衝突
始業時間前の活気あふれる教室内。登校し、席に着いた百合はちらりと横目で転校間もないクラスメイト、氷川雪を見やった。
彼女が転校してきて三日。偶然とは思えないその再会に警戒心を抱いたが、ここまで目立った接触はない。考えすぎだったのだろうか?
そんな事を考えていると、教室前方のドアがバンっと開き、一人の女子生徒が姿を現した。
「百合ちゃん、いますか!?」
「楓?」
台風のように慌ただしいその闖入者たる女子生徒は、腰まで伸びた黒髪をなびかせ、一目散に百合のもとへ向かいその胸もとへダイブした。
突然の出来事。しかし、クラスメイトの誰もその突然な出来事に驚いた様子を示さない。まるで、日常の一コマと言わんばかりに。
「ちょ、楓!? なんなのよ急に」
「何なのよ、じゃありませんわ! この3日間、体調を崩していたせいで百合ちゃんにお会いできなくて、私、私ッ!」
「そりゃ、下着姿で人様のベット温めてたら風邪もひくでしょうよ」
やんややんやと騒ぐ二人、すると、隣の席からクスクスと笑い声が漏れ聞こえてきた。
「あら、ずいぶんと愉快なご友人ね」
「ゴメンね、雪。この子幼なじみの龍宮寺楓。クラスは隣ね」
抱きつく少女、楓を引き剥がしながら、微笑む雪にそう紹介する。すると、楓はそのままの姿勢で顔だけ雪に向け。
「転校生の方ですか。私の百合ちゃんがお世話に」
しかし、ビタリと続く言葉が止まった。それどころか百合に抱きつくのをやめ、数歩後ずさった。まるで、雪から距離をとるように。
「楓、どうしたの?」
不審に思い百合が見上げる。すると、その顔は強張り額を汗が伝っている。
「ねぇ、楓。ほんとどうしたの? 顔色悪いよ」
「いいえ、何でも……ありませんわ」
心配する百合に、絞り出したような声でどうにかそれだけ返す楓。けれど、その鋭い視線は依然として雪に向けられている。
漂う緊張。周りのクラスメイト達もその様子に気づいたのだろう。自然と、周囲の視線が3人に向けられる。
と、そんな時だった。
「楓、だったかしら。そんなに心配しなくとも大丈夫よ。貴女の大切な幼馴染を取ったりしないから。もっとも、百合が私に惚れたら保障はしないけれど」
敵意にも似た視線を向けられていた雪が、そういたずらっぽくほほ笑んだのだ。歓声が湧く教室内。つい先程まで流れていた重苦しい雰囲気が一気に和やかに。
すると、ちょうど始業のチャイムが鳴り、同時に担任がドアを開け入室してきた。
「おー、ずいぶん賑やかだな。チャイム鳴ったから席つけよ。あと、龍宮寺は自分のクラスに戻れよ」
声をかけられ、楓は雪から視線を外して百合と向き直った。
「百合ちゃん、約束してください。今日は生徒会の仕事はしないで、放課後は私と一緒に帰ってください」
「急ぎの仕事もないし、別にいいけどどうしたの? さっきから様子が変よ」
「私の様子が変なのはいつものことですわ」
「そこ、自認しちゃうのね」
「とにかくいいですわね、約束ですからね!」
それだけ言い残し、楓は早足で教室をあとにした。
朝のホームルームも終わり3時間目の授業。百合達2年C組の生徒は調理実習室にいた。
「それじゃあ、前にも伝えた通り今日は肉じゃがを作っていきます」
教室前方、若い女性教師が黒板に板書しながら調理手順を説明していく。それをどこか遠くで聞きながら、百合はぼうっと考え事をしていた。
先程の楓の様子、あれは何だったのだろうか。
確かに、普段から他の子と仲良くしてたら嫉妬したりはしている。けれど、今朝のあの様子。あれは嫉妬というより、敵意に近い警戒のような。
そんな事を考えながら、じゃがいもと包丁を手に取り、皮を剥いていく。けれど。
