第百十二話「海を制する案(玉、毛利を読む)」
岐阜城。
冬の冷気が障子の隙間から静かに入り込む。
その中で玉は、一枚の図案を前にしていた。
幾度も描き直された線。
船。
ただの船ではない。
側面を覆う外殻。
高く作られた船縁。
種子島を並べるための構造。
そして――焙烙玉。
玉は深く息を吐いた。
(毛利)
西国最強の水軍。
陸だけではない。
海を支配している。
だからこそ秀吉は苦しむ。
中国攻めは遠い。
補給が長い。
陸路だけでは限界がある。
ならば。
(海から兵站を通せれば……)
玉は図案を持ち、帰蝶の部屋へ向かった。
帰蝶は静かに図案を見ていた。
「これは……船か」
玉は頷く。
「はい」
帰蝶はさらに目を細める。
船の周囲に奇妙な線が描かれている。
「この覆いは何だ」
玉は答えた。
「鋼鉄を薄く伸ばしたものにございます」
帰蝶が顔を上げる。
玉は続けた。
「毛利は海を得意としております」
「そして秀吉殿は、陸路のみの兵站では苦戦を強いられます」
「ならば海路を使うべきかと」
帰蝶は黙って聞いていた。
玉は図案を指差す。
「船を鉄で覆い、種子島や崩落玉を装備いたします」
「正面から突撃されても弾き返し、容易には登れぬ高さを持たせる」
帰蝶の目がわずかに鋭くなる。
玉はさらに言葉を重ねた。
「そうすれば、秀吉殿は兵站の不安を減らし、戦そのものに専念できるやもしれませぬ」
「毛利水軍に対抗するには、海そのものを変える必要があります」
静寂。
帰蝶は図案を見つめ続ける。
やがて口を開いた。
「……実現できると思うか」
玉は静かに首を横に振った。
「かなりの困難が予想されます」
「鉄は重く、船も沈みやすくなります」
「鍛冶も船大工も、今までにない造りに戸惑うはずです」
「ですが」
玉は顔を上げる。
「相手は毛利です」
「普通の船では、海を押さえられませぬ」
帰蝶は玉を見つめた。
この娘は、戦そのものを変えようとしている。
陸だけではない。
海まで。
帰蝶は静かに図案を閉じた。
「分かった」
「殿に話してみよう」
その一言を残し、帰蝶は立ち上がった。
信長の部屋。
帰蝶は図案を差し出した。
信長は黙って目を通す。
鉄で覆われた船。
高い船縁。
種子島。
焙烙玉。
信長の目が細くなる。
「……海の砦か」
帰蝶は答える。
「玉の案です」
信長は再び図案を見る。
普通の発想ではない。
だが信長は知っている。
玉の案は、荒唐無稽に見えても“理”がある。
北陸の兵站。
崩落玉。
小型投擲器。
全て結果を出している。
信長は低く呟いた。
「可能なのか……?」
帰蝶は肩をすくめる。
「そこまでは分かりませぬ」
信長は考え込む。
やがて言った。
「今すぐ決断はできぬ」
「鉄の重さ。
船の強度。
どこまで覆えるか」
「鍛冶も船大工も、前例のない仕事になる」
信長は図案を机に置いた。
「だが、聞く価値はある」
「鍛冶職人を束ねる者と、船大工に確認させよ」
「実現可能かを見極める」
帰蝶は頷いた。
「承知しました」
その結果を聞いた玉は、静かに息を吐いた。
まだ決まったわけではない。
だが、否定もされなかった。
(まずは一歩)
毛利水軍は強い。
史実でも織田は苦しめられる。
だがもし
海の兵站を安定させられれば。
秀吉は止まらない。
玉は窓の外を見た。
遠い西国。
まだ見ぬ海戦。
そして未来。
(変えられるなら……変える)
玉は静かに拳を握った。
織田は今、陸だけではなく。
海までも変えようとしていた。




