第13話 私の推しは伝説の元冒険者です
救出後、領主館に戻り、医務室でそれぞれ処置が行われた。
フィーナは椅子に座り、腫れた頬に冷たい湿布を当てられている。
足首も軽く包帯で固定された。
「大したことなくてよかったですね、フィーナ様」
治療師の言葉に、フィーナは小さく頷いた。
だが──
その視線は、部屋の隅の別のベッドに釘付けだった。
そこには、上半身を包帯だらけにしたグレイが横たわっていた。
右瞼は腫れ上がり、ほとんど開かない。
右腕と左太ももには縫合の跡。
肋骨には複数のひびが入り、呼吸が浅い。
フィーナはその姿を見た瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。
「……ハーヴェイさん……」
気づけば、ぽろりと涙が落ちていた。
グレイは片方の目をうっすら開け、
フィーナの涙に気づくと、苦笑しながら言った。
「……バカだな……こんな傷……大したことない……泣くなよ……」
声はかすれていたが、その言葉にはいつもの優しさがあった。
フィーナは首を振り、涙を拭おうとするが止まらない。
「だって……こんなに……こんなに傷だらけで……私のせいで……!」
「違う……俺が勝手にやっただけだ……守りたかったんだ……」
グレイの大きな左手がフィーナの頭をやさしく撫でる。
その甲には二本の古い爪痕があった。
「フィーナ様、そんなに泣いてたらかわいい顔が台無しですよ」
ミイナがハンカチをフィーナに渡す。
ミイナは左腕に包帯が巻かれている。
「ミイナもごめんなさい。危険な目にあわせて、怪我までさせてしまったわ」
フィーナがハンカチで目元を抑えながらいうと、
「フィーナ様……ご心配なく。私はこの程度で済みましたから」
だが、フィーナは首を振った。
「この程度って……!腕、腫れてるし……背中も打ってるじゃない……!」
ミイナは気丈に笑った。
「それでも、フィーナ様を守れなかったんです。本当にすみません」
フィーナは首を振り、ミイナの手をそっと握った。
「ミイナは十分すぎるほど頑張ってくれたわ。本当にありがとう」
その横で、リューが深く落ち込みながら呟いた。
「……いや……俺が……俺がふがいないから……
お嬢にもミイナにも……ハーヴェイさんにも……迷惑ばかり……」
ミイナはため息をつき、リューの肩を軽く叩いた。
「あなたはフィーナ様にコロっと騙されたんですから、仕方がないですよ」
リューは顔を上げた。
「……なんか……扱い悪くないか……?」
ミイナは真顔で言った。
「事実ですから」
フィーナは思わず吹き出し、グレイも苦笑した。
ミイナはふとグレイの方を見て、目を輝かせた。
「それにしても……ハーヴェイさんの戦い方はすごかったです。
私、夢でも見ているのかと思いました」
フィーナはそっとグレイの左手を取り、甲に刻まれた古い二本の爪痕を指先でなでた。
「……ハーヴェイさんが……黒刃のライだったのね」
グレイは照れ臭そうに視線をそらす。
「ああ、でも、昔の話だよ」
その瞬間、リューが勢いよく身を乗り出した。
「ええっ! ハーヴェイさんが、あの伝説の!?」
ミイナも驚く。
「黒刃のライって!!」
リューは興奮で声が裏返っている。
「あの、数えきれないほどの魔獣を倒した英雄の?黒銀の、怒れる黒刃のライ?」
リューはさらに熱が入る。
「でも、二年前のスタンピードで消息不明って…」
その横で、グレイは深いため息をついた。
「……いろいろ事情があってな。死んだことにして冒険者を引退したんだ」
リューは目を丸くした。
「じゃあ……ハルも生きてるんですか?」
グレイは片目だけでリューを見て、苦笑した。
「ああ。ぴんぴんしてるよ」
「だ、誰なんですか!?どこにいるんですか!?」
