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八章 雷帝と蛍石

この二人、くっつかないかと思いました。

 「ああ、その事。大した問題じゃないよリティル。ほしいなら、あげるよ」

断崖の城へ来たリティルに、ルキは玉座の上に寝そべって眠そうに欠伸をしながら答えた。

「ごめん……インファを焚き付ける前に、おまえに話すべきだったぜ」

リティルは数段ある階段を登らず、階下から声をかけた。

「いいよ、セリアとインファが何か関係があること、ボク知ってたからね。それ、完全に忘れてて、セリアの雰囲気が変わったの、宝石の精霊として覚醒したからだと思ってたんだ。失恋が原因だったなんて、盲点盲点」

アハハハと、ルキは感情無く笑った。

「セリアは、同じ相手に二回失恋してるわけだけど、今度は振った相手が追いかけてる不思議。ねえ、リティル、インファ、もの凄く眠そうだったけど、あれ大丈夫?」

ルキはよく見てるよなと、リティルは彼の観察眼を凄いと思っている。

インファはたぶん、全力で取り繕っていたはずだ。インファが眠いことを見抜けるのは、ルキぐらいだよなと思った。

「大丈夫じゃねーだろうな。かといって、今セリアを見失うと、二度と会えなくなりそうだしな……」

ルキは、ボンヤリした瞳で瞬いた。

「セリアは脆いから、特殊な能力があるんだ。真っ正面にいる相手からの攻撃は一切当たらない、正面の身躱し。それから三姉妹共通の、気配を完全に消す、絶対隠密。二度と会えないことはないと思うけどなぁ。相手、インファだしね」

イヌワシにロックオンされて、逃げられるわけないと、ルキは大あくびを一つした。

「インファが乗り気ならな。なあ、どうしてセリアが逃げるのか、心当たりねーか?」

あの様子、インファが乗り気じゃないってことはないと思うけどなと、ルキは思った。

「インファって奥手なの?うーん……単純に恐れなんじゃない?上手くいきっこないって思ってるんじゃない?宝石の母の力に目覚めても、完全消去してやったから、ラジュールに乗っ取られるとかそういう危険ないし。ちょっと、暴走するくらいかな?」

何気ない様子で、ルキはリティルに告げた。

「おい、暴走するのかよ?」

「多少はしかたないよ。中級から上級になるわけだし。リティルも同じ境遇なんだし、わかってると思ってたけど?」

「はあ?オレも同じってなんだよ?」

まるで心当たりのなさそうなリティルに、ルキは眠そうにゆっくり瞳を瞬きながら、やれやれと頬杖をついた。

「リティルってさ、自分に対してはとことん無頓着だよね。原初の風を継いだんでしょう?覚醒したら、最上級精霊にいらっしゃいだよ」

自覚ないの?徐々に力が増してるよ?とルキは指摘してやった。

「ホントかよ?まずいじゃねーか。オレ、今度こそ死ぬかもな」

「瀕死でも生き残ってね」

そしたら、シェラがなんとかしてくれるでしょう?とルキは眠そうに笑った。

「ルディルの奴……ぶっ飛んだら、恨むぜ?」

「超弩級の悪夢、プレゼントしておこうか?」

太陽王の驚く顔見たい。と、ルキは邪な笑みを浮かべた。

「それはやめろ。おまえの悪夢は洒落にならねーから!あいつ、オレの事過剰に信用してるんだよ……弱いって言ってるのにな」

「また謙遜?リティルは強いよ?暴走が怖いなら、もう一人作れば?」

「おまえまで持ち上げるなよな!それな、レイシに四分の一やることになってるんだ」

レイシ?彼はまだ未知数だけどいいのかな?とルキは思ったが、リティルが選んだならいいかと思い直す。まあ、壊れないように様子見てやろうと、ルキは密かに思った。

もう必要ないのに、僕のあげた石大事にしてくれてるしと、ルキは危ういレイシの姿を脳裏に浮かべていた。

「ふーん、あと四分の一、誰かに肩代わりさせたほうがいいよ。インリーがいいけど、あの娘は純粋だからなぁ……あの性格で、性に奔放になられたら困るよねぇ。インファは適任すぎるほど適任だけど、あれ以上背負わせるの気が引けちゃうよね」

