Ep.3 はじめての中間テスト⑧
勉強している間は、他のことを考えないで良かったんです。それに、テストで良い成績を取ると、普段は、元妻の娘である私に対しては腫物を触るような態度だったお父さんが、私を褒めてくれました。「すごいな」って言ってくれたんです。
中学校になって定期テストが始まると、私はますます勉強にのめり込みました。……恥ずかしい話ですが、良い順位を取って、いろんな人に褒めてもらえて、尊敬されることが嬉しかったんです。
クラスの人たちは皆、勉強で分からないことがあると私を頼ってくれました。私は頼られているのが、誰かの役に立てているって実感できるのが嬉しくて……聞かれて答えるだけじゃなくて、理解が追い付いていなさそうな人を見ると、積極的に教えるようになりました。
その中に、一人の男の子がいたんです。サッカー部に所属していた彼は、顔立ちもとても整っていて、学年で1、2を争うくらいに運動ができたので、ファンクラブができちゃうほど人気な人でした。
そんな彼も勉強は、中でも数学が特にニガテでした。中学2年生の時に同じクラスになって以来、テスト前になると私のところに毎回質問しに来ていたので、すごく向上心がある人なんだなって思ってたんです。
3年生になって、1学期の期末テストが終わった後のことでした。放課後に彼から呼び出されて、その、交際をしないかと持ち掛けられたんです。「いつも優しく勉強を教えてくれる君を好きになった」って。
好意を抱かれていたのは嬉しかったんですが、私はまだ付き合うとかよく分かっていなかったし、他の女の子の反応も怖かったので丁重にお断りしたんです。
いじめが始まったのは、その次の日からでした。
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長い間話していたから、喉が渇いたのだろう。そこまで話すと、音羽さんは、鞄から水筒を取り出すとクイッとその中身を飲み干す。
一方の俺は言葉を失い、自分の疑問を発するのでさえ精一杯だった。
「なんで、それでいじめに……」
「……断られてショックだったのか、その人があることないことを言いふらしたみたいなんです。その、私が男性関係にだらしないとか、心の中では他の女子を見下しているだとか」
音羽さんは目を伏せて答える。この前、「あやちゃん」が彼女に向かって「ビッチ」と罵ったのは、その男子の噂を信じてのことなのだろうか。
俺の心を読んだのか、彼女は苦笑を浮かべて首を横に振る。
「それだけじゃないんです。クラスの女の子のリーダーだったリンカちゃんって人が……その、彼のことを本気で好きだったんです。だから、告白された挙句、断った私を許せなかったみたいで……」
ようやく合点がいった。その「リンカ」って子は、音羽さんに嫉妬心を感じていたんだろう。しかも、中学生くらいの女の子にとってクラスのリーダーに嫌われるということは、そのクラスでの居場所がなくなるということに等しい。
そんな中で、その告白してきた男子が流した噂の存在だ。中学生のネットワークは、侮ることができない。きっと一夜のうちに「音羽瑠美は性格が悪いビッチ」という噂が広まったことだろう。
「もちろん、『瑠美はそんな子じゃない』って思ってくれてた人もいました。でも、リンカちゃんに目をつけられるとどうなるかは皆分かっていたので、表立ってそう言える人はほとんどいなくって」
確かに、よくある話かもしれない。クラスの権力者に嫌われて、クラスの輪から爪弾きにされる。仲が良かった友達も、自分まで他の人に嫌われるのを恐れて何もしてくれない。
どれほど心細かっただろう。どれほど悔しかっただろ。当時の音羽さんの心境を考えるだけで、頭を掻きむしりたくなるような気分になる。
「それで、学校に行くのが怖くなって不登校になったんです。夏休み以降、学校には一度も足を運んでいません。卒業式も、行こうとはしたんですが……」
無理もない。むしろ、そんな中でも、高校にはちゃんと進学しようとしたことの方が褒められるべきだろう。普通の人だったら、二度と学校に行きたいなんて思わないだろう。
「じゃあ、白河に来たのって」
「はい。元々は都内に住んでいたのですが、見かねた父親が環境を変えるために引っ越してくれたので。上位の高校には何人か同じ中学校の人が進学したと耳にしたので、知り合いがいなかった白河高校に進学したんです」
まさかあやちゃんともう一度会うなんて、とため息をつく音羽さん。俺があの日パフェに誘わなければ出会うことはなかったはずだ。決まりの悪さを感じ思わず俯く。
「それが、中学校時代にあったことです。今は、クラスの皆さんとは仲良くさせていただいてるし、お父さんとの仲も決して険悪なものではありません。すみません、暗い話を長々と……」
「……いや、こちらこそ嫌なこと思い出させてすまなかった」
「それにしても、私も懲りてませんよね。出しゃばって勉強を教えて、それであんなことになったのに、またこうやって……私、勉強しか取り柄ないので」
苦笑いのような……いや、泣き笑いだろうか、そう言って彼女は自嘲する。
それまで彼女の境遇を不憫に思うことしかできなかった俺は、それを聞いてほんの少し、腹が立ったのを感じた。
「それって、俺が音羽さんに告白してきた男子みたいに、音羽さんを陥れるかもしれないってことか?」
「ち、違います! 皐月先輩がそんな、そんなことするなんて考えたこともないですっ! その、全然変わっていない自分に失望しただけで……!」
音羽さんは慌てて否定をする。ただ、俺の苛立ちは一向に収まりを見せない。何に対しての苛立ちなんだろうか、少し考えただけで分かった。
「音羽さん」
「はいっ、本当にすみませうにぃっ!?」
語尾が乱れたのは、俺が彼女の白く柔らかいほっぺたをつまんだからだ。こんなことをして嫌われないかなと逡巡する間もなく、気が付いたら体が動いていた。
(ええい、もうなるようになれっ!)
俺は、彼女の話を聞いて感じたことを素直に伝えた。彼女自身は、自分を責めるばかりで気づいていないだろうから。
「音羽さんは何も悪いことしてないよな、それって」




