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細川ガラシャになる前の明智玉でした。父の謀反を止めないと私が燃えるので必死です  作者: れんれん


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第百五十四話 「影の匂い」

岐阜の市は、ますます熱を帯びていた。

織田銭が流れ始めたことで、商いは一段と活気を増した。

銭が揃えば値が揃い、値が揃えば売買が早くなる。

商人は笑い、民は潤う。


城下は、まるで天下泰平の世が訪れたかのように見えた。

だが玉は、その光景を見ながら胸の奥に冷たいものを感じていた。


順調な時ほど、危険は近い。

帰蝶の言葉が、玉の頭から離れなかった。


祝いは隙を生む。

銭は欲を生む。

欲は争いを生む。

玉は奥の部屋で、静かに筆を走らせていた。


新たに整えた奥向きの文の控え。

贈答の記録。

奥方たちの名簿。

家臣の妻女たちへの挨拶状。

正室となってから、学びは尽きなかった。

それでも玉は、耳を外に向けていた。


その時、襖の向こうから控えめな声がした。

「奥方様」

玉は顔を上げる。

「入って」

侍女が一人、膝をついて頭を下げた。

帰蝶が新たに付けた者で、口が堅く、目が鋭い女だった。


侍女は小声で言う。

「城下の茶屋にて、妙な噂がございます」

玉の胸がわずかに跳ねた。

「どのような噂です」

侍女は答える。

「織田銭を偽る者が出るかもしれぬ、と」 「すでに銭の型を探っている者がいる、と」


玉は静かに息を吐いた。

やはり来た。

銭は信用である。

信用を奪う者は必ず現れる。

玉は問いかける。

「誰が、その話を」

侍女は言った。

「堺の商人の口から漏れたようです」 「岐阜にいる商人が、酒の席で言っていたと」

玉は頷いた。

「他には」

侍女はさらに声を落とした。

「銭を溶かす施設の場所を探っている者がいる、とも」

玉の背筋が冷たくなった。

荒銭を溶かす場所は、織田の新しい力の源になる。

そこを狙われれば、銭の流通が止まる。


玉は侍女を見て言った。

「その噂を流している者の特徴は」

侍女は答える。

「顔は知らぬと」 「ただ、酒を奢り、言葉巧みに聞き出す者がいるそうでございます」


玉は侍女に言った。

「帰蝶様にお伝えして」

侍女は頭を下げ、退いた。

玉は一人、筆を置いた。

順調に進むほど、敵は内部に潜る。

外から攻めるより、内から崩す方が早いからだ。

玉は胸の奥で呟いた。

織田銭を狙う者がいる。

それは織田の覇を止めたい者。

誰だ。

毛利か。

武田残党か。

あるいは、織田家中の誰かか。

あるいは本当に堺の商人か

玉の思考が巡る。

その時、襖が開いた。

帰蝶だった。

帰蝶は玉の顔を見るなり、すべてを察したように言う。

「噂が来たか」


玉は頷いた。

「はい」 「偽造の話と、溶かす施設の場所を探る者がいると」

帰蝶は茶を注ぎながら淡々と言った。

「当然だ」 「銭は刀より狙われる」

玉は問いかけた。

「帰蝶様、これは他国の間者でしょうか」

帰蝶は少しだけ考え、答えた。

「どちらもあり得る」

玉は唇を噛む。

帰蝶は続けた。

「だが偽造は、外の者だけではできぬ」 「型を知り、銭の重さを知り、流通の仕組みを知る者が要る」

「つまり、織田の中に耳がある可能性が高い」


玉は拳を握った。

「……奥から漏れる可能性も」

帰蝶は首を振る。

「奥ではない」

玉は驚く。

帰蝶は淡々と断じた。

「奥は私が握っている」 「漏れるとすれば表だ」

玉は息を呑んだ。


信忠の側近。

奉行。

蔵を管理する者。

銭を鋳造する職人の監督。

誰でもあり得る。

玉は静かに言った。

「信忠様にお伝えすべきでしょうか」

帰蝶は扇を閉じた。

「殿に先に伝える」 「若様は動きが早い」 「早すぎれば敵が逃げる」

玉は頷いた。

「はい」

帰蝶は玉を見て言った。

「玉」 「お前は焦るな」

「焦れば、目が曇る」

玉は深く頭を下げた。

「心得ております」

帰蝶は静かに立ち上がった。

「今は一つだけ覚えよ」

玉は顔を上げる。

帰蝶は淡々と告げた。

「銭は人を豊かにする」 「だが同時に、人の心を腐らせる」

「織田が銭を握ったなら」 「織田を妬む者は必ず現れる」


玉は頷いた。

「はい」

帰蝶は襖に手をかけた。

「そして」 「妬む者は、必ず近い場所にいる」

帰蝶が去った後、玉は一人、窓の外を見た。

岐阜の灯りは美しく、賑わいは尽きない。

だがその光の中で、影が伸びている気がした。


玉は思う。

歴史は揺れている。

織田は強くなりすぎている。

強くなればなるほど、敵は増える。

そして敵は、外だけではない。

玉は胸の奥で静かに誓った。

私は奥で学び続ける。

そして、守る。

信忠様を。

織田を。

そして、この未来を。

だがその未来の先に、本能寺があることを忘れてはならない。


本能寺まであと四百七日

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