ルキは今日は本当に眠そうに、玉座から降りてこなかった。いや、降りてこないのではなく、降りられないと言った方がよさそうだ。

「あ、このプランなんてどうかなぁ?」

ルキはリティルを手招いた。リティルはなんだ?と首を傾げながら、階段を登りルキの前まで来た。

「リティル、ボクが玉座から降りられないときは、遠慮しないでここまできてよ。今日はね、日食だから、ボク、フル稼働なんだ……。お疲れモードで、リティルのところに行けないからさー」

「なんか大変なときに来て、悪かったな。わかったよ、おまえが来られねーなら、オレが行ってやるよ。で、なんなんだ?」

「うん、インファに……セリアと……」

ルキはリティルに耳打ちした。

「ありかもしれねーけど、それ、上手くいった後、オレがあの二人に言うのか?」

リティルはあからさまに嫌そうな顔をした。

「他に誰が言うのさ?奥手な二人でも、リティルの為なら動くんじゃないの?伝えに行く?それとも、暴走してみる?インファが慌てたところで、ボクが提案してあげよっか?それで、全部解決じゃない?」

クククッとルキは含みある楽しそうな笑みを浮かべた。

「もうちょっと考えるよ。シェラにも話さねーといけねーしな。なあ、あいつらどこにいるんだ?」

「うーん……水鏡の泉。ああ、インファが二ヶ月間落っこちた場所だね。リティル、セリアが逃げたらインファに行き先教えてあげるから、ボクに任せなよ。レイシも大変なときでしょう?帰ってあげれば?」

「おまえ、眠いんじゃねーのかよ?」

「大丈夫。ボクが寝落ちたら、スワロとレジーナコンビにやらせるから……」

ルキは言っているそばから大きな欠伸をした。

「ありがとな、じゃあ、あいつらのことよろしくな!」

「うん……おやすみ、リティル……」

「おやすみ、ルキ」

玉座に丸まって、微睡み始めた幻夢帝の頭を、リティルは撫でてやった。


 リティルがルキを尋ねる数十分前。

風の城から断崖の城へ戻ったセリアは、玉座で眠っているルキに気がつかなかった。

ルキは断崖の城にいないことも多い。セリアはすぐさま扉を開くと、潜っていった。

「ん……?セリア、帰ってきたんだー。あれえ?インファも帰ってきてたんだ?」

セリアに遅れて、インファが扉を潜ってきたのを見て、ルキは顔を上げた。

「ルキ、騒がせて、すみません。セリアを知りませんか?」

「セリア?なんでか慌てて扉を潜っていったね。えーと、水鏡の泉。追うの?」

「許可してくれるなら」

「……いいよー。行っておいでー」

ルキは二つ返事で、気怠そうにインファの隣の空間を指さし、扉を開いてやった。インファはきちんと一礼すると、すぐさま扉を潜っていった。

「……ボク以上に眠そうだったけど、あれ、リティルの許可取ってるのかなぁ?まあ、いいや。リティルが来たら、聞いてみよ……」

ルキは再び瞳を閉じた。

 それにしても、水鏡の泉か、と、ルキは思った。あの場所は、セリアがインファに出会った場所だ。その記憶はインファにはない。どうも逃げてきたようなのに、咄嗟にその場所を選んでしまうとは、セリアは未だインファを忘れられないのだなと、ルキはボンヤリ思った。

 蛍の舞う、真っ暗な森の中に、波一つ立っていない池があった。

丸い池の底には、淡い青白い光を放つ小石が沈み、手の平が辛うじて見える程度に辺りを照らしていた。

「もお……咄嗟にここを選んじゃうなんて……」

セリアは泉のほとりにへたり込んだ。とにかくどこかへと、想いながら扉を作ったのだが、よりにもよってこことは……。セリアは、握っていたテティシアローズの花びらを水鏡に放った。ガラスのように見える花びらはハラリハラリと水面にキスをして、静かに溶けていった。

 ここは、意識体だったインファと二ヶ月間過ごした場所だった。

死に逝く蛍石の沈む泉。

一日の命を繰り返す呪いから解放され、スワロメイラに止められるまで、セリアは無気力にこの泉に身を投げ続けた。

──セリア!もう、一日しか生きられない命じゃないのよ?もう、やめてよ!

