代官屋敷の夜明け
三話目です。まだ子細な事情すら始まっていません。
ドアが三回軽く叩かれてた。
その時になって初めて、自分が集中し過ぎていて時間が経過していたことに若い男は気づいた。
そして入室の許可を出したのだった。
「セジアン茶をお入れしました。」
老齢の男性の家宰が、白いポットを持ち入室して来た。
「まもなく夜も明けます、少しはお休みにならないと、お疲れが取れません。」
セジアン茶は、独特の香りがする王都の皇族にも好まれる高級茶で、その発酵方法の所為か気分をくつろぎさせることが知られる。
寝る前に嗜む人も多く、睡眠を邪魔することもなく寝酒代わりに喫することもある。
「あー、もうダイスの出仕の時間か。 どうも久しぶりの"濃霧移転"で興奮していたようだ。」
「前の"濃霧移転"の時も、若様は寝ないでいらっしゃったのを覚えています。」
「もう三年前だったか、代官になりたてで興奮していた覚えがある。 …恥ずかしいな、もう寝るから勘弁してくれ。」
「それがよろしいかと存じます。 」
若い主人とそれを支える家宰の関係性を表す会話である。
事実、港街ディバンの領主である伯爵家の一族である代官のモリーが生まれる前からダイスは伯爵家に奉公しており、モリーが成人の儀を迎えてからはずうっと彼の家宰として支えていたし、モリーの兄の妻はダイスの次女である。
「…それと。」
ダイスは一息おいて、
「先日、丘下の『ファンの落日』のセス殿からご忠告を得たこともお忘れなきよう。」
『ファンの落日』は港街の中で一番の高級店と知られる娼館である。
一番の高級店であると共に、その人気もどの店よりもあり、そして情報もよく集まる。
セスという男は、取捨選択に優れておりその情報に関しては侮ってはいけないと云うのがこの港街の常識である。
「ああ、奴隷商人の出入りがあった件だね、忘れてないよ。」
「ようございます、怪しき者の出入りは良くない者も引きつけます。セス殿の報告は貴重です、あまりその様な物言いをする方ではございませんし、この"濃霧移転"も気になる物もございます。」
ダイスが夜着の着替えの手伝いをしながら、忠告するとモリーも深く頷き、
「セスに最初に忠告されたのは、成人の儀の時に『女の感を侮るなよ。』だったよ。」
「成人の儀には痛い言葉でございましたね。」
十五歳で迎える成人の儀は、年越の祭の次の安息日に行われ、ひとつの祭として感謝祭と供に街の一大行事であり、若者が正式に大人扱いされる。
モリーも六年前に迎え終えた。
「まだ、成人を迎えたばかりのガキには、何のことやら意味も解らなかったがな。」
成人の儀は、男子新成人には別の意味でも色々と緊張を強いることがある。
街の娼館は、この日だけは垣根が低くなり、人気の娼館は昼間から忙しさを迎える。
モリーは先代の代官だった父から『ファンの落日』に連れて行かれた。
相手は、娼館一の売れっ子らしかった。
伯爵家なら本来ならすでに結婚相手も決まっており、成人と供に式を上げることもある。
しかし、辺境の街ゆえの慣いもあり、代官職に付く者は慣いに沿うようにしていた。
書籍や書類の類を片付け、一杯のお茶を飲み干すとダイスが着替を持って来た。
夜着に着替えたモリーを寝室に送り出したダイスは、
「…なにもなければよいのですが…。」
と、つぶやいた。
時が数刻進み、盗賊団の予定の時間が来た。
時の判断は、潮風が山おろしから潮風上がりに変わる時間帯と決められていた。
百数十人の盗賊団が崖の上から一気に飛び降り、街に気取られる前に全てを終わらせるのが計画である。
鬨の声はあげない。
