Ep.5 夏休みはリゾートで②
「……で」
世間はお盆休みも近づいた八月某日。俺は汐音を連れて都内のある場所へと足を運んでいた。いや、正確には連れて来たんじゃない。汐音は汐音で、毎日の受験勉強により相当煮詰まっていたようだし、今日はたまたま塾の授業が無い日だったようなので、「ちょっと出かけないか?」と誘ってみたんだが……
「兄さん、一言も言ってませんでしたよね? なんで私が兄さんの付き添いで大学のオープンキャンパスに連れてこられなきゃいけないんですか」
「め、面目ない……」
汐音は俺が誘った瞬間から妙にウキウキしたテンションになってしまったため、「いや、ただ大学の見学に行くだけなんだけど……」とは今更言い出せる雰囲気ではなく、ついぞ大学の正門前に来るまで今日の目的について明かすことはできなかった。
「…………」
「あのぉ……汐音さん? やっぱり怒ってらっしゃいますか……?」
「…………はぁ。まぁいいです。どうせ私も3年後には考えなきゃいけないことですし。家にいても勉強する気分でもなかったので」
嘆息して気分を切り替えたのか、汐音は興味深そうに辺りをキョロキョロと見渡した。
「それにしても、人多いですね? 全員兄さんと同い年でしょうか?」
「んーそれは違うな。3年生になってオープンキャンパスに行くのは、世間一般では遅いんだそうだ。たぶん7,8割は1、2年生だろうな」
「なるほど。道理で兄さんより活き活きとしている方が多いと思いましたよ」
「オイ」
真顔のまま放たれた冗談に思わずジト目になると、くすくすと控えめな笑い声と共に汐音の頬が緩んだ。……まあ、いいか。妹をリフレッシュさせるのも兄の務めだ。
守衛所で受付を済ませ、指示された建物の方へ歩いていくと、1分も歩かないうちに「そこ」へたどりついた。たどりついたのだが……
「兄さん」
「なんだ」
「ここって、大学ですよね?」
「……ああ。そのはずだ」
「なんで周りのオフィスビルと同じくらい……いえ、それ以上の高層ビルなんでしょう」
目の前にそびえたつ、おそらく30階以上の高層建築物を前に俺と汐音は足を止める。守衛所で渡された地図と、手元のスマートフォンの現在地を見比べたが……
「ここで間違いないな……」
「兄さんが最近勉強場所として使っている大学も、こんな感じなんですか?」
「いや、あそこはもっと普通の……こんな大したところじゃないぞ。図書館とかは高校と比べたら大きいけどさ」
最寄り駅を降りたとき、いかにも東京といった都会の様相に田舎県(と言っても1時間足らずで都心まで来れてしまうのだが)の俺たち二人は高揚感を覚えていたが、大学のキャンパスまでもがその一部に溶け込んでいる状況には驚きの方が勝った。
そう、目の前にあるこの建物こそ、俺の第一志望校にして今日オープンキャンパスが行われている明央大学の本キャンパスなのだ。東京の西の方にも理系のキャンパスがあるらしいが、文系の俺は4年間ここで講義を受けることになるらしい。
「(てか、これ学費いくらかかるんだ……?)」
恐る恐るエントランスホールに足を踏み入れると、まぁなんと立派なブロンズ像や絵画の類がホールを囲むように展示されていた。だ、大学ってマジで一体なんなんだ。
「あ、兄さん。あと10分で説明会始まってしまうようです!」
汐音の指さす方向を見ると、スクリーンの「本日の時程」のところに説明会の開始予定時刻と開催場所が記されていた。他にも、模擬授業、校内ツアー、受験生相談会と様々なイベントが行われるようだ。
「早く行かないと席埋まっちゃいますよ!」
急かす汐音を追うように、説明会が行われる会場に足を早めた。
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「ふぅ、ギリギリでしたね」
「予想以上に人が多いな」
説明会の会場は、どこを見渡しても人で埋め尽くされていた。スタッフらしき人がスペースを見つけては折り畳み椅子を置くことでなんとか対処しようとしているようだが、入口から入ってくる人の量は増設される椅子よりもペースが速い。
椅子に腰を落ち着けたら、瞬間どっと汗が湧き出てきた。鞄から制汗シートを取り出し、額や腋を拭う。
「冷房、全然効いてないな」
「これだけの人がいたら仕方ありませんよね。熱中症になる人がいないといいんですが……」
室温は30度近くあるだろう。外気温に比べればマシとはいえ、汐音の言う通り熱中症の危険は室内でも十分ある。
乾いた喉を潤すためにも、来る途中の自販機で買ったスポーツドリンクを飲み干していると、背後から話し声が聞こえてきた。
「……いえ、そんなことまでしてもらうわけには」
「いいっすいいっす! ウチ、暑いの得意なんで」
「でも、もし熱中症とかで倒れたら……」
「大丈夫っすって! ちゃんと塩分飴も飲み物も持ってきてますし、団扇で仰いでるだけでも十分なんで!」
話を聞いてると、どうやら若い女性が年配の女性に席を譲っているらしい。説明会は1時間ほど続くにも関わらず、自分より他人のことを優先できるなんて偉いな、と感心していると、
「そう……? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね。ありがとう、ええと……お名前を伺ってもよろしいかしら?」
「あ、飾森って言います。高校2年生ですよっ!」




