第12話「補習で殺される」(1/3)
「……おい、あの黒板に書いてる所の意味わかるか?」
「………自分で考えなさいよ」
「…………お前もわからないんだな。わかった」
夏休み初日。
学生の誰もが開放感に浮かれて羽を伸ばすであろうその日に、俺とキリカは翼をもがれたその他十数名の赤点取得者と共に幽閉された教室の中で頭を抱えていた。
我が校では中間試験と期末試験を合わせた点数が一定値を下回った――要は赤点を取った科目について、夏休みや冬休みの初日から数日間を掛けて補習を行う決まりとなっている。
夏休み1週目の補習に参加できない、もしくは補習をクリアできなかった落伍者のために夏休み2週目にも補習が用意されているのだが、その2週目には臨海学習の開催も予定されているため、参加にマルをつけた俺としては1週目で補習を終わらせる必要がある。
そして俺はなんと全教科赤点を取ってしまったので、1週目で全ての教科の補習を1発でクリアしなくてはならない。
非常に厳しい条件だが、鳴神のプライベートの水着姿を拝むために何としてもやるしかない。
『頼むぜタク、せっかくの臨海学習デビューが補習で台無しとか勘弁だからな』
『そうだぞ剣菱。羽賀が浜辺で作ってくれる焼きそばは格別なんだ、君も食べられるよう祈っているぞ』
そんな俺の状況を、学年1位と学年5位の高みから優雅に見下ろすように楠木とキッペーが語っていたいつぞやの昼休みを思い出す。
楠木はともかくキッペーが学年5位だと言うのがどうにも納得できない……が。
『拓真くん、わたしも楽しみにしてるから絶対補習をクリアしてきてね!』
正直なところキッペーよりも納得がいかないのが、学年20位の好位置から無邪気に語りかけて来るこいつの事だ。
キッペーはバカだから学年5位でもまだ許せる、しかし鳴神に試験で好成績を取られるといよいよもってこいつの欠点が無くなってしまう。
容姿端麗、運動神経抜群、性格は良くて乳もデカい、男女どちらからも人望が厚く、そのうえ勉強までそつなくこなせる。何なんだこいつは、殺し屋星雲からやってきた完璧超人か?
『ま、まぁ何とか頑張ってみるよ……なぁキリカ?』
引きつった笑いを浮かべながら、俺は先程から会話に混ざろうとしないキリカに話を振る。
それでも彼女が気乗りのしない表情のまま無言でイチゴ牛乳を飲み続けているのは、意外にも彼女が俺と同じ赤点取得者であったからだ。
『山田も臨海実習に参加するんだろう?』
『……そうよ。拓真と同じ崖っぷちの状態だけどね』
『人間どうしても向き不向きはあるから仕方ないさ。まずは確実に補習をクリアする事を考えよう』
『……あんたに言われなくたって分かってるわよ』
いつもなら鬼の首を取ったようにキリカにマウントを取りまくるであろう、またその資格も充分にあるであろう楠木も、この話題に関しては一人の同級生として優しく接している気がする。
もしかしたら殺しに関する組織の不文律と同じように、彼女たちの間では「弄ってはいけないライン」と言うものを暗に制定し合っているのかもしれない。
(確実に補習をクリア、ねぇ……)
そんなやり取りを思い出しながら、黒板に書かれた意味不明な記号の羅列を眺める。
あそこに書かれた内容を確実に理解しクリアできるのであれば、そもそもこの場所に幽閉されるような事にもならないのだろう。
結局のところ確実に補習をクリアするのにも向き不向きがあるわけであり、この点において俺とキリカはやはり後者でしかないのだ。
「キリカ、あの先生は温厚な先生だ。いざとなったら泣き落としで補習をクリアさせてもらうぞ」
「そうね……せめて分からないまでも頑張りました、と言う姿勢は見せないといけないわね」
顔を見合わせ、互いに悲しい意気投合をしつつ頷き合いながら。
俺とキリカは意味不明な記号の羅列を必死に書き写し始めた。
・
「ところでキリカ、何で今日も俺の隣に座ってるんだ?」
「席は自由なんだから別にいいでしょ。あたし達の他に補習を受けてる知り合いもいないんだし」
「そりゃまぁ、お前と一緒の方が何かと協力できそうな気はするが……」
補習2日目。
昨日と同じ席に着いた俺の隣に当然のように座ったキリカは、そんな正論とも詭弁とも取りかねる理論を平然と述べながらてきぱきと補習の準備を始めた。
俺としても知り合いと一緒の方が寂しさが紛れるのだが、正直なところそんなメリットよりも「隙を突いて殺される可能性が僅かでもある」と言うデメリットの方が勝ってしまい気が気ではない。……まぁ、流石にこれだけ他の生徒が居る中でいきなり刺される事もないとは思うが。
「……であるからして、ここの出来事で重要となるのが……」
歴史の補習は先生の話をただ聞き続けるだけの内容であり、特に問題なくクリアできそうな授業だった。
白髪頭で淡々と話し続ける先生のやる気の無さや周囲の生徒達の緊張感の無さが伝わり、俺は思わず堂々と生あくびをしてしまう。
「あまり油断してると落とされちゃうわよ」
そんな俺を小声で目ざとく注意しながら、キリカは黙々と先生の言葉をノートに書き写している。とても赤点を取ってしまったとは思えない勤勉な態度だ。
(…………。)
叱られたばかりにも係らず、俺は先生の話も上の空、そんなキリカの横顔を眺める。
仔猫のようにツンと立った鼻に、紺色の中に青みを帯びた大きな瞳、そして地毛として黒く染める事を免除されたツインテールの金髪は否が応でも目立つ。
こんな人形のような外見で苗字が「山田」なのだ、全国の山田さんには悪いがやはり本人が嫌がり楠木が弄り倒すのも無理はない――
(……あれ?)
