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細川ガラシャになる前の明智玉でした。父の謀反を止めないと私が燃えるので必死です  作者: れんれん


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第六十九話「火を囲む者たち」

城内は、再び忙しさに包まれていた。

長篠の祝勝宴が終わったばかりだというのに、

次の宴の準備が進められている。


武将たちは不思議がった。

「また宴か」

「殿はよほど機嫌がよいらしい」

だが、玉には分かっていた。

これは宴ではない。

戦だ。


細川の言葉が刺さったあの夜から、

自分はもう“姫”ではなくなった。

才を持つ者。

火を扱う者。

そして、欲しがられる者。


玉は廊下を歩きながら、胸の奥の恐怖を押し殺した。

(私は……怖い)

怖いのに、逃げられない。

帰蝶は言った。

堂々としていろ、と。

信忠は言った。

守る、と。

信長は笑った。

面白い、と。

そして細川は

欲しい、と言った。


玉は胸に手を当てる。

心臓がうるさいほど鳴っている。

鼓動が止まれば、楽になれる気さえした。

だが、止まるわけにはいかない。

(……私は火になった)

火なら燃えるしかない。


宴の刻。

大広間は前回以上に整えられていた。

だが華美ではない。

上品で、静かな威がある。

座の配置も、帰蝶が整えたのが分かった。

細川の席は前より一段下。

目立つ位置だが、上座ではない。


玉はその配置を見て、息を呑む。

(……帰蝶様が、最初から戦を組んでいる)

信長は上座に座し、杯を手にしている。

機嫌は良い。いや、良すぎる。

信忠は少し硬い表情で信長の近くに控え、

明智光秀は例によって影の位置から全体を見渡していた。

細川もまた、穏やかな笑みを浮かべて座している。


だが玉は気づく。

細川の目は、笑っていない。

(……あの目は、値を測っている)

玉は深く息を吸った。

震えそうになる手を、袖の中で握り締める。

(堂々と。笑え。私は、負けない)

最初に出されたのは、先付だった。

白身魚の昆布締め。

鯛の身は薄く切られ、昆布の香りが静かに立つ。

武将たちは驚いた。

「……これは、上品だな」

信長は箸を伸ばし、一口食べる。

「ほう」

短い声。

だがその目がわずかに光った。


信長の心の声が、楽しげに響く。

(玉は派手に来ると思ったが、最初は抑えたか。

よい。宴は最初が肝だ。最初で格を決める)

帰蝶は扇で口元を隠し、微笑む。

(まず京の味。細川に刺さる。

“武家の宴”ではなく“都の香り”を見せる。

玉、よく分かっている)

細川も箸を伸ばし、昆布締めを口に入れる。

細川の思考が静かに動く。

(……京の味。

ただの武家の勝ち宴ではない。

帰蝶が手を入れているな)


細川は微笑みながら杯を置いた。

(この宴は、私に向けたものだ。

玉を諦めさせるための宴――いや、

玉の価値をさらに高めて、私を縛る宴か)

細川は目を細める。

(ならばなおさら欲しい。

あの娘は料理で空気を作り、男の心を操れる。

細川の妻にすれば、家は一段上がる)


次に出されたのは鮎の塩焼きだった。

串打ちされた鮎が、皿に美しく並ぶ。

香ばしい匂いが広間に広がり、武家の宴らしい熱が戻る。

秀吉が笑った。

「おお、鮎か!これは良い!」

柴田勝家も頷く。

「清流の魚。縁起が良い」


信忠は鮎を口にし、玉を見た。

(玉は、怯えていないか……?

