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勝山春記  作者: 李孟鑑
9/9

(八)

 今となっては申しても(せん)なきことなれど、毛利よりの助命の申し出を、我々は疑ってかかるべきでございました。先に申しました通り、元就殿は、陶様隆世様、ひいては御屋形様までもを、先代義隆公を(しい)した罪人と断じ、仇討ちと申して周防を攻めたのでございますが、しかしまことの狙いは、義隆公の正統の跡継ぎを名乗り大内の領地を我がものとすることにございました。そうである以上、御屋形様の、大内家嫡流のお血筋は、元就殿にとってのちのちの禍根の種でございます。そのような御屋形様を、元就殿ほどの智恵者が果たして生かしておきましょうか。


 しかもかつて、元就殿はこれと全く同じ非道を、なさったことがあったのでございました。二年前の秋でございます。陶方の出城であった安芸の矢野保木城が、毛利の軍勢に攻められ落城致しました。その際元就殿は、刀を捨て降伏した城兵をとある寺に押し込め、しかるのちに寺を刃で囲み、皆殺しに及びました。また援軍として入っていた周防衆の兵は、国へ送り届けると言って騙され、道も半ばにさしかかった所で、伏せおかれていた毛利の手の者に残らず討ち取られました。このようなむごきことが、かつてあったのでございます。


 皆も忘れていたわけではございますまい。けれども我々には、九割方諦めていた御屋形様のお命が助かったという気の緩みがございました。そして何より、かたくなな思い込みがございました。大内家は数百年来の名家であり、もともとは毛利の主家でございます。その大内の当主をよもや騙し討ちにする腹があろうとは、誰も、思いもよらぬことだったのでございました。我々は言わば、大内の名を(めくら)のように信じたのでございます。そして隆世様もまた、それに目を曇らされ、最後の最後に、元就殿という人間を見誤ったのでございました。その中にあって唯御屋形様のみが、自らの血を見限っておられたとは皮肉と申すより他ございません。


 ここに、御屋形様の辞世がございます。


 誘ふとて なにか恨みん 時来ては

 嵐のほかに 花もこそ散れ


 しかしこれは毛利とのいくさが始まった頃、御屋形様がまだ山口に居られました時に()みおかれたもので、もう一首、つい先程湯あみの仕度を待つ間に急ぎ筆を引き寄せ書きつけたものがあるのでございます。


 玉の緒よ 幾世経るとも 繰返せ

 なおおだまきに 掛けて恨みん


 この歌を、わたくしは密かに寺の者に託そうと思うております。辛き心の内は何ひとつ洩らさぬままに去られた御屋形様でございました。この歌が失われることなく残ったならば、のちの世には御屋形様のご無念を汲んで下さる者もおりましょう。今はそれのみ、願うしだいでございます。


 わたくしはこれから御屋形様のお供を仕りまする。御屋形様は今頃、闇の道を隆世様を追い、足を急がせておりましょう。この世の(ことごと)くは夢であると隆世様は申されました。全ては夢の世から至り、束の間うつつとなってのちは、過ぎ去って再び夢に戻るのだと。晩春の陽光が寺の庭に注いでおります。ツツジの、山吹の、椿の、花々は目も(あや)に咲き乱れ、刺す程にまばゆい光の中に燃え落ちて行くようでございます。ただ、光ばかり。毛利のつわものどもが囲んでいるはずであるのに、何の物音も致しませぬ。皆々、成り行きを窺い、声を殺し息をひそめておるのでございましょうか。それともわたくし自身が、既にいつしか夢の世に踏み惑うたのでございましょうか。今はもう、勝山に人は絶えておりましょう。御屋形様の立っておられた主郭にも仄めく影すらなく、この、澄みきった光だけが溢るるばかりに降り注いでおりましょう。風の音も、葉叢(はむら)のひそやかな囁きすらも聞こえませぬ。ただ晩春の美しき陽光ばかりでございます。長き栄華を見た大内家がとこしえに夢の中へと去る、それにふさわしい日ではございますまいか。

主人公の杉民部は実在の人物です。作中のとおり、長福寺(現・功山(こうざん)寺(山口県下関市長府))で義長に殉じており、境内には義長と並んで墓所があります。

義長の辞世については、「誘ふとて…」の方は「陰徳太平記」、「玉の緒よ…」の方は「豊府史略」に、それぞれ伝わっているものです。

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