ふと、以前楠木から聞いたキリカの境遇との矛盾点が浮かび上がり、思わず俺は彼女の勉強を遮るように話し掛けてしまう。
「――なぁ、キリカが金髪なのはハーフだから、って前に話してたよな」
「何よ突然……確か前に一度話したけど、父親がイタリア人なのよ。それがどうかしたの?」
「あぁいや、その……だったら、山田ってのは母親の苗字なのか? 父親がイタリア人なのに日本の苗字だし……」
「…………。」
俺の問いに対し、ノートを取る手も止めてしばらく沈黙したあと。
「――そうよ」
「続きは帰りに話すわ。今は授業に集中させてくれるかしら」
それだけ言うとキリカは再び視線を正面に戻し、補習が終わるまでこちらを見る事はなかった。
・
「あたしの本当の苗字は『ベルティーニ』なの」
その日の補習後、まだ日も高い帰路を共にする中でキリカは話し始めた。
「子供の頃はお父さ――お父様やお兄様達と同じ、その苗字だったんだけど……色々あって、あたしだけお母さんの旧姓である『山田』を名乗る事になったの」
視線を正面に向けて坂道を登りながら、かつてキリカ=ベルティーニと呼ばれていたらしい彼女は呟くように話す。
詳しい事情までは語ろうとしなかったが、少なくともあまり良い事情でない事はその表情が物語っていた。
「それで山田と呼ばれるのが嫌いになったのか?」
「ええ。……あたしの至らなさの象徴みたいなものだし」
「山田って響きが格好悪くて嫌だ、ってわけじゃなかったのか」
「違うわよ!お母さんの苗字が格好悪いとか、殺すわよ!?」
周囲に人が居るにも係らず殺気を振りまく彼女に対し、慌てて平謝りで許しを請う。
「あー……すまない、今のは失言だった。母さんの苗字が嫌いなわけないもんな」
「ええ」
嫌いでもあり好きでもある、そんな複雑な感情を込めて彼女は頷く。
楠木はそんな彼女の感情をどこまで知った上で弄っているのか、少し気になるところではある。
「母さんの苗字の事でそんなに怒れるとか、母さんの事が好きなんだな」
「ええ」
「なら、俺と一緒だな」
お袋や妹の顔を思い出しながら笑うと、キリカはきょとんとした顔をしてこちらの方を向く。
突然何を言ってるんだこいつ、と思われた気がして委縮しかけた矢先。
「――拓真の家族は、みんな仲がいいの?」
意外にも話題が繋がり、釣られてきょとんとしつつも。
お袋や妹の顔を思い出しながら俺は首を縦に振って肯定し、お袋が女手ひとつで俺や妹を育ててくれたこと、お袋を助けるために俺も妹も頑張っていること……そんな家族の自慢話をつらつらと話す。
「そう……羨ましいわね。 ……うん、凄く羨ましい」
俺の自慢話に対して。
感慨深く、普段見せない表情を見せながら、彼女は坂をゆっくりと登り続ける。
「――あたしの家族は、あまり仲が良くないの」
「特にあたしとお母さんはみんなと仲が悪くて……」
そう言いかけて、坂を登る足を止めて首を振った後。
「……ううん、多分あたしのせい」
再び、ゆっくりと坂を登り始める。
「あたしが駄目な子供だったから……あたしだけじゃなくて、お母さんも疎まれてた」
「あたしがちゃんと出来ていれば、あたしもお母さんも、お父様に認められていたのに……」
正面を見ながら、こちらに目を合わせぬまま、彼女は坂を登り続ける。
彼女がキリカ=ベルティーニから山田桐香へと変わった理由を、変えさせられた理由を反芻するのを、俺も無言で聞きながら坂を登り続ける。
彼女が駄目な子供であると言う情報は楠木から聞いていたが、その事実がもたらした結果は――キリカの家庭的な事情までは当然ながら把握できていなかった。
俺にとっては彼女との戦闘を有利にすると言うだけの情報が、彼女にとっては彼女自身の姓名を左右する深刻な悩みであると言う事情までは――当然ながら把握できていなかった。
「拓真と一緒で、あたしも勉強は全然できないから……お父様に認められるにはこれしかないの」
さりげなく失礼な事を言いながら、キリカは鞄の中からサバイバルナイフを、これまで幾度となく俺の命を脅かしてきた彼女の才能の片鱗を取り出す。
「お父様――お父さんから受け継いだ才能はこれだけだから……」
「……だから、そこの路地裏であたしの才能を発揮させてくれない?」