先頭の集団が飛び降りた瞬間が襲撃の合図である。
ギラギラとした熱気のようなものだけは、全ての盗賊団に伝わって来た。
先頭集団の一番身体の大きな男が、持っていた大斧が振られた。
一番最初に斬られたのは、門番でも見張の兵でもなくまだ暗い中を、朝の支度をするべく屋敷の裏にあるマキ小屋に取りに来ていた女官である。
暗い朝、魔導灯をともしてモリー代官の指示通りに、兵を二人護衛につけてはいたが押し寄せた盗賊の数の前には蟷螂の斧でしかない。
彼女は叫び上げる暇も与えられず絶命した。
女官が最後に見たものは、自分の命を奪うべく暗い闇から閃いた大斧のきらめきであろう。
「な!」
崩れ落ちるように女官が倒れこみ次の瞬間に、隣の同僚に矢が飛んで来て喉に刺さったのを見て、残った護衛兵が自分の前に持っていた長槍をかざして横薙ぎされた剣を弾いたのは奇跡的ではあったが、それでも彼の死は数瞬先に伸びただけだった。
しかし、護衛兵の今際の際の声、そして金属が激しくぶつかった音は、警戒を続けていた多くの兵にその時を知らせたのだ。
二十数人いた兵の叫ぶ声、代官屋敷のいたるところで上がる喧騒、家宰のダイスが気がつかないわけがない。
「モリー様!襲撃にございます。」
それでも言葉遣いが丁寧であるのはダイスの彼たる所以だろう。
すでに、手には愛用の短槍が握られていた。
一刻ほどの睡眠に落ちていたモリー代官の頭も数瞬は鈍かったが、覚醒した後の反応は早かった。
寝床の隠しから、護身用の剣と頭の防具を取り出し身につけた。
「こうなったか。」
「きゃつらの反応の方が早かったと思うべきでしょう。」
「わたしの不徳だね。」
「徳、不徳は何も申しません、これが辺境の街の現実であると理解しておりますゆえ。」
「ふふ、言うね。」
「すでに宿直の者が声を上げております。まもなく屋敷の鳴り物も響きましょう、さすれば街の者も動きましょう。」
主従は話をしつつも、しっかりと防具の装着を確認していた。
代官屋敷には色々なところに隠されてはいるが、いざという時のための装備の準備は欠かした時がない。
「死ぬなよダイス。」
「まだ、孫にも会いとうございますゆえ、意地でも生き残ります。」
主従の会話に敬意を感じられないが、これも長い間の信頼関係であろう。
モリー代官の武装がしっかりしたのを確認すると、自分用の装備も確認してダイスは
「女神様の加護がありますように。」
といい、
「お前にもな。」
と返された。
襲撃が知らされる鳴り物がひびいている。
魔導具を使っている大きな音を出すためだけに作られた物だ。
代官屋敷の中は様々なところで剣戟が響き、人の叫び声と悲鳴があがっていた。
扉が蹴破られ、壁に振り損なった槍が刺さり、すでに倒された盗賊の遺体が放置され、逃げ遅れた女官が倒れ伏している。
ダイスが即座に側によるが、すぐに首がふられた。
まだ若い女官の顔は、驚きを上げたままであり衣服もそれほど乱れていない。
ただ、壁にしつらえた扉はほとんどが開け放たれ、物色したあとはいたるところにある。
幸い、魔導灯のおかげか火は出ていない。
いやこの後に火を放つつもりなのかもしれない。
壁に掛けられた立派なしつらえの肖像画が無残にも切り裂かれていた。
「…せっかくの先代がお描きになった先代様の奥様の絵が…。」
ダイスのつぶやきが聞こえた。
「奴らに物の価値なぞ理解出来ないのだろう、代官屋敷では一番の高値であろう物なのにな。」
モリーもつぶやくように答えた。
「きゃつらには物の価値というものは、美味いか不味い程度のことなのでしょう。」
