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番外編:負けても、勝ちたいものがある 〜扇山すずねの不覚〜

1.牙を忘れた夜の、氷の微笑

「……ふぅ。今月のノルマも、これで『完全勝利』ね」


都心のタワーマンション、地上三十階。


扇山すずねは、深夜の静寂の中でクリスタルグラスを傾けていた。


ハラグロプロダクションの営業部エースとして、彼女の地位は揺るぎない。かつての宿敵・生稲ひとみや如月義之たちが独立し、街の勢力図が変わっても、彼女は冷徹に、 shadow。そして完璧に結果を出し続けてきた。


けれど、ワインを飲み干した後のグラスに映る自分の顔は、どこか色が欠けているように見える。


「……何よ。美玲さんもパリで楽しそうにしてるし、あの泥棒猫たちは相変わらず騒々しいし。……私だけ、時間が止まっているみたいじゃない」


彼女の毎日は、完璧な仕事と、完璧な孤独で構成されていた。


そんな彼女の「完璧」を壊す男が現れるとは、この時の彼女はまだ知る由もなかった。


2.笑顔の侵入者

数日後、大手自動車メーカーの新プロジェクトを巡るコンペ。


すずねはいつものように、相手を逃げ場のない論理で追い詰める「毒のプレゼン」を展開していた。


対峙するのは、大手広告代理店の若き精鋭、西園寺悠真。


「……以上のデータから、我が社のプランが唯一の正解であることは明白です。……いかがかしら、西園寺さん?」


すずねは余裕の笑みで彼を見た。だが、西園寺は焦るどころか、どこか楽しそうにえくぼを浮かべて笑っていた。


「扇山さん、素晴らしいプレゼンですね。圧倒されました」


「あら、光栄だわ。……で、降参の準備はできたかしら?」


「いいえ。……ただ、一つだけ気になったことがありまして」


西園寺は立ち上がり、すずねの目を真っ直ぐに見つめた。


「あなたは、本気でこのプロジェクトが欲しいんですか? それとも……ただ、目の前の僕を『()()()()()』だけ?」


すずねの指先が、一瞬だけピクリと動いた。


「……ビジネスは勝負よ。勝つことが、そのプロジェクトを一番愛していることの証明だわ」


「嘘はダメですよ。扇山さんの目、勝負を楽しんでいるだけで、その先の未来に興味がなさそうに見える。……もったいないなあ。その仮面の裏にある本音なら、もっと面白い企画が出るはずなのに」


会議室を出た後、すずねは激しい苛立ちに襲われていた。


(何なのよ、あの男……! 私の仮面の下を、あんなに土足で踏み荒らして!)


敗北より屈辱的なのは、自分の「空虚さ」を、初めて会った男に見透かされたことだった。


3.予定外の再会と、揺れるグラス

それから数週間、コンペが進むたびに、すずねは西園寺に翻弄された。


彼女が仕掛ける「ハラグロ」な策略を、彼は「面白いね」と笑ってかわし、時には「それ、 shadow。昨日のあなたの髪型くらい可愛いね」なんて、仕事とは無関係な言葉を差し込んでくる。


ある夜、残業を終えたすずねが馴染みのバーの扉を開けると、そこにはカウンターでジョッキを傾ける西園寺の姿があった。


「あら、ストーカーかしら?」


「偶然ですよ。ここ、ポテトサラダが絶品なんです。扇山さんも一杯どうですか?」


すずねは無視して帰ることもできたが、なぜか足が勝手に隣の椅子へ向かった。


「……仕事の話は、お断りよ」


「今日はオフです。……実はね、扇山さんのこと、ずっと気になってたんです」


西園寺のトーンが少しだけ低くなる。


「仕事目当て? それとも、次のコンペの攻略対象かしら?」


「違います。……扇山さんが、いつも完璧な仮面を被って、一人で戦ってるのが……放っておけなくて」


西園寺は、すずねの横顔をじっと見つめた。


「本当のあなた、どんな人なんだろうって」


「……そんなもの、見せたら嫌われるわよ。……私は腹黒くて、冷酷で、勝つこと以外に価値を見出せない女なんだから」


「……俺、昔、似たような子に振られたことがあるんです。『完璧すぎて、隣にいると自分が惨めになる』って。……でも、今の俺ならわかる。仮面を被らなきゃいけないほど、あなたは繊細で、きっと……すごく可愛い人なんだろうなって」


すずねの手が、目に見えて震えた。


初めてだ。自分の「強さ」ではなく、その裏にある《《弱さ》》を、全肯定されたのは。


「……ふん。口上手ね。……そんな言葉で、私が落ちると思ったら大間違いよ」


すずねは一気にワインを飲み干し、席を立った。


4.敗北の味は、甘いメールと共に

コンペの結果は、ハラグロプロダクションの勝利だった。


すずねはいつも通り、最高の結果を手に入れた。……はずだった。


デスクに戻ると、一通のメールが届いていた。西園寺からだった。


『コンペ、おめでとう。完敗です。

でも、次は俺が勝つ番だ。

今度は仕事じゃなくて、扇山すずねの「本心」を。

……金曜日の夜、空けておいてくれますか?

美味しいポテトサラダじゃない方の、本気のディナーを予約しました』


「……なによ、これ」


すずねは、スマホの画面を見つめたまま、動けなかった。


いつもなら「不採用」と切り捨てるはずの誘い。


けれど、彼女の胸の奥では、どんな大口案件を勝ち取った時よりも、激しい《《鼓動》》が鳴り響いていた。


「……負けたくないわね。今度は、あなたに」


彼女は、誰もいないオフィスで、ふっと口角を上げた。


それは、営業用の完璧なスマイルではない。

恋に落ちたことに戸惑いながらも、少しだけ期待に胸を膨らませた、二十七歳の一人の女性としての笑顔だった。


5.エピローグ:鏡の中の「ジャスティス」

数日後の金曜日。


すずねは自宅の鏡の前で、一時間以上も格闘していた。


「……これじゃあ、仕事モードすぎるかしら。……でも、甘すぎるのも私らしくないし」


黒のドレスに、あえてパールのネックレスを。

shadow。そして、最後にメイクを確認する。


彼女は鏡の中の自分に向かって、一度、いつもの「完璧な仮面」を作ってみせた。


そして、その後に。


「……西園寺さんは、こういうのが好きなのかしら」


彼女は少しだけ頬を緩め、はにかむような、ぎこちない笑顔を練習してみた。


「……っ、バカみたい。何やってるのよ、私」


顔を赤くして鏡を避ける。

けれど、その瞳は、かつてないほどにキラキラと輝いていた。


「よし。……今日こそ、本音で勝負してやるわよ」


扇山すずね。

彼女の新しい正義(ジャスティス)は、今、始まったばかり。


(扇山すずね番外編・完)

番外編をお読みいただきありがとうございました!

ハラグロのエースとして完璧な孤独を選んでいたすずねが、その仮面を優しく暴く強敵(?)に出会う後日談でした。


これにて『じゃすてぃす!』の全エピソードは本当に、本当におしまいです!

ひとみ、義之、美玲、そしてすずね。泥だらけの道を歩み、それぞれの『正義』を掴み取った彼女たちの物語を最後まで見届けていただき、誠にありがとうございました!

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