いや、笑っている。だが目が固い。

無理をしている)

信忠は拳を握る。

(細川がまた動けば、俺はまた止める。

今度はもっと強く言う。

あの娘は――奪わせぬ)

玉はその視線に気づき、胸が苦しくなった。

(信忠様……どうしてそんな目で見てくださるのですか)

守られることが、嬉しいのか、怖いのか分からない。

守られるほど、自由が消える。

帰蝶の言葉が胸に刺さる。

(私は……どうすれば)


そのとき。

広間の外がざわついた。

女中たちが運び込むのは、七輪。

炭が赤く燃え、火の気配が宴の中心に入り込む。

武将たちが一斉に顔を上げる。

「また火か!」

「殿の宴は火を使うのが流行りか!」


信長が笑った。

「よい。火は勝ちの象徴だ。

武田を焼き払った夜に、火が無いなどつまらぬ」

(火を囲むと、男は戦を思い出す。

血を思い出し、勝利を思い出す。

そして、俺を思い出す)


帰蝶は扇を揺らす。

(殿は本当に楽しそうだ。

玉の火は殿の心まで燃やした。

だが燃えすぎれば、火は城をも焼く)

七輪の上に置かれたのは貝だった。

蛤、帆立。

殻が開き、潮の香りが立ち上がる。

ぱちぱちと炭が弾け、

香りが広間を支配した。


武将たちは一斉に笑い声を上げる。

「これは……酒が進む!」

「殻が開くのが面白い!」

玉は静かに頭を下げた。

「蛤は夫婦貝。

二枚が揃わねば合わぬと申します。

宴の縁起として、これほどのものはございませぬ」


その瞬間、細川の目が光った。

(夫婦貝……。

婚姻の話を避けるための言葉に見えるが、違う。

これは“婚姻の正当性”を場に刻んだ)

細川は内心で笑う。

(やはり玉は賢い。

私が欲しがるほど、価値が上がる。

織田はそれを理解している)


信忠の眉が動いた。

(夫婦貝……この場でそれを言うか。

玉、何を考えている。

いや、違う。これは細川への牽制だ)


帰蝶は微笑む。

(玉。いいぞ。

“夫婦”を口にしても、誰の夫婦とも言っていない。

細川は勝手に自分を重ねる。

そして自分で縛られる)

そして、主役が運び込まれた。

鍋。

今回は鯛ではない。

猪鍋だった。


肉の香りが湯気と共に広がり、

広間の男たちの目が一気に変わる。

「猪か!」

「武勇の鍋だ!」

信長は声を上げて笑った。

「よいぞ!

武田を討った夜に、獣を食わずして何を祝う!」

(武田の騎馬は獣だった。

なら獣を食い、獣を支配する。

宴は勝者の儀式だ)

猪の肉は出汁に溶け、

脂が湯の表面に浮かび、香りが濃くなる。

さらに添えられたのは、酸味のあるつけ汁。

武将たちが口にした瞬間、驚きの声が上がる。

「……締まる!」

「肉が軽くなる!」


秀吉が笑った。

「これは恐ろしい!いくらでも食える!」

玉はその声を聞きながら、背筋を正した。

(皆が喜んでいる……殿も笑っている)

だが、玉の胸はまだ冷たい。

(私は喜ばせるほど、狙われる)

そう思った瞬間、細川が静かに口を開いた。

「……殿」

信長が目を向ける。

「申せ、細川」


細川は穏やかに笑った。

「この宴を見て、改めて思いました。

玉殿は、織田に留めておくには惜しい」

その言葉に、広間の空気がわずかに止まった。

玉の指先が震える。

(また……また始まる)


細川は続けた。

「このような才が、織田の中に埋もれるのは天下の損失。

我が家に迎えれば、都にも武家にも通じる妻となりましょう」

細川の思考が、表に滲む。

(殿が断ろうと、私は諦めぬ。

玉はただの姫ではない。

帰蝶の後ろ盾があるなら尚更だ。

手に入れれば、細川は織田の次に立てる)

細川は心の中で確信していた。

(織田の火は危うい。

だが危うい火ほど、手元に置けば強い武器となる。

私はその火を手に入れる)


信忠の顔が強張った。

(しつこい……!