風の王と友達だったスワロメイラは、風にかなり感化されている。使い捨ての宝石の精霊が、命を惜しむなんて滑稽だとセリアは思っていた。でも、抱きしめてくれたスワロメイラの温もりが、とても温かくて、なぜだか涙が出た。

 それから、スワロメイラは、ルキルースのいろいろなところへ連れて行ってくれた。呪いにかかっている間、セリアの記憶は一日しか保たなかった。姉はもしかすると、そんなときでも会いに来てくれていたのかもしれないと、ボンヤリ思った。それを問うことはしなかったが、そうだと思うことにした。

「姉様……スワロ姉様……助けて……」

ここにいたら、インファが追ってきてしまう。リティルに命を下されているのだ、インファは大手を振って口説きに来る。追いつかれたら、もう逃げられない。イヌワシの大きな爪で掴まれて、もう、身動きが――

「セリア」

背後に草を踏む足音がして、胸に痛い声がこの名を呼んだ。わかっていたはずなのに、ビクリと身が震えた。振り返ることができなかった。

「オレが……そんなに怖いんですか?」

明らかに怯えている背中に、インファはこれ以上近づけなくて、佇むしかなかった。

「怖いわ!怖いのよ……インファを好きだって言うわたしの心が、身の程知らずすぎて!」

好かれていると、うぬぼれていいのだろうか?と行動と言葉がチグハグなセリアを前にして、インファは自信がなかった。けれども、去るという選択はしたくなかった。

リティルがあんな命を下したのは、インファの気持ちを知ってるからだ。セリアを捕まえられなかったとしても、リティルは絶対とは言わないだろう。父はただ、臆病な息子の背を押してくれただけなのだから。

「全部聞きますから、隣に行ってもいいですか?」

「顔、見られたくないの。後ろにいて……」

「わかりました。これ以上逃げないでくださいよ?追いかけられませんからね」

インファの気配が、窺うようにゆっくり近づいてきた。

セリアは本当は、逃げ回るつもりだった。けれども、終着点だったはずのこの場所に、最初に来てしまった。セリアは、もう逃げ場を失っていた。そもそも、風から逃れられるはずもなかった。本気で逃げるつもりがあるのなら、あの場で、インファに別れを告げるべきだった。好きだと言ってしまった時点で、もう、捕まっていた。

「!」

セリアの背に、インファの背が触れた。彼の大きな翼が地面に広がって、体の両側に下ろしていたセリアの手に触れた。視線を落とし、その羽根を盗み見る。

リティルの翼より大きな、王を守る為の翼。副官だから、王よりも先に逝けない。守る為に、帰らなければならないと、この泉でインファは言っていた。

「オレは恋愛には向きません。今、あなたになんと言って声をかけたらいいのか、わからないんですから」

「なら、どうして追ってきたの?リティル様に命令されたから?もお!帰ってよ!リティル様のそばにいてあげてよ……」

凄く心配してた!と、憤るセリアに、インファは力なく笑うと、帰れませんと言った。

「父はただ、オレの背を押しただけですよ。父にだけは、オレの気持ちを伝えてありましたから」

え?セリアはインファを振り向きそうになった。

「あなたを城へ行かせたあの日、ツバメですべて伝えました。父さんとあなたは、殆ど面識ありませんでしたよね?ぞんざいに、扱ってほしくありませんでしたから」

インファの気持ち?セリアはもう、インファが好きでいてくれることに気がついている。だが、それを知ったのは、風の城に行って皆と過ごしてからだった。

しかし、リティルは、セリアが転がり込んだその時から、息子の想い人だと知っていたのだ。城の皆は、知っている素振りはなかった。リティルはそれを黙っていてくれた。

インファに伝えさせるために?

別の誰かから、インファの気持ちがセリアに伝わらない為に?

それは、インファに、振られた振られたと態度で繰り返すセリアに、違うと言えずにリティルは困っていたことだろう。それでも見守ってくれた。セリアは、リティルの温かさに泣きそうになった。

自分達の手で、繋ぐのか放すのか決めろと言っていることが、セリアにはわかった。そうでなくては、ならないからと。

「なんと伝えたか、知りたいですか?」

セリアは答えられなかった。心臓が痛いくらいに脈打っていた。息が苦しい。こんな状態で聞いてしまったら、息の根が止まってしまいそうだ。

「セリアはオレの、愛する人です。……大丈夫ですか?」

インファはセリアが横倒しに倒れる気配に、首だけ動かして振り向いた。

「嘘でしょう……?あなた、リティル様に、そんな伝え方したの?」

好きな人とかもっと他に言いようがあっただろうにと、セリアは両手で顔を覆っていた。

だからなのだろうか。リティルは両思いだと知っていたから、手放す気はないと言ってくれていたのだろうか。自分の右腕である精霊に相応しいと、思ってくれたということなのだろうか。だとしたら、光栄だ。あの人に認めてもらえるなら、心から光栄だと思う。