リューが身を乗り出すが、グレイは鋭い視線を向けた。
「……教えるわけないだろ」
リューはがくっと肩を落としたが、すぐに顔を上げてにやりと笑った。
「それじゃあ、最後にひとつだけ」
グレイのベッドにそろそろと近づき、
「……あの……サインください」
グレイは眉をひそめ、短く言い放つ。
「……帰れ」
ミイナが額に手を当てた。
「リュー、空気読みなさい」
フィーナはそのやり取りに、ふっと笑みをこぼした。
「ふふ……」
ミイナは姿勢を正し、軽く頭を下げる。
「それでは、私たちはそろそろ引き上げますので、ゆっくり休んで下さい。
お嬢さま、よかったですね」
ミイナとリューが医務室を出ていくのと入れ替わるように、
第三王子テオアルディが姿を見せた。
「二人とも、どうだい?」
フィーナは反射的に椅子から立ち上がり、姿勢を正した。
だが、その声には沈んだ色が混じっていた。
「私は……大したことないのですが」
テオアルディは軽く手を上げて制した。
「いいよ、フィーナ嬢。座って座って」
フィーナを座らせ、自身も椅子を引き寄せ座った。
そして、ベッドに横になっているグレイを親指で指した。
「大丈夫大丈夫。こいつは不死身だから気にするな」
グレイは枕に頭を沈めたまま、片目だけで睨む。
「……ふざけるな」
だが、その声には笑いが混じっていた。
フィーナは二人のやり取りに、ようやく心からの安堵を感じる。
テオアルディは少し真面目な表情に変わった。
「さて……エドガーとアナスタシア嬢の処分について話しておこうか」
フィーナは息を呑み、表情を引き締めた。
「まず、エドガーとバルメイン伯爵家。
あそこは……まあ、予想以上にいろいろやってたよ」
テオアルディは肩をすくめる。
「密告があってね。国の調査が入ったら、出るわ出るわ。
……賄賂、横領、脅迫。もう断罪は確定だ。
エドガー自身にも多額の借金があったらしい」
フィーナは小さく震えた。
「……そう、ですか」
「うん。エドガー本人は牢屋にぶち込んである。しばらくは出てこられないよ」
グレイは静かに息を吐いた。
「……当然だな」
「そして、ヴェルディエ子爵家。こちらも密告があってね。
調査を入れたら……誘拐に人身売買、あの家はもう終わりだ」
フィーナの胸がざわつく。
「……アナスタシアは……?」
テオアルディは少しだけ表情を和らげた。
「彼女は完全な被害者だね。本人は否定しているけど」
フィーナは驚いたように目を見開いた。
「否定……?」
「ああ。でも、君のことも……守りたかったんじゃないかな」
その言葉に、フィーナの胸がきゅっと締めつけられる。
アナの最後の、あの震える唇。
あの一瞬の迷い。
そして、フィーナを庇ったあの行動。
全部が、線でつながっていく。
「第三王子殿下、アナスタシアは無実です。私を助けてくれたんです。
アナスタシアは私の大事な親友なんです。どうか助けてください」
フィーナは頭を深く下げて訴える。
テオアルディは優しく言った。
「まあ、保護という形になったし、時間はかかるだろうけど……」
そして、軽く笑って言い切った。
「大丈夫だよ。俺が救うから」
フィーナは思わず聞き返した。
「……殿下が……?」
テオアルディはにっこり笑う。
「そう。だからフィーナ嬢は安心して待っていなさい」
その声音は、冗談めいているのに、どこか揺るぎない強さがあった。
フィーナは深く頭を下げた。
「……わかりました。よろしくお願いします」
テオアルディは満足げに頷き、軽く手を振った。
「じゃあ、俺はこれで。ゆっくり休むんだよ」
そう言って、静かに医務室を後にした。
二人だけの空間になり、静けさが戻る。
グレイは枕に頭を沈めたまま、わずかに視線だけをフィーナへ向けた。
「フィーナ嬢、もう休んだ方が……」