「痛っ!」
ジャガイモが滑り、包丁で指を切ってしまったのだ。包丁を離し、傷口を手で押さえる。けれどその手のすき間から鮮血が。
「ちょ、会長大丈夫!?」
一緒の班の生徒たちが心配そうに近寄ってくる。
「先生! 会長が指切っちゃったみたい」
「え、ホント?」
報告を受けた教師が、慌てて教壇から百合のもとへ駆け寄る。
「大丈夫? 上石さん」
「すみません。ちょっとドジっちゃいました」
傷口を心配そうにのぞき込んでくる教師に、百合はおどけた調子でそう返す。
「勘弁してよ。怪我人でも出たら、私の査定に響くんだから」
「え、そっちの心配!?」
「はいはい。あなたのことも心配だから、早く保健室に行って治療してもらいなさい」
そう口にし、パンっと百合の背中を叩いた教師は室内をぐるりと見渡した。
「誰か保健室まで連れ添ってくれないかしら?」
教師の問いかけに、白い長い髪の女子生徒がスッと手を挙げた。
「私が同行します。保健室の場所も把握したいですし」
「転校生の氷川さんだっけ。それじゃあお願いできる?」
「喜んで」
微笑みながら、雪は百合のもとへ。
「百合、大丈夫かしら?」
「え? う……うん、ゴメンね。面目ない」
苦笑いを浮かべながら、百合は雪に付き添われ調理実習室を後にし保健室へ向かう。
「いやー、それにしても失敗しちゃったよ。ダメだね考えごとしながら包丁握っちゃ」
「あら意外。考え事してなければ失敗しないみたいな言い方ね」
「失礼な。去年入学して早々に切って以来だから、まだ2回目だよ」
「それは……十分多いと思うわよ」
そんな他愛もない会話を交わしていると、2人はいつの間にか保健室の前に到着していた。
「先生ー。調理実習で指切ったから手当てして」
保健室のドアを開け、本来ならいるはずであろう保健教諭に声をかける。しかし、返事がない。
「あれ、先生留守なのかな?」
そう思い、百合が保健室に一歩足を踏み入れた時だった。
「――よこせ」
ボソボソとした、そんな声が耳に届いたのは。
「え、何今の?」
不審に思い辺りを見回す。けれど、授業中の今、付添人である雪以外いるはずもなく。
「雪、今何か言った?」
「いいえ、私は何も言っていないわ。ただ」
恐る恐る尋ねる百合に、にべもない返事。
じゃあ、今のはただの幻聴?
「そこで止まりなさい。でないと、死ぬわよ貴女」
「……え?」
死――
雪から発せられた、普段、生活していて馴染みのないその単語。それが耳に届いた、その瞬間だった。
保健室内に突如として突風が吹き荒れたのは。そしてそれは風の刃となって、ベッドや薬品の入った棚をやすやすと切断した。
保健室内に散らばる、かつてはベッドや棚だった残骸。その光景は、百合に嫌でも思い起こさせた。昨日の、体育館倉庫の惨状を。
本能が警鐘を鳴らす。ここは危険だと。
「逃げよう、雪!」
短くそ叫び、雪の腕を取ろうとした時だった。
「稀血を、よこせ」
今度こそしっかりと届いたその言葉。弾かれたように、声の聞こえた前方に目を向ける。すると、さっきまで何もなかったはずのその場所に靄がかかっていた。
「靄……? 何か、いる?」
「そこまで見えるのね。なら、もっと目を凝らしなさい。大丈夫、貴女なら見えるはずよ」
いつの間にか傍らまで来て、肩に手を添えてきた雪に言われるまま、百合はさらに目を凝らす。
すると、次第に靄が晴れてくる。しかしそれと同時にそれがしっかりと姿を現した。
両手の先が巨大な鎌になっている、2メートルはゆうにある巨大なイタチの姿をした怪物が。
「ねぇ百合、ちょっと頬つねってくれない? 私寝ぼけてるみたい。イタチの化け物が見えてるんだけど」
