に入ってきた。
最近――というよりは、あの日以降、伊月はこうして、祭やクラスメート達との交流を積極的に図るようになっていた。とはいえ、元々彼女はコミュニケーションに難があったわけでもなく、ただ鳴高市民に対して敬遠している節があっただけで、それが解消された今、彼女が交流を避ける必要もないのだが。それでも、祭のことを親しげに名前で呼び、楽しそうに話をする姿を見ると、どこか安心してしまうのは、伊月の悩みが解決したこと示しているからなのだろうか。
ま、なんにせよ良かった。
「そうそう、祭。俺や伊月がしっかりと聞いてやるから、恥ずかしがらずに教えてみろよ?」
「……別に、祭が善斗くんに話す必要なんてないと思うんだけど。今、聞いているのは私だし」
「え、い、伊月?」
いや、一概に良かったとは言い切れない。
伊月の態度が軟化したことで、男子達がこぞって伊月に話しかけるようになったのだ。いや、伊月に友達が増えるのはいいことだが、なんとなく釈然としない。というより、面白くない。
そしてもう一つ。いや、むしろこちらの方が気にかかることであり、重要な問題だった。
伊月の俺への態度が、かなりキツいということだ。なんというか、こう……、言葉の節々に棘があるというか、捻くれているというか。ただ、以前に仲違いをしていた時とは違って、無視を決め込むのではなく、むしろ自分から積極的に関わってくる。そのくせ、俺が距離を詰めようとすると、途端に引いては機嫌を損ねてしまう。
ああ、訳がわからない。
思い返してみれば、伊月がこんな風になったのは、あの告白以降だった。ヒーローが好きだと、無理やり宣言させたのが悪かったのだろうか。
おかしいな。
『ヒーローだけでなく、伯爵のことも好きになってくれよ』――なんて、爽やかに冗談まで言ったのに。なんだって伊月は、顔を赤らめて憤慨していたのだろう。鈍感、だなんて、怒られる意味すらわからない。
悪の怪人たるこの俺が、人の気持ちに気付かぬはずがないだろう?
「あはは、伊月ちゃんは相変わらず、善斗くんには厳しいですね」
つんと顎をあげ、俺をあしらう伊月を見て、祭は面白そうに手を叩く。いや、笑い事じゃないぞ、祭。
「あ、そうそう。今日はですね……」
結局、最初から隠す意思などまるでなかった祭は、俺達に向けて、自慢気に今日の作戦を口にする。
こうして、俺達の放課後は過ぎていく。お楽しみの、ショーに向けて。
◇◇◇◇
「うーっす」
「こんにちは」
相変わらず、おっちゃんの店には誰一人として客はいなかった。
「おっ、善ちゃんに伊月ちゃん。仲良くご同伴?」
「……善斗、遅い。私、待ちくたびれちゃった……」
カウンターの裏でタバコを吸うおっちゃんも、カウンターに頬杖をつきながら携帯を触る那由多も、最早見慣れた姿だった。
「同伴なんかじゃないですよ。善斗くんったら、祭と話していて中々動こうとしないから、無理やり引っ張ってきただけです。ね?」
「ちょっと盛り上がっただけだろ! それを無理やり引っ張ってきやがってさ……」
「あら、なにか言ったかしら?」
「……はいはい。店の中で言い争いはしないでくれるかな?」
カウンター裏から仲裁を入れてきたおっちゃんの顔は、意味ありげににやついていて、どことなく腹立たしい。
「あ、善斗。これ見て! 私ね、今日のテストで満点とっちゃったの!」
そんな中、俺達の間に割り込み、ランドセルから花丸のついたテスト用紙を取り出すと、俺へと見せつけてきた那由多。しかも、ご丁寧に、視界にある伊月の顔を、テスト用紙で隠すといった、地味な嫌がらせのおまけ付きで。
「……善斗くん、時間は、大丈夫なのかしら?」
あ、ヤバい。この声の感じ、伊月の奴、完全に怒ってる。
「わ、悪い、那由多。ちょっと時間もヤバいし、この話はまた後でな?」
那由多の頭を軽く撫でてやる。
あ、あれ、伊月の口元が軽くひくついてる。なんだって、こんなに機嫌が悪いんだよ、今日の伊月は。
「はは、ほらほら、二人とも。善斗の奴が着替えるから、ちょっと後ろ向いててやってな?」
カウンター裏に回り、エナメルバックの中から着替えを取り出す頃合いを見計らって、おっちゃんが絶妙なフォローを入れてくれた。
「全く、早くしてよね!」
「えー、私は別に構わないのに……」
口々に文句を言いつつも、しっかりと背中を向けてくれた女性陣にため息をつき、俺はベルトを緩めた。
「それにしても、仁太郎の馬鹿はいつになったら治るんだ?」
「……確かに」
呆れたように呟くおっちゃんに、俺は素直に同意した。こうして俺が、再び伯爵として活動しなければならなくなったのは、親父の間抜けさによるものだった。
「復帰初日に、ぎっくり腰の再発だなんて、さすがの俺も言葉がでなかったよ。母さんも呆れてた。元気なのは本人だけだったよ」
「それでまた、伯爵を任されたってか。大変だな、善ちゃん」
「ま、今に始まったことじゃないし。それに、なんだかんだで結構楽しいんだ、最近はさ?」
相変わらず、俺に筒抜けな待ち伏せ計画を口にする祭をかわし、こうして店に来ては、伯爵として鳴高市に飛び出していく。
そんな、以前と変わり映えしない日常を、最近では楽しいとすら思えるようになってきた。
それは、新たに協力してくれることになった伊月の参入だけではきっとない。俺が、伯爵として、やりがいを見出すようになったことが、最も大きかった。
伊月のお父さんが目を覚ますまで、高笑いしながら待っていること。
伯爵を待ってくれている人達に、笑顔を届けること。
そして、実は目立ちたがりの、俺の本能を満たすこと。
これら全てが俺のやりがいであり、伯爵としての存在意義だった。
「よし、準備完了」
マスクにて仮面を隠し、背中のマントを大きく靡かせた。
「気をつけてな、善ちゃん」
「善斗、しっかりね!」
口々に送られるエールに、俺は親指を立てて答えた。
「あ、ちょっと待って、善斗くん!」
「ん?」
「もう、ネクタイ曲がってるじゃない」
伊月が、俺の首元のネクタイをきゅっと上げてくれた。そのまま、しばらく見つめ合う。
視線を逸らしたのは、どちらが先だったろうか。
「あ、ありがと……」
「……い、いいわよ。ほら、頑張りなさい!」
彼女の微笑みを目に焼き付けて、俺は裏口から飛び出していく。
鳴高の平和を乱す悪の怪人、ジョーカー伯爵として、ヒーロー達と戦いを繰り広げるために。
今日も、ジョーカー伯爵の高笑いは響き渡るだろう。鳴高市の悪役事情は、通常運転なのだから。