「何の準備もなく、風の城から離れることになってしまいましたからね、慌てていたんですよ。けれども、本心ですよ?」

「念、押さないで……死んじゃう……」

でも、この人どうにかならないのか!と、セリアは身悶えながら切に思った。愛する人って、愛する人ってなんだ!バッサリ切り捨てたくせに!とセリアは倒れたまま憤った。

「それは困ります。ということで、オレはもう退く気はありませんが、あなたはなぜ、逃げるんですか?」

セリアは、やはりとんでもない人を好きになってしまったのだと、今更ながらに思った。

 でも、だからこそ、知っておいてもらわなければならなかった。セリアはそっと立ち上がると、泉に入った。

「インファ、これを見て」

泉は深く、中心は二メートルほどの深さがあった。踝まで水に入ったセリアの足の下には、死んだ蛍石が青白い光を放っていた。ここから先、泉を埋め尽くすほどの夥しい数の蛍石が、沈んでいた。

「水の中で光ってるのは、全部わたしなの。わたしはここで、生き死にを繰り返していたわ。呪いが解けてからも、わたしは一日の終わりに必ず!ここで死んでいたの!」

──インファ……ねえ、インファ、わたしは、あなたに相応しくないよ?

絶対に死なないと光り輝く鳥たち……わたしは真逆だよ?と、セリアは悲しく思った。

「風のお城は、命の城だわ。その王の息子の相手が、こんな精霊じゃダメよ。わたしじゃ、ダメなのよ!」

どうして、風を好きになってしまったのだろうか。

どうして、風を振り向かせてしまったのだろうか。

どうして――わたしは、命を粗末にしてしまったのだろうか。

セリアの叫びを受けて、インファは溜息をついた。そして、ジロリとセリアを睨んだ。

「そんなことですか?そんな理由なら、退けませんよ?」

「どうして?どうして、あなたはそんな平然としていられるの?わたしは、風の許していい存在じゃないでしょう!」

わたしは穢れてる!とセリアは叫んだ。

可愛い人だなと、インファは唐突に思ってしまった。

セリアはインファに相応しくある為、わたしは綺麗でいなければならないとそう言うのだ。こんな、数々の命を殺し、その血で穢れているインファルシアという存在を、彼女は綺麗だと思っている。

世界から、唯一命を狩ることを許された風の精霊。世界を守る刃。

しかし、やっていることは殺戮だ。無慈悲な死に神行為だ。

インファは、泉に沈む蛍石達を見下ろした。

こんな綺麗な死を、与えてやれたことなどない。

「そう見えているだけですよ。余裕なんてありません。セリア、あなたは勘違いしていますよ。風は、生き方を見守るだけです。命を絶つことを選択するなら、尊重するしかないのが風です。その前に散々止めるのが、うちの方針ですけどね」

インファは自分も水に入り、セリアの前に立った。

「セリア、あなたはもう、この石達のようになる気はないでしょう?それならいいですよ。過去は過去です。未来を見ましょう?」

綺麗だと言うのなら、それは、あなたのほうが――インファは、触れそうになるのをグッと堪えていた。

「あなたは、いいんですか?オレの手は、血まみれですよ?オレは、死にたい命よりも、生きたい命を狩ってきました。オレからすれば、あなたは触れがたいほど、綺麗です」

セリアは首を横に振った。

「あなたが、あなた達が狩った命は、次の命を約束されてるじゃない!魔物でさえ、次は笑って生きてと、そう思いながら狩っているんでしょう?」

俯いたまま叫ぶセリアに、インファは困ったように小さく笑った。

「美化しすぎです。それはさすがに、買いかぶりすぎですよ。オレの本性は、獰猛なイヌワシですよ?どうします?考える時間が必要なら、逃げてもいいですよ?」

なぜそんな勘違いをしているのか、インファにはわからなかった。風の城のそばに現れた魔物を狩った現場に、セリアは居合わせ、あの時あんなに怯えていたのに。風の仕事を、目の当たりにしたじゃないかと、思った。