「残念だけれど、現実よ」
動揺を隠せない百合を尻目に、雪はゆっくりとイタチの化け物へ近寄る。
「獣形、中級イビルね」
一歩力強く踏み込むと、雪は一気にイタチとの距離を詰めた。そして跳躍し、体の軸をひねりイタチの頬へ回し蹴りを放つ。
直撃。どこにそれだけの力があるのか、その一蹴はやすやすとイタチを吹き飛ばし、壁へと叩きつけた。
それを確認し、雪は追撃を仕掛ける。
イタチがよろめきながらも立ち上がろうとする、その刹那。一拍早く、距離を詰めて首を踏みつけその場に釘付けにしたのだ。
「答えられるとは思えないけれど、一応聞いておこうかしら。貴方、グリードと名乗るイビルを知っているかしら?」
まるで氷のような、熱を感じさせない冷たい視線とともに投げかけられた言葉。どうにか抗おうとイタチがもがくが、踏む力を一層強め、百合がそれを許さない。
「そう、やはり知らないようね」
嘆息と同時、右掌をイタチに向ける。すると次第にその掌に火が集まり、バスケットボール大の火球を成した。
「なら、もう用はないわ。消えなさい」
放たれる火球。それはイタチを飲み込み、全身を燃やし尽くす。
やがて火球の火が消えると、その場にもうイタチの姿はなかった。
「終わった、の?」
イタチの化け物を飲み込んだ火炎が消えたのを確認し、百合はポツリと呟いた。
果たして目の前で起きたことは現実なのだろうか。
イタチの化け物が現れ、そしたら、転校生が人間離れした身体能力で蹴り飛ばし、果ては火炎を放った。
どこからどう見ても、漫画やアニメの世界の出来事だ。
それに、イタチの化け物が放った稀血という言葉。聞き覚えのないはずなのに、なぜか、百合に言いようのない不安感を抱かせる。
「今回も空振りだったわね」
百合が困惑に固まっていると、先程までイタチがいた場所に視線を送っていた雪は振り返り、百合と向き直る。
「百合、怪我はないかしら?」
「え、えぇ」
まるで先ほど起きたことが何ともないことだと言わんばかりの、平然とした様子で問いかけてくる雪に、どうにかそれだけ返す。
と、それとほぼ同時だった。
「百合ちゃん、ご無事ですか!?」
バンッと勢いよくドアが空けられ、授業中のはずの楓が現れたのだ。
入室した楓の目に一番に飛び込んだのは、左手を怪我している百合の姿。そして、一緒にいる雪。
それだけで、楓には十分だった。
「貴様ぁぁあ!」
殺意に満ちた視線と裂帛の気合。地を蹴り上げた楓は、先程の雪にも勝る速さで、一気に雪との距離を詰める。そして、何もないはずの左腰に手をかけ、半身をひねった。
あたかも、抜刀術のように。
「待って、楓!」
しかし、何かが放たれようとしたその瞬間、2人の間に百合が割って入ってきた。
ピタリと動きを留め、しかし構えを解くことなく楓が叫ぶ。
「どいて百合ちゃん、そいつを殺せない! そいつは百合ちゃんを狙って。百合ちゃんが血を流してるのが何よりの証」
「よく分からないけど、違うよ楓! これは調理実習で指を切っただけだし、雪は私を守ってくれたんだよ」
「……守っ、た?」
「えっと、イタチみたいな大っきい化け物が現れて、それを雪が倒してくれたんだよ。それで」
未だ自身でも何が起きたのか理解できていないが、本能のまま、ただ伝える。
百合のその様子に、嘘を言っているとは思えない。
チラリと視線を雪に向ける。すると、雪は肩をすくめてみせ。
「結果として守ったことにはなるかしらね」
その様子に、楓は苦虫を噛みながらようやく構えを解いた。
「百合ちゃんがいうなら、そうなんでしょうね。けれど私は貴女の存在を認めません。人外の貴女の存在は」




