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細川ガラシャになる前の明智玉でした。父の謀反を止めないと私が燃えるので必死です  作者: れんれん


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第百四十四話 「三者会談」

岐阜城の朝は澄んでいた。


祝言の喧騒は一夜で収まったはずなのに、城下にはまだ祭りの余韻が残っている。

屋台は引かず、商人は声を張り、酒の香りが風に混じって漂っていた。


織田家嫡男が正室を迎えた。


その事実だけで、岐阜という町は浮き立つ。

だが城の奥、信長の座す部屋だけは違った。

祝いの色は薄く、空気は冷たい。

信長はすでに座していた。

朝餉は済ませている。

盃はあるが、酒には口をつけていない。

信長は考える時ほど酒を飲まぬ。


襖の外で足音が止まった。

「信忠にございます」

落ち着いた声。

その隣に、光秀の気配があった。

「入れ」

襖が開き、信忠が先に入り、光秀が続いた。

二人は畳に膝をつき、深く頭を下げる。

「昨日は祝言、滞りなく終えました」

信忠が言った。

光秀も続ける。

「殿のお計らいにより、諸将も城下も大いに沸き、織田の威光は広く行き渡っております」

信長は頷くだけで、すぐには言葉を返さなかった。

沈黙が落ちる。

信忠は黙って待つ。

光秀も息を殺すように沈黙を守った。


やがて信長が口を開く。

「座れ」

二人は姿勢を整え、正座のまま座を定めた。

信長はまず信忠を見た。

嫡男。

若いが、目に迷いは少ない。

信長は言った。

「信忠」

「昨日の場、よく持たせた」

信忠の眉が僅かに動いた。

父から褒め言葉が出ることは少ない。

信忠は深く頭を下げた。

「ははっ」

信長は続ける。

「祝いの場ほど油断が出る」

「人は酒で舌を滑らせる」

「そこで余計な言葉を吐けば、後で刃となる」

信忠は静かに答える。

「心得ております」

信長は鼻で笑った。

「ならばよい」


信長は視線を光秀へ移す。

「光秀」

光秀はすぐに頭を下げた。

「はっ」

信長は一拍置き、低い声で言った。

「お前も、よく持たせたな」

光秀の肩が僅かに震えた。

祝言の場は戦場ではない。

だが政治の場としては、戦場より危うい。

そこで立ち続けることは、剣を振るうより疲れる。

信長は淡々と言った。

「お前の顔が崩れれば明智が崩れる」

「明智が崩れれば玉が揺れる」

「玉が揺れれば信忠も揺れる」

信忠はわずかに息を呑んだ。

信長は続ける。

「祝いとは家の形を固める儀式だ」

「形が崩れれば天下の形も崩れる」

光秀は深く頭を下げた。

「恐れ入ります」


信忠が口を開く。

「父上」

「昨日、光秀殿は終始、私の側にあり、家臣たちの視線を整えてくださいました」

「私はあの場で、光秀殿の真価を改めて知りました」

光秀は慌てて首を振った。

「若様、それは……」

信忠は静かに遮った。

「否」

「私は見ておりました」

信長はそのやり取りを眺め、しばし沈黙した。


そして唐突に言った。

「光秀」

光秀は身を正す。

「これからは家族の一員として頼むぞ」

その瞬間、空気が変わった。

信忠の目が僅かに見開かれる。

光秀は息が止まった。

信長が家族と言った。

それは褒美より重い。

領地より重い。

光秀の胸に深く刺さった。


光秀は深く頭を下げた。

「ありがたきお言葉」

「この光秀、身命を賭して織田家に尽くします」

信長は頷いた。

「よい」

そして信長は続ける。

「お前は働きすぎた」

光秀は微かに唇を噛んだ。

その言葉は痛かった。

信長は知っていたのだ。

光秀が疲弊していることを。

京での圧に押し潰されかけていることを。


信長は淡々と言う。

「お前が倒れれば織田の損だ」

「だから役目を変える」

光秀は顔を伏せる。

「殿……」

信長は言った。

「お前は戦場の調整役ではなく、信忠の政を支えよ」

信忠が顔を上げた。


信長は続ける。

「信忠は武もできる」

「だが政の場ではまだ若い」

「天下を取るのは刀だが、天下を治めるのは筆だ」

信長は光秀を見据える。

「光秀」

「お前の筆を信忠に渡せ」

光秀は深く頭を下げた。

「ははっ」

その声には震えが混じった。

信忠が静かに言った。

「光秀殿」

「私は学びます」

「天下を預かる器となるために」

光秀は信忠を見た。

若い。

だが覚悟がある。

その目は揺れていない。

光秀は思った。

私は救われたのかもしれぬ。


信長はさらに言った。

「加増も与える」

光秀の眉が僅かに動いた。

信長は続ける。

「褒美ではない」

「お前が信忠の後見となる以上、明智家の格が低ければ誰も従わぬ」

「だから上げる」

信長は淡々と告げる。

「明智は織田の柱だ」

光秀はまた言葉を失った。

信忠が口を開く。

「父上」

「では私は岐阜を拠点に政を学び、必要があれば畿内へ戻る」

「その形でよろしいでしょうか」

信長は頷く。

「よい」

「毛利は秀吉に任せる」

「北は勝家に任せる」

「信忠、お前は岐阜で力を蓄えよ」


信忠は深く頭を下げた。

「ははっ」

信長は光秀を見た。

「光秀」

「京のことを忘れるな」

「静かでも腹は静かではない」

「表に出ずとも裏で動く」

光秀は頷いた。

「心得ております」

信長は少し言葉を止めた。

そして珍しく短く言った。

「休め」

信忠が僅かに目を見開いた。

信長が口にするとは思えぬ言葉だった。


光秀は深く頭を下げた。

「ありがたきお言葉」

信長は最後に言った。

「玉を泣かすな」

光秀の喉が詰まった。

「はっ」

信忠が苦笑した。

「父上、それは私の役目にございます」

信長は鼻で笑った。

「ならば泣かせぬよう努めよ」

信忠は照れたように頭をかいた。

信長は扇を手に取り、二人に背を向ける。

「話は終わりだ」

「天下のために働け」

信忠と光秀は同時に頭を下げた。

「ははっ」

二人が部屋を出ると、廊下の空気は少しだけ軽かった。

信忠が小さく言う。

「光秀殿」

「父上が家族と言ったのは珍しい」

光秀は静かに答えた。

「はい」

信忠は微笑んだ。

「玉が織田にとって特別な存在になったということです」


光秀はその言葉を聞き、胸の奥が締め付けられた。

父として。

家臣として。

そしてこれからは義父として。

光秀は朝の空を見上げた。

岐阜の空は澄んでいる。

京の重苦しい空とは違う。

光秀は思った。

私はまだ終わっていない。

織田のために。

玉のために。

信忠様のために。

信忠は廊下の先を見た。


そこに玉がいる。

信忠は小さく笑った。

天下より先に守るべきものができた。

岐阜城の朝は静かに動き出していた。


本能寺まであと四百四十六日

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