視線を外していたインファは、セリアが顔を上げる気配に、視線を彼女に戻した。セリアはその視線から逃げるように、俯いた。

「わたしは脆いわよ?」

今度は何を言い出すかと思えば……そんなこと今更だ。

脆い自覚があるのに、邪精霊相手に臆せず攻撃を避け続けるなんて芸当、してみせたくせにと、インファは憎らしく思った。

脆い自覚があり、壊れてはいけないと思うなら、もっと、ちゃんと、きちんと、逃げてくれ!とインファは怒りたかった。

「知っていますよ。壊れたくないというなら、手を考えます。オレは優秀ですよ?それだけですか?あなたの気が済むまで、とことん聞きますよ?謹慎処分中ですから、時間はいくらでもありますからね」

インファはきっと、何でもないような顔で笑っているのだろうなと思って、セリアはフッと吹きだして笑ってしまった。そして、やっとインファを僅かに見上げた。

「あなた、ここにいた時と大分違うわ」

「それを言われると、心苦しいんですが、今、あなたの目の前にいるオレが、偽りないインファですよ?」

ダメですか?と拗ねたように言われて、セリアはその表情を反則だと思った。

「負けたわ。わたしの負けよ、インファ。もう、逃げられないわ。捕まえてくれる?」

やっと笑ったセリアを、ホッとした顔で見下ろすインファの頬に、長い髪が一筋流れ落ちていた。今更だが、静かに微笑む彼の顔には、疲労が色濃く出ていた。

「はい、もちろんです。その為に来ましたから。セリア、キスしてもいいですか?」

「……え?ダメ!もおおお!どうして、そんな直球なの?」

やっぱり拒むんだと、インファはセリアの反応に苦笑した。けれども、やっと触れられるのだから奪ってやろうと思っていた。

「言ったでしょう?オレは、恋愛には向かないんです」

後ずさろうとしたセリアを、インファは腕の中に捕らえていた。インファの金色の瞳に見つめられると、逆らえない。この瞳は邪眼だ。今まで、どれだけの人を魅了してきたのだろうか。

「もおおお!わたしより邪眼ってどういうこと?」

「邪眼ですか?オレにそんな能力ありませんよ?」

「だって、だって!」

「セリア、少し黙ってくれませんか?あの泉では平気で、なぜ、今はダメなんですか?」

あの泉?断崖の城のあの泉のこと?とセリアは思い至った。

「ちょっと待って!あなた、忘れたって言ってたわよね?」

インファは少し困った顔をした。

「嘘です。忘れられません。自分の意志でキスしたのは、あれが初めてでしたから」

さすがに言っていて恥ずかしかったのか、インファはフイッと視線を外した。どうしよう、嬉しい。でも、あれはムードに流されてした口づけだった。こんな意識して、どうすればいいのか……やり方も手順もセリアはわからなくなっていた。

「セリア、あの時オレは完全に流されました。今度は、手玉に取ってじらすんですか?」

意地悪ですね?と言われて、セリアは狼狽えた。

「手、手玉?……じらすって……」

セリアは絶句した。これはもしや、何か誤解があるのでは?と混乱した頭で思った。

「いいですよ?好きにしてください。翻弄されてあげますよ」

インファは観念したように、ため息を付いて瞳を伏せてしまった。

ほ、翻弄?インファを、わたしが?セリアは、目眩を覚えた。できるわけない!とセリアは爆発した。

「もおおおお!経験豊かみたいな言い方しないで!ないわよ!ないってば!わ、わたし、真っ新よ!どおして、わたしがリードできると思ってるのよ!」

え?と、顔を上げたインファが驚いている。え?っと、セリアはそんなインファに驚いた。

「断崖の城で会ったとき、当然のようにオレを襲いましたよね?」

「ええ?襲った?襲ったって……何?それ!」

「記憶ないんですか?出会ってすぐ、為す術なくキスされて、押し倒されましたよ?あまりの手際の良さに驚きましたよ」

「もしかして脱いだの?わたし」

本当に覚えてないのか?と言いたげに見つめていたインファは、長い沈黙の後困ったように白状した。

「………………ものの見事に、全裸でしたよ?あまりに躊躇いなかったので、てっきりそういう手法で諜報を行っていたのかと思っていました。そうですか、違うんですか」

あれは強烈で、忘れたくても忘れられない。その後、彼女を好きになってしまったのだから、余計に。

過去に、散々迫られた経験のあるインファでも、さすがにああいう迫られ方は、されたことはなかった。心をなくしていた彼女が、なぜあんなことをしたのか、インファには未だに謎だった。あの時のセリアは、インファのことを覚えていなかったはずなのだから、余計にわからなかった。

