Ep.3 はじめての中間テスト⑦
「いじ、め?」
「……はい。クラスの皆から無視されたり、私がいないところでコソコソと悪口を言われたり。典型的な、いろんなところで起こっている”普通の”いじめでした」
そう話す音羽さんは、どこか吹っ切れたような、自分とは関係のない他人について話すかのような表情をしていた。
「でも……どうして……」
まだ出会ってから1か月しか経っていないが、彼女がいじめられそうな原因に思い当たる節はない。恵まれた容姿を鼻にかけるような態度はもちろん取っていないし、クラスの友人とも仲が良いのだろうということは、会話の端々から察することができた。
あれこれと考える俺に寂しげな視線を送る音羽さん。
「きっかけは本当に些細なことだった……んです。少なくとも私にとっては。でも……」
「他の人にとっては違ったんだな」
言い淀む彼女の代わりに言葉を続けると、コクリと首を縦に振る。
「もしかして、前に俺が「音羽先生」って呼んだときに、その、泣き出したのは」
「……はい。「先生」というのは私を攻撃していた人たちの間で使われてた隠語だったんです。すぐに私に直接使ってくるようになりましたけど……」
だからどうしても思い出しちゃって、と彼女は目を伏せる。無理もない。多感な時期に受けたいじめの傷跡が、たった数年で回復するなんてことはあり得ないだろう。あの時の俺に「配慮しろ!」というのは無理な話だが、知っていれば絶対に口にしなかっただろうに。
「さ、皐月先輩……その……これから話すのは、今までお伝えしたことよりも、だいぶ……えっと……」
音羽さんはしどろもどろにそう伝えてくる。俺に言うべきか、言わないべきか、迷っているらしい。内容的に、明るい話ではないことは分かっていたが、これ以上に暗いことを彼女が経験してきたのかと思うと気が遠くなりそうだ。
(でも、俺は話を聞き始めるときに決めたんだ。最後までちゃんと聞く。もっと音羽さんのことを知るんだって)
「音羽さん。最後まで聞かせてくれ」
想いの宿った視線で彼女を見つめる。それを受け彼女も意を決したのか、一呼吸おいてから滔滔と語り始めた。誰にも明かしていなかった、彼女の過去を。
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私が小学校5年生の時、母が亡くなりました。
昔から、私は母が……ママが大好きだったんです。優しくて、お料理が上手で、いつもニコニコしている人でしたから。私の髪の色も、ママと一緒なんですよ。
ママは中学校で英語の先生をしていました。ママのお母さんはイギリス人でしたから、その影響で、小さいころから英語は得意だったみたいです。一度だけ、ママの授業を見に行ったことがあったんですが……とても、とってもかっこよかったんです。付いてこれていない生徒がいないか、教室を縦横無尽に歩き回って生徒とコミュニケ―ションを取りながら授業を進めて行く様子は、まるで映画のワンシーンみたいに私の脳裏に残っています。
でも、激しく動き回ってたのがいけなかったのか、体調は崩しがちでした。小学校の授業が終わって家に帰ると、ママが家で倒れていたこともあって……。お父さんとは「仕事を辞めろ」「続けさせてほしい」と毎週のように口論をしていて、結局、私が小学校4年生の時に離婚してしまいました。
私はママが大好きでしたし、一人にするのが心配だったので、ママについていくことにしました。そのころになると、私も一通りのことはできるようになってましたし、宿題を自分一人で解いて、ママにその説明をしてあげるとすごく喜んでくれたんです。「瑠美の説明は分かりやすいわね!」って。
嬉しくて嬉しくて、私は学校でも宿題がわからなかったという友達を見つけては説明してたんです。年に数回だけ会っていた父にも、会うたびに学校でやっている勉強について説明していました。「お前はお母さんに似たなぁ」と苦笑していましたけど……
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「もしかして、それが……」
「……はい、たぶん私が勉強とかで困っている人を見ると放っておけなくなったのはこの頃からでした。ちょうど視力が落ちてきたころで、眼鏡をつけるようになったのもこの時期でしたし」
愛用の眼鏡を制服のポケットに入っていたケースから取り出して、愛おしそうに撫でる。
「母子家庭の生活は、決して贅沢ができるほど豊かではありませんでしたが、とても楽しかったです。でも、長くは続きませんでした……」
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死因は過労と、それによって免疫が弱った時に罹ったインフルエンザでした。「大丈夫、毎年流行って……ほんと嫌よね」なんて軽口を叩いていた二日後に自宅で意識を失って。そのまま、母は帰らぬ人になりました。
正直、何が起こったのか分かりませんでした。インフルエンザなんて、クラスの子たちも皆罹ってたのに。「学校を何日も休めるラッキーなこと」くらいに考えてたのに。
お葬式のとき、私は涙が全く出ませんでした。これは悪い夢なのだと。目が覚めたら、ママが「瑠美はねぼすけさんね」なんて言いながら笑っててくれるんだって。本気でそう思ってたんです。
でも、悪い夢はまだ続いていました。母の葬儀の時、喪主は元夫として父親が務めたのですが、彼は既に別の女性と再婚していたのです。式の時にすごく親しそうな人がいるな、とは思ったのですが、父方の祖父が申し訳なさそうにそれを伝えてくれた時、私は気を失ってしまいました。
目が覚めたら、見知らぬ天井が視界に入りました。ベッドの横を向くと、父が神妙な顔で座っていて、「今日からお前もここで暮らすといい」って。
ママがいなくなってしまい、どうすればいいか分からなかった私は言われるがままに父の家で生活を始めました。元妻の子である私との接し方は、再婚相手との手前かなり迷っていたようで……
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「まさか、虐待とか……」
「い、いえ! そこまで重い話じゃないです!」
慌ててかぶりを振る音羽さん。ここまでで十分重い話だった気がするけど……
「音羽さんって、今もお父さんと暮らしてたよね」
「はい。その再婚相手の方も一緒ですね。といっても、父は出張が多く、その方はいつも付き添っているようなので、ほとんど会いませんが」
良かった、というべきなのか俺には分からない。家族が「おかえり」と言ってくれて、風邪をひいたら気遣ってくれて。それが無くなったらと考えようにも想像すらできない。
あたりまえの幸せを享受できない人がいることに気づいて、罪悪感に似た感情を抱いている俺を優しい目で見つめると、彼女は話の静かに続きを始めた。
「父親にも構ってもらえず、何をしたいのか、何をするべきかも分からなかった私が縋ったのが、勉強でした」




