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細川ガラシャになる前の明智玉でした。父の謀反を止めないと私が燃えるので必死です  作者: れんれん


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第七十七話「経済封鎖 ― 信長の刃 ―」

岐阜城の朝は、冷たかった。

戦の匂いは消えている。

だが代わりに、金と噂の匂いが漂っていた。


廊下を歩く者たちの声が小さい。

足音が慎重だ。

誰もが分かっている。

これは戦ではない。

だが戦より恐ろしい。

信長が、刀を抜かずに人を殺す策を選んだのだ。



信長の間。

信長は座していた。

膝の前には地図。

畳の上には帳面。


そして、商人たちが差し出した品目の控え。

米、塩、鉄、硝石、紙、酒、布、馬。

都に流れるもの。

都から流れるもの。

信長はそれらを眺めながら、鼻で笑った。

「細川は都を使う」

言葉は淡々としている。


だがその声は、氷のように冷たい。

「ならば都へ流れる道を、俺が握る」

信忠が一段下に控えている。

「殿、堺の商人はすでに動いております。

近江の豪商も同様に」

信長は頷いた。

「よい」

その“よい”は褒め言葉ではない。

戦が始まった合図だ。


信長は信忠を見下ろした。

「信忠。細川は狡猾だ。

正面から叩けば、都は細川を哀れむ」

信忠は息を呑む。

信長は続けた。

「哀れめば、都は味方する。

味方すれば、細川は生きる」

信長は笑った。

「ならば哀れむ暇も与えぬ」


信長は畳に指を置く。

「細川の領に流れる塩を止めろ」

信忠が目を見開く。

「塩を……」

信長は言葉を重ねる。

「鉄もだ。

紙もだ。

酒もだ。

布もだ」

それは兵糧攻めではない。

生活を殺す攻めだ。


信忠は慎重に問う。

「殿、それは……戦と同じにございます」

信長は即答した。

「戦だ」

一瞬、沈黙が落ちた。

信長は低く続ける。

「だが刀を抜かぬ戦だ。

抜けば血が流れる。血が流れれば英雄が生まれる」

信長の目が細くなる。

「英雄など要らぬ」

信忠は背筋を伸ばした。

「では、商人を縛りますか」

信長は頷く。

「縛るのではない。

貸しを作る」

信長は机を叩く。

「織田の頼みだと伝えろ。

損はさせぬ。穴埋めは俺が担保する」


信忠は理解した。

信長が担保する。

その一言で商人は逆らえない。

信長はさらに言った。

「細川に品を流した者は、織田の市で商いできぬ」

信忠の顔が引き締まる。

「堺も……」

「堺もだ」

信長は即答した。

「堺は金で動く。

金が止まれば堺は従う」

信忠は拳を握った。

この策は強すぎる。

だが殿は迷っていない。


信長は言い切った。

「細川を干す」

「飢えさせるのは兵ではない。

細川の顔だ」

信忠はその意味を悟った。

細川は公家に贈り物をする。

金を流し、礼を買い、噂を買う。

その金が尽きれば

細川は都で言葉を失う。


信長は襖の向こうへ声を投げた。

「滝川を呼べ」

すぐに滝川一益が入る。

「殿」

信長は命じた。

「関所を締めろ。

細川へ流れる荷を止める」

滝川の目が鋭くなる。

「……承知」

信長は続ける。

「表向きは、治安のためだ。

荷の検めを厳しくする。

理由は作れ」


滝川は頷いた。

「京の治安を口実にすれば、誰も逆らえませぬ」

信長は笑った。

「そうだ。

都は礼を欲しがる。ならば礼で縛ってやる」

その頃、玉は廊下で偶然、信忠の家臣の会話を聞いた。

「塩の流れを止める」

「鉄も止める」

「細川の領へは通さぬ」

「商人が逆らえば市を閉める」


玉の足が止まった。

背筋が冷える。

(経済封鎖……)

言葉は知らない。

だが意味は分かる。

金と物を止めれば、人は息ができない。

玉は唇を噛んだ。

細川は狡猾だ。

だが信長は、狡猾を超えている。


玉の胸がざわつく。

嬉しいのか、怖いのか分からない。

細川が弱れば、自分は救われる。

だが信長がここまで苛烈になれば、都は恐れる。

恐れれば――朝廷はさらに鎖を求める。

鎖を求めれば、光秀が再び試される。


玉は息を吸った。

(殿は父を守ろうとしている)

(でも、殿が火になれば、光秀は燃える)

矛盾が胸を裂く。

玉は拳を握りしめた。

(止めたい)

(けれど、止める言葉がない)

玉は帰蝶の姿を思い浮かべた。

帰蝶なら、言葉を知っている。

礼を知っている。

都の鎖を知っている。

玉は駆け出した。

帰蝶のもとへ。


帰蝶の部屋。

帰蝶は扇を閉じ、静かに玉を迎えた。

玉の顔を見ただけで、何が起きたかを悟ったように微笑む。

「聞いたか」

玉は息を整えながら頷いた。

「殿が……細川を……」

帰蝶は淡々と言った。

「干すのだろう」

その言葉は軽い。

だが意味は重い。

玉は声を震わせた。

「都が……騒ぎませんか」

帰蝶は笑った。

「騒ぐ。必ず騒ぐ」

そして静かに言った。

「だが騒がせるために、殿はやっている」

玉の瞳が揺れる。


帰蝶は続けた。

「都は恐れねばならぬ。

恐れれば、勝手に動けぬ」

玉は息を呑む。

帰蝶は扇で口元を隠した。

「恐れた朝廷は、細川に寄り添う余裕を失う。

金が止まり、贈り物が止まり、

噂を買う銭が止まる」

玉の胸が苦しくなる。

「それでは細川は……」

帰蝶は頷いた。

「枯れる」

その一言が、冷たい刃のように落ちた。


玉は唇を噛む。

細川が枯れるなら、自分は救われる。

だがそれは、血の出ない処刑だ。

玉は小さく問う。

「殿は……本当にここまで」

帰蝶は玉を見つめた。

「殿は天下を取るお方だ」

「天下を取るとは、こういうことだ」

玉は言葉を失った。


その夜。

信長は岐阜城の天守から町の灯を見下ろしていた。

灯は、商いの灯。

民の息の灯。

信長はそれを眺め、静かに笑った。

刀は人を殺す。

だが金は、国を殺す。

細川は礼を使う。

ならばこちらは、道を使う。

信長は小さく呟く。

「細川……」

「都を使うなら、都ごと干してやる」


その言葉は冗談ではなかった。

そしてその瞬間から、

細川の領へ向かう荷車は止まり始める。

塩が止まり、鉄が止まり、紙が止まり、酒が止まる。

贈り物が途絶えれば、公家は離れる。

金が尽きれば、噂も死ぬ。

細川は、都で孤立する。

信長は夜風を受け、目を細めた。

「刃を送った報いだ」

「次は、お前の番だ」

天下の戦は、血を流さずに進んでいった。

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