彼女は、インファが泣いていたからキスをした。

ゆだねてといって脱いだ。

あれは、癒そうと、慰めようとしてくれていたのか?と今なら思えた。

「嘘でしょう?」

セリアは泣きそうな顔で絶句した。

ああ、それで閉ざされた心が呼び覚まされたとき、インファが嫌悪とも取れる警戒心を見せたのかと、合点がいった。それはそうだ。身持ちの堅い風の精霊に全裸で迫れば、それくらい警戒されても仕方がない。よくも、そんな印象最悪な状態から、好きになってくれたと思う。

「必要のない嘘は付きません。そろそろいいですか?」

「諦めてなかったの?」

「強引でもいいのなら、そうしますけど?」

インファの両手がそっと、セリアの頬に触れる。セリアは思いの外すんなり目を閉じてくれた。インファはやっと、許しを得てセリアの唇に触れることができた。

「……魅了の力があるんですから、そんなに照れないでくれませんか?」

少し触れただけですよ?とインファも少し気恥ずかしそうだった。

「無理よ!もう無理!嬉しすぎて、壊れちゃう」

セリアは両手で顔を覆って、インファの手を逃れようと身を捩った。しかし、インファは放してくれなかった。

「嬉しいのはいいんですが、壊れないでくださいよ?もういい加減眠いので、風の城に帰りますよ」

「あああ、ごめんね!ゆっくり休んで」

セリアは当然のようにインファを見送ろうとした。

「何言ってるんですか?あなたも来るんですよ」

「え?どうして?」

「オレから逃げられると思っているんですか?」

眠気がピークで余裕を失っているインファに睨まれて、セリアは慌てて首を横に振った。

「もう逃げる気なんてないわ!」

「信用できません。魂をもらうまでは逃がしませんよ?」

た、魂?今始まったばかりで、もう?と、セリアは目眩を覚えていた。

手を掴まれ、セリアは強引に泉から連れ出されそうになった。これで二人で戻ったら、冷やかされそうだと、セリアは恥ずかしくて堪らなくなった。

 その時、チリッと胸の辺りが痛くなった。セリア達宝石姉妹の核石は、胸にある。その石を核として、セリア達の肉体は具現化していた。その石が熱い?

「熱っ!」

セリアは泉から出る寸前、ガクリと水の中に座り込んでいた。胸を押さえ、視線を自分の体に向ける。

「!」

体が、泉に沈む死んだ蛍石と同じような青白い光に包まれていた。

「セリア?」

セリアには、この現象には覚えがあった。

「インファ……わたし……わたし!」

呪いに侵されていた、午前零時に起こった現象と同じだった。

「嫌!いやああああ!」

──わたしは、死ぬの?そして、すべて忘れて、また生まれ変わるの?インファを、忘れてしまうの?

宝石のような涙を流し始めたセリアに、インファは戸惑ったが、すぐに何の異変なのかを察した。インファは伊達に、多くの精霊を導いていない。

「落ち着いてください!力が暴走しているだけです!まだ何か隠していましたね?何を隠しているんですか?」

インファに抱きしめられて、セリアはいくらか平静を取り戻した。だが、覚えがなかった。

「オレは昔、力を上手く扱えずに暴走を繰り返していました。これはそれに似ています!大丈夫、あなたの呪いはルキが解いてくれています。いいですか?ゆっくりオレの力を送るので、同調してください。あなたなら、できますよね?」

できるかと聞かれて、セリアはコクリと頷いた。こちらも、伊達に生きていない。セリアは、ギュッとインファを抱きしめかえすと瞳を閉じた。

 フワリと、インファの長い髪が浮き上がった。金色の風がたゆたう薄布のように二人を包んでいた。セリアを包んでいた青白い光が、彼女のピンク色の髪を浮き上がらせながら、金の風に溶けていく。