ダイスの辛辣なセリフはこの様な状態であっても普段と変わらないことにモリーは少しだけ安堵した。
広い代官屋敷は数十の部屋があり、半刻を費やして主従は確実に表に出るべく慎重に進んでいた。
屋敷を出るだけならそれほど手間はかからない。
いたるところに外とつながる扉はあり、鍵さえ外せばどこからでも出れる。
しかし、今は外とつながる扉を簡単に開けるわけにはいかない。
すでに屋敷の中では大きな叫び声や音はしなくなっていた。
途中、数人の衛兵と会うことが出来、三人衛兵と六人の文官、四名の女官の死亡の確認がとれ八人の生存者がいることを知り、怪我をしていたが二人の衛兵が主従と行動を共にすることになった。
怪我の程度は比較的軽く十分武器を構えることが出来た。
「衛兵頭のチェイスさんが、どこかで賊の相手をしているはずです。あの人ならそうは簡単にやられはしません。」
付き従う衛兵の一人がそう言ったが、主従はすでに十人を超える賊の死体と共に大きな体の衛兵頭が相打ちのように倒れているのを確認していた。
そして、その衛兵頭を倒した盗賊にとどめをさしたのは横で控える家宰の老人であった。
主従はすでに八人の盗賊と剣を交え、その全てを倒していたのだ。
その事をモリーは衛兵の青年二人に伝えると彼らは
「我らを盾としてお連れ下さい。」
と、短槍で体を支えながら健気にも言う。
それからも数回、扉を開けては賊の存在を確認して、ダイスが老齢を感じさせない動きで賊を切り捨てている。
その動きは、若い時の勇名を彷彿とさせる動きであった。
軍に席を置いていた時は、百人以上の兵を率いて最前線で戦う将兵であった。王国軍の誉れとされ徒士兵士の中でも特に栄誉を誇っていて国王からも剣を下賜されたこともあった。
あのまま軍に残っていたら、一廉の武将として名を成していただろう。
軍を引いたのは、戦傷の悪化だったためで後悔はなかったし、将帥の一人であった先々代伯爵家当主から請われて領兵軍の幹部になり、年齢と供に職責も変化していき現職に落ち着いたのは、すでに二十年以上前のことだ。
やっとモリーが生まれたころの話だ。
襲撃から一刻も経過していない。
モリーとダイスの主従は二人のケガを負った護衛兵を従え、それでも屋敷に乗り込んでいた賊を十人以上倒している。
物色をしていたとこを、後ろから奇襲したので武勇に優れていたとかダイスの力が突出していたという訳ではない。
しかし確実に慎重に賊を屠り、どれもしっかりとトドメをさしている。
もしも生き残りがいて、この暗闇の中で狙われるのはやめておきたい。
何人の賊が屋敷に侵入しているかわからないし、全体数など想像も出来ない。
今は、なんとしても日が昇るまで生き抜くことだ。
この街は辺境でも中心地、異変気づいたら多くの住人がすぐに動く。
モリーが兵を少なくしても大丈夫だと判断したのは、あながち間違いではない。
住人の多くは巨龍が住みついている街にいるくらいの強者である。
灯りさえあれば、多少の集団も盗賊団だろうが海賊だろうがものともしないであろう。
暗闇ですらなければ。
広い屋敷の中では、慌てふためけば入り込んでいる賊を集めることになり、暗闇の中での行動は別の意味でも危険を招きかねない。
扉の奥から怒声と物が壊れる音がする。
賊は二人以上いて、気が急いているのが廊下まで聞こえる。
(その部屋にあるのは、女官の日時品ばかりだ。)と、モリーは思い浮かべた。
「ちくしょう!金目のもんがなんもねぇぞ。」
「お前が、言ったんだろうが!屋敷には良いもんあるっつっていったのは。」
「倉庫にばかりたかったっていいもんなんか残っちゃいねぇだろが。」