どれだけ断られても、場を変えて言う。

これが細川のやり方か)

信忠は立ち上がりかけた。


だが信長が、指を軽く上げて止めた。

信長は笑ったまま言った。

「細川。お前は玉を欲しがるが

欲しがるほど、価値が上がることを分かっているか?」

細川は目を細める。

「もちろん」

信長は杯を置き、言った。

「なら教えてやる。

玉は“織田の火”だ」

広間が静まる。


信長の声が、ゆっくりと響く。

「火はな、持ち主が決める。

火を渡せば、渡した者が火に焼かれる」

細川の眉がわずかに動く。

信長は続けた。

「玉はもう姫ではない。

織田の“策”だ。

帰蝶の“目”だ。

信忠の“命の恩人”だ」

信忠が息を呑む。


帰蝶は微笑みながら、心の中で思った。

(殿……よく言った。

“織田の策”と言った瞬間、玉は家臣と同じ扱いになる。

嫁に出す駒ではなく、織田の武器になる)


信長は、さらに踏み込んだ。

「そして――俺が手元に置く“楽しみ”だ」

武将たちが笑った。

だが細川は笑わない。

(これでいい。

玉を欲しがれば欲しがるほど、

細川は“織田の火を奪おうとする者”になる。

それは天下の敵と同じだ)

信長は細川を見据え、言い切った。

「玉は、織田の城の中で使う。

他家に渡す気はない」

細川の目が、わずかに細くなった。


信長は畳み掛ける。

「それでも欲しいと言うなら――

お前は織田の“策”を盗もうとする者だ。

細川、お前はそれを背負えるか?」

その言葉は、脅しではない。

宣言だった。


細川は、初めて黙った。

周囲の武将たちの視線が一斉に細川へ向く。

今この場で「欲しい」と言えば、

細川は織田の敵になる。

細川の思考が激しく動く。

(……殿は、玉を“人”としてではなく、“織田の武器”として宣言した。

この瞬間、玉を求めることは織田の策を奪うことと同義になる)


細川は内心で歯を噛む。

(やられた。

これでは手を出せば、織田の諸将の敵意を一身に受ける。

信長は宴の場で、私の道を潰した)

細川は笑みを作り、ゆっくりと頭を下げた。

「……恐れ入りました。殿の仰せの通りに」


それは撤退だった。

完全に。

玉は息を止めていた。

心臓が痛いほど鳴っている。

だが、信長の言葉を聞いた瞬間、

恐怖とは違う感情が胸に湧いた。

(……私は、織田の策)

それは守られたという安心ではない。

もっと恐ろしい。

自分が、道具として“確定”した感覚。


帰蝶の心の声が、冷たく優しく響く。

(玉。これで細川は手を引く。

だが代わりに、お前は殿の火として縛られる。

逃げ場はない。

なら――燃えろ)


信忠は玉を見た。

(殿は守った。だが、守り方が違う。

玉を“嫁に出さぬ”のではない。

“織田のものにした”のだ)

信忠は拳を握る。

(それでもいい。奪われるよりは。

だが……玉は苦しいはずだ)


信長は笑っていた。

満足そうに杯を掲げる。

(これで細川は引く。

いや、引かざるを得ぬ。

宴は勝ちの場だ。勝ちの場で負けを認めさせるのが一番だ)


信長は杯を上げた。

「さあ、飲め。

織田の勝ち宴は、まだ終わらぬ!」

武将たちが声を揃える。

「ははっ!!」


明智光秀は、ただ黙って杯を持っていた。

表情は変えない。

だが内心は冷えていた。

(殿は細川を退けた。

だが代償に、玉を“織田の火”と宣言した)

光秀は静かに目を伏せる。

(火は便利だ。

だが火は、いつか持ち主の手も焼く)

そして光秀は心の中で、誰にも聞こえぬように呟いた。

(……殿。

その火を、最後まで扱いきれますか)

宴は続いた。

笑い声が戻り、

猪鍋の湯気が広間を満たす。


だが玉は知っていた。

今夜、細川は退いた。

だが自分は自由になったわけではない。

むしろ逆だ。

信長の言葉で、

自分は織田の中で逃げられない存在になった。

玉は膝の上で手を握り締めた。

震えは止まっていない。

だがその震えは恐怖だけではない。

(私は……燃えるしかない)

宴の中央で揺れる火が、

玉の目に映った。

炭火は静かに赤く、

まるで次の戦を待つように燃えていた。

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