さすがは古参の精霊だなと、インファはすんなり導きに従う力の流れを感じて感心した。何人もの精霊の面倒を見てきたが、彼女ほどやりやすい生徒はいない。しかし、なぜ突然、セリアの力は暴走してしまったのだろうか。こんな、自分の力の理解力の高い精霊が?と、インファは疑問に思った。インファは同調するセリアの霊力を探った。セリアの青白い霊力が、様々な色の硬質な瞬きに、変わりゆこうとしているのがわかった。

「力の変質?あなたは、覚醒前の精霊なんですか?」

ルディルやハルが、太陽の精霊に転成したのと似ていた。普通は起こるはずのない変化だった。

 そういえば、彼女達宝石姉妹は精霊の手によって創られた、中級精霊だったなと思い至った。精霊に創られた中級精霊は創造主の精霊を失うと、一緒に滅びる。それが滅んでいないということは、創造主の持っていた権限が、誰かに譲渡されたということだ。インファは、それを持っているのは、宝石の精霊・ラジュールを粛清したルキだと思い込んでいた。どうやらルキは、宝石の母である証を、セリアに継承させていたようだ。そして、それを、セリアに伝えずにいたらしい。

「わからない。わからないわ!わたし、どうなるの?」

「大丈夫です。あなたはどうやら、宝石の精霊に転成するようですね」

「母様?わたし、母様になるの?」

「あなたはあなたのままですよ。心を乱さないでください。セリア、オレは限界を超えています。最後まで付き合えません。できるだけ導きますから、あとは自力で頑張ってください。できますよね?」

「あなたより長く生きているんですもの、やるわよ!インファ、死なないわよね?」

「死にませんよ?これまで何人導いてきたと思っているんですか?けれどもセリア、特別ですよ?受け取ってください」

そう言うと、インファはセリアを引き離すと、深く口付けた。途端にセリアの中に、インファの風が直接流れこんでくる。息苦しさに瞳を見開いたセリアの目に、インファの翼が解けて散るのが見えた。グラリと揺れた彼の体を抱き留めながら、セリアは泣いていた。

風の精霊が翼を失うのは、かなりの屈辱だと聞いたことがあった。これ以上力を使えば翼を保てなくなることを承知で、インファはセリアの為に力をくれたのだ。

「ありがとう……わたし、絶対あなたに相応しくなるわ!」

 意識を集中すると、インファのくれた風が、先導するかのように荒れ狂う力の海の中に、金色の軌跡を描いていた。インファは凄い。初めて触れるであろう力の中でも、迷わずに進んでいた。インファの風の示す道筋へ向かい、セリアは乱れた力を一本にしていく。

──思い描いて……あなたは、どうなりたいですか?

風が問う。

どうなりたい?こういう存在として目覚めたセリアには、戸惑い途方に暮れてる問いでしかなかった。純血二世であるインファは、未熟な十二年の間に思い描き、今の彼になったのだろうか。リティルには敵わないが、温かな眼差し、直情的な父の代わりに冷静でいる静かな心。

父のようになりたい、父を支えられる存在でありたい。

その願いが、インファを導いた。

なら、そんな彼の傍らにいるセリアは、どんな姿でいるべきか。

シェラのような、淑やかで優しく?

インリーのような、明るく無邪気に?

スワロメイラのような、友人のように気安く?

無理だなと思う。

「ごめんね、インファ……わたしは、じゃじゃ馬で素直じゃない、今のままのわたしにしかなれないわ」

でも……セリアの背に、力が集まりだした。様々な硬質な光がチカチカと瞬いた。

黄金で、揚羽蝶の羽根が形作られた。輪郭と翅脈のみの羽根に、様々な宝石が散りばめられた。気丈に優しくリティルを支えているシェラに憧れる。だから、作り物でも彼女に似た羽根がほしかった。インファを支えられますようにという、お守りに。

 セリアは、翼をなくしてしまったインファの背を撫でた。髪を解いたままでいることも、たぶんインファには珍しいことなのだと思う。身だしなみさえきちんとできないほど、追い詰められた状態だったのに、力の覚醒と共に暴走したセリアの面倒まで見てくれた。

凄い精霊だ。この人の傍らにいなければならないと思うと、逃げ出したくなる。

「ゴメンね……わたしの力じゃ、あなたの翼戻してあげられないわ……」

セリアはギュッとインファの体を抱きしめると、そっと瞳を閉じた。


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