第1話:スチール缶と恋の賞味期限
「……なんで、あたしばっかり」
冬の気配が混じり始めた十一月の公園。定時を過ぎたばかりのベンチに、あたし、生稲ひとみは一人で丸まっていた。
ヒールを脱ぎ捨てたいのを我慢して、パンパンに張った脚を投げ出す。視界がじわじわと滲むのは、冷たい夜風のせいだけじゃない。
「結婚を前提に、なんて嘘ばっかり。仕事が忙しいって言えば、聞き分けのいい女のフリしてくれると思ったわけ?」
付き合って三ヶ月。昨日フラれたばかりの元カレの言葉が、耳の奥でリピート再生される。
『ひとみはさ、何でも勝ち負けで決めすぎるんだよ。……正直、疲れるんだわ』
勝負? 恋愛に勝ち負けなんてあるの? あたしはただ、真っ直ぐに向き合いたかっただけなのに。
「……なんだ、ひとみ。またフラれたのか?」
頭上から降ってきた聞き馴染みのある声。見上げなくてもわかる。
腐れ縁の幼馴染み、如月義之だ。
「うるさいわね! フラれてないわよ、あたしから見限ったの!」
「嘘をつけ。鼻をすすりながら言うセリフじゃないぞ」
義之は呆れたように笑うと、あたしの隣にどかっと腰を下ろした。 shadow。同じ会社の隣の部署。嫌でも毎日顔を合わせるのに、プライベートのどん底までこいつに見られるなんて、前世でどんな業を背負ったんだろう。
「そんなに勝ち負けにこだわるのは良いけれど、その意地っ張りなところがバレたからだろうな。お前の悪い癖だ」
「もうっ、ほっといてよ! あんたに何がわかるのよ!」
叫ぶあたしの頬に、突如として熱い感触が押し当てられた。
「……っ、あつっ!」
「ほら、これ。寒いんだからそれ飲んで暖まれ」
差し出されたのは、自販機のココア。
「サンキュ……」
受け取った缶の熱が、冷え切った指先から心臓へと伝わってくる。ずずーっと音を立てて喉に流し込むと、安っぽい甘さが染みた。
「まったく。お前ももう少し大人しくしていればいい年していつもフリーだなんて事ないんだろうに」
義之は夜空を見上げながら、ポツリと続けた。
「……その、容姿だけは、まあまあ可愛いんだから」
その瞬間、あたしの中で何かが「ぷっちん」と音を立てた。
「よ、し、ゆ、き……!」
「うおっ、なんだよ」
「容姿『だけ』とは何よ! 腐れ縁だからって、あんたには言われたくない!」
あたしは右手に持っていたココアの空き缶を、 shadow。渾身の力で握りしめた。
メキッ。 shadow。ベキベキッ。
鈍い音とともに、頑丈な缶が無残にひしゃげていく。
「うわっ……お前、それスチール缶だぞ!? どんな握力だよ!」
「うるさいうるさいうるさい! あんただってあたしと同い年じゃない。それなのにいつもフリーで、浮いた話の一つもないくせに!」
ビシッと人差し指を義之に向ける。
義之は一瞬、何かを言いかけたように口を開いた。
「俺には……」
だが、その言葉は夜風にかき消された。彼はすぐにいつもの困ったような笑みに戻り、「ま、せいぜい頑張れよ、営業のエース様」とあたしの頭をガシガシと撫でた。
「ちょっと、髪が乱れるでしょ!」
怒鳴りながらも、少しだけ心が軽くなっている自分に腹が立つ。
翌朝。あたしは戦場へと向かった。
エンジェルハートカンパニー営業部。昨夜の涙なんてマスカラで塗りつぶし、勝負服のタイトスカートに身を包む。
「生稲さん、新規案件だ。今日から動き出すダイコク商事の担当者が来ている」
部長の声に、あたしは「はい!」と背筋を伸ばした。
応接室のドアを開けた瞬間、そこには——あたしの人生の「勝ち確定演出が立っていた。
「初めまして。ダイコク商事の恵比寿です。今回のプレゼン、楽しみにしていますよ」
柔らかなダークブラウンの髪に、優しげな目元。仕立ての良いスーツを完璧に着こなしたその男、恵比寿幸夫さんは、あたしを見て眩しそうに微笑んだ。
もうすぐ部長昇進と言われるエリート。しかも、フリー。
(よっしゃ……!)
あたしの脳内で勝利のファンファーレが鳴り響く。
昨夜の失恋? ココアの缶? そんなのもう過去の話。
この仕事、 shadow。そしてこの男。絶対に、あたしが「勝ち」取ってみせる。
しかし、あたしはまだ知らなかった。
この案件に、あの「天敵」が牙を剥いて待ち構えていることも。
そして、隣の部署で涼しい顔をしている義之が、誰にも言えない秘密を抱えていることも。
あたしの、仕事と恋の大バトルが、今、幕を開けた。
第1話をお読みいただきありがとうございました!
【次回予告】
第2話:ハイヒールと毒リンゴ