声が扉に近づいてくる。
護衛兵の二人が脇に動き、モリーとダイスの方を見る。
魔導灯の薄明りがかなり高い位置からぼんやりと浮かび上げる。
扉が開いた。
賊の姿が現れる前にダイスが動いて短槍が突き出された。
「ふんぬ!」
裂帛の気合いを入れて突き出された槍は、背の高いダイスが腰だめに放ったものだ。
低い位置から突き上げるように出てきた槍は、ボロボロの皮の鎧を着た賊の男の胸元から喉にかけて入りそのまま頭まで突き抜けた。
即死である。
「げ!」
「どうした?うぐ!」
賊同士の声だけが響いたが、主従と護衛兵二人の動きは静かで俊敏だった。
最初に出てきた男が始末され、そのあとから出てきた男も声あげた次の瞬間には護衛兵二人が忍び寄り首の脇を斬りつけて、叫ばれる前に口が塞がられた。
「ふぅ…」
モリーの気がわずかに抜けた。
長い緊張の時間は、ぎりぎりまでモリーを追い込んでいた。
連続した賊との戦闘は、いつまでも続くような空気をかもしていた。
今のところ、外からの賊の侵入は見られない。
残念だが屋敷の中から外の様子は、明り採り口程度では確認する事は出来ない。
そんな中、連携の上、目の前の賊を見事に始末した様子にぎりぎりの緊張が切れたのだ。
「若様!」
ダイスが鋭い呼びかけとすぐにモリーの前に回り込んだ。
同時に体を守るように、持っていた短槍を振りかざしたが、主従に襲いかかったのはたっぷりの痺れ薬を塗りつけられた短刀が二本。
無言のまま、短刀を投げつけたのは、憤怒の表情を浮かべる女盗賊であった。
主従は知らないが、それはバァンに付けられた女であった。
短刀はモリーの左肩とダイスの太ももに掠る程度ではあったが、いかんせん即効性の痺れ薬が塗られいる。
モリーとダイスは崩れ落ちるように転がった。
しかし、女盗賊がトドメをさすことは出来なかった。
崩れ落ちる代官と家宰の二人をみた傷だらけの護衛兵は、意外なくらい素早く部屋の奥に立ち尽くす女盗賊に槍を一撃をいれ、とどめをさした。
物色していたであろう女盗賊は様々なものを持っていた。
短刀を投げつけることが出来たのは、日頃の訓練の成果だったかも知れないが、それまでであった。
彼女は、ヴァンと離れ数人の賊仲間と共に代官屋敷に入り込んでいた。
目の前に広がる勝手な希望と、手に入れてもいない財を自分の物を思い込みそれを否定された故の憤怒の顔であった。
彼女は自分が死んだことすら現実とは思ってもいなかったであろう。
様々な部屋で物色して、大きな物入れを手に入れ片っ端から詰め込んだ彼女にとっての「宝物」はあっさりと手を離れていった。
モリーは痺れた体をわずかにひねり、ダイスが顔しかめているがちゃんと生きているのを確認すると灯取りの天窓に目をやった。
(夜が明けた…)
まだ、襲撃が終わったわけではない。
しかし、ついさっきまでの悲壮な現実も、これから訪れるであろう複雑な事情も処理はこれからである。
ただ夜が明けた。
「…若様、明けましたな。」
「ああ、だがまだ終わっていない。」
「しかし、生き残りました。」
「そうだな…まずはなんとか立ち上がろうか。」
護衛兵の手を借り、主従は油断しないように互いに言いあい外へつながる扉を開けるためにゆっくり立ち上がった。
外は、まだ日が昇ったばかりの頃合いである。
生き残った主従や兵、官吏が大きな扉を油断なく静かに開いていった。
そこに広がっていたのは…。
まだまだ始まったばかりです、書ききれるのでしょうか?
案は出来ているのですがきわめて遅筆です。遠い目で優しく見てやって下さい。




