第27章 幸せな 4
数秒立ち竦んでから、すごい勢いで晶は振り返る。ハルを残してきた、あの丘の方向ではなかったか?
駆け出そうとしたとき、テミストが腕にしがみついた。
「って、おい!」
「行っちゃ駄目」
必死な、切羽つまった、――けれどもどこか落ち着いたところのある声だった。
このことを予想していたかのような。
「アキラは帰って。逃げて」
振りほどこうとするのをやめて、少年は少女をまじまじと見た。
「何やった?」
何か知っているのか、という質問は飛ばした。
応、に決まっている。
「何をしたんだ、テミスト!」
「……お母様とボイルに帰るの」
少女は唇を震わせた。
「あたしだけならいいわ! お母様があんな風に働いて」
「何やったって訊いてんだ!」
怒鳴れば一瞬怯んで、しかし負けじと叫び返す。
「ハルを引き渡せばお母様の追放を取り消すって、お──」
はっ、と両手で口を塞ぐ。解放された少年は、だが、その場から動かなかった。
「おまえ……領主の娘の、テミストか?」
お父様、と言いかけたのだ。お父様が言ったの、とでも続くところだったのだ。
ボイル領主の一人娘。三番目の正妻の娘。肖ったのだと、本人は説明した。
死んだはずの。マリッカに近い年齢のはずの。
――秘宝が蘇らせたのだとしたら。マリッカとカダの間にもう一人、使った人物がいたはずだ。赤みの強いオレンジ、――テミストとその母親の瞳と同じ色をしていたときに!
かっと頭に血が上った。
「おまえが違うって言うから俺は信じたんだぞ! そうじゃないかと思ってもっ、おまえが違うって言ったから……!」
「ハルだって隠してたじゃない、コルカ領主の庶子だってこと!」
テミストは泣き出さんばかりだった。なんでそっちが泣くんだ。
兄がいるわけだ。ロアーデルの興味を引くわけだ。四年前はエルにいなかったわけだ。辻褄は合うと、そう、本当は気づいていたのだ。
「隠すならずっと隠してればよかったのよ! お父様がハルを渡せなんて言い出したのは、ヒュレイがコルカを継げなくなるかもしれないからよ──ハルが名乗り出るからよ!」
ハルは嫌がったんだ、と言い返しそうになって呑み込む。それどころではない。言い争っても何にもならない。
無言で飛び出して、再びテミストが縋りつく前に呪文を口にする。青と緑の飾り紐、足の速さを底上げする魔術。一気に森を駆け抜けて、丘の麓へ来た。
最初の爆音以降、類する現象は特に届いていなかった。丘に駆け登っても、平和な景色が静かに広がっているだけだ。但しハルの姿も見当たらなかった。頂上を越えて反対側に駆け下りようとしたとき、――しかし、それらは一変した。
草原は荒野に変じ、空の青はくすんだ灰色に変じた。地面のあちこちに穴や焼け焦げが散らばった。光が幾筋も飛び交い、破裂し、地を抉っている。人影が二つだけ、見受けられた。薄い橙の髪をなびかせた女性と、――ハルと。
魔術師でない自分に何ができるのか、足手まといになるだけではないかと、躊躇に足が止まったものの。
飾り紐の魔法が途切れてしまわないうちに、晶は強く地面を蹴って、ハルのそばへと駆け寄った。