「あーあ、呼び方が戻っちゃった」
「?」
「助けに来てくれた時、フィーナって言ってくれてたのに」
「あ、あの時は夢中で……すまない」
フィーナは首を振り、再度グレイの左手を取り、甲の傷を確認した。
「ねえ……ハーヴェイさん。私の推しは……あなただったのね」
グレイはぽかんとした顔をした。
「……推し……?」
フィーナは小さく息を吸い、胸の奥にしまっていた思いをそっと取り出すように話し始めた。
「私……ライ様に救ってもらったことがあったんです。
あなたは覚えてないかもしれないけど……」
グレイの表情がわずかに揺れる。
「7年前、隣国の青銀の森で魔獣に出くわして。
そのとき、私……死ぬかと思ったんです。でも、あなたが助けてくれた」
「青銀の森…………あ、イチゴの女の子……」
フィーナは一瞬、言葉を失った。
まさか覚えているとは思っていなかった。
小さく息を吸い、ようやく声を絞り出す。
「……覚えていてくれたんだ」
グレイは片目を細め、遠い記憶を探るように呟く。
「そうか……」
フィーナはそっと続けた。
「でも、ライ様は左利きでしょ?ハーヴェイさんは右利きよね?」
「いや、俺は左利きだよ。ペンや食器を持つ手は……右なんだ」
「そうなんだ。てっきり右利きかと思ってた。
それに、手袋をいつもしてたから、手の甲の傷もわからなかったわ」
「ああ、この傷、みんな驚くから」
「そうだったんですね」
グレイは小さく息をつき、ぽつりと呟いた。
「そうか、あの時の子が君だったとは……不思議な巡り合わせだな」
フィーナは微笑んだ。
「はい」
そして、ほんの少しだけ勇気を振り絞って言った。
「あの時も助けてくれてありがとう。それからずっと……あなたが私の最推しなんです」
グレイは目を瞬かせた。
フィーナは首を振り、胸の奥が熱くなるのを感じながら言葉を続けた。
「最推しなんだけど、そうじゃなくてっ…あ、あなたが好きなのっ」
その言葉に、グレイの呼吸が一瞬止まった。
包帯の下で拳がわずかに震える。
「……俺は……」
声がかすれ、続きが出てこない。
こんな勢いで言うつもりはなかったのに。
フィーナはこの沈黙に居た堪れなくなる。
しばらくして、グレイはようやく言葉を絞り出した。
「……俺は、………………
伝説でも……英雄でもない。
どこの馬の骨とも分からない、
ただの……しがない文官だ」
その卑下する声に、
意を決し、グレイの手に自分の手を重ねる。
「私は……
初対面で失礼で、
融通がきかなくて、
でも本当は熱い心を待ってて、
ちょっと嫌みで、
でも人を想いやることができる……
ただのしがない文官の、
あなたが好きなの」
グレイはゆっくりと顔を上げた。
片方しか開かない瞳が、まっすぐフィーナを見つめる。
「褒めてんだかけなしてるんだか、どっちだよ……」
言いながら、ふっと小さく笑った。
まるで、もう勝てないと悟ったように。
そして、静かに、長く息を吐いた。
「……フィーナ。俺も君が好きだ」
フィーナの目に涙が溢れた。
「……私も……ハーヴェイさんが大好き」
グレイは微笑み、フィーナの手をそっと握り返した。
「……こんなぼろぼろじゃ恰好つかないな……」
「包帯だらけの人に告白されたのなんて、私くらいのもんね」
フィーナは涙をこぼしながら笑った。
「伝説級の幸せ者だわ」
fin.
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
フィーナ視点のお話はこれで一区切りです。
次はアナスタシア視点へと物語が移ります。
彼女の胸に秘めた想いや選択も、ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。