突然そんな事を言いながらナイフをちらつかせるキリカに対し、周囲の視線も憚らず思い切り飛び跳ねながら距離を取る。
「ちょ、ちょっと待て! お前、冗談じゃ……」
……そこまで言ったところで気が付いた。
言うまでもなく今のキリカの言葉は冗談だ。
――そう、彼女が冗談を言ったのである。
「……ふふ、まぁ今日は見逃してあげるわ。お互いお母さんのために頑張りましょう?」
昼休みに皆と話している時も、俺を殺そうとする時も……いつも不機嫌そうな顔をしていた彼女が、冗談を言って、そしてこちらに笑いかけている。
(……思えば、キリカと二人で帰るのも、こうやって互いの事についてじっくり話すのも初めてだったな……)
普段の下校時とは違い、往来も盛んな昼下がりの道路を俺達は歩く。
こんな機会でもなければ彼女達と二人きりで帰る事もそうそう無いだろうな、と苦笑しながら。
「ああ。――でも、出来れば俺を殺す以外の頑張る方法も探してくれよ?」
俺はそのまま苦笑を彼女に投げかけ、彼女もまた、それに呼応するように笑った。
・
補習3日目。
「みんな、補習お疲れさん! 最後を締めくくる先生の補習は簡単だぞ~、なんせこのプリントを解けばそれで終わりだからな!」
物理の下山先生の言葉に対し翼をもがれた赤点取得者どもは一斉にブーイングを浴びせる。話を聞いてるだけで良かった歴史の補習よりも遥かに難関なのだから当然だ。
「はっはっは、喜んでもらえて嬉しいよ! 教科書を見てもいいし隣の席の奴と相談してもいいから、頑張って全部解いてくれ!」
そこまで言うと先生はそそくさと教室を出ようとする。
「せ、先生!? 授業とかはしないんですか?」
「これから野球部のみんなを見なくちゃならないんだよ! 部活が終わったらプリントを回収しに戻ってくるから、プリントが終わったら裏返して机の上に置いて帰っていいぞ!」
補習担当らしからぬ適当な事を言い残して下山先生は立ち去ってしまう。
まぁ、プリントの問題はそこまで多くないしこれを解くだけで無事全教科のクリアが達成できるのだから悪くはないか……呑気にそう思っていた俺だったが。
(…………解けん!!)
俺が馬鹿なのか、それともこのプリントが難しすぎるのか。
下山先生の置き土産たる物理の問題は1問目から全教科補習クリア一歩手前である俺の行く手を強固に遮ってくる。
「……おい、キリカ、ここの数式の意味わかるか?」
「………自分で考えなさいよ」
「…………またこのパターンだな。わかった」
今日もちゃっかり隣に座っているキリカとつい最近したようなやり取りを交わしながら、俺達は短くも険しい難問の道のりに四苦八苦する。
やがて一人、また一人とプリントを解き終えた他の生徒が教室を後にして、室内の人数は段々と少なくなっていって――
(……まずい)
このままでは図らずも俺とキリカが二人きりで取り残されてしまう。
まさかそれを狙ってキリカはわざと問題を解かずに――いや違う、こいつの苦悶の表情を見る限りこいつも素で問題が解けていないだけだ。
ならば俺が先に問題を解いてしまえば安全にここから脱出できる……が、それが出来れば苦労はしない。
いっそのこと補習を投げ出してここから帰宅するか、いやしかしそれは来週の臨海学習を自ら放棄する事を意味するし、そうなってしまうと何の為にここまで補習を頑張って来たのか分からない。
もう少し、もう少しだけ粘って何とかこのプリントを……
(――……っ!?)
ドアが閉まる音に対し再び顔を上げたとき。
たった今、いつの間にか、俺とキリカ以外の生徒が全員帰ってしまった事に気付く。
(やばい、やばい、やばい……!!)
――潮時だ。
こうなってしまったらもはや補習を放棄して逃げるしかない。
臨海学習に行けなくなるのは痛恨の極みだが自分の命には代えられない。
幸い隣でプリントとにらめっこしているキリカはまだ今の状況に気が付いていない。
俺はまだ半分も解き終えていないプリントを裏返し、全て解き終えたフリをして無言で椅子から立ち上がって――
「拓真? もう解き終わったの?」
顔を上げたキリカと目が合う。
「――……あ、いや……」
「なによ。ひとりで帰ろうとしないで少しくらい教えてくれたって――」
彼女が周囲の状況に気付く。
「…………。」
そして、昨日の帰路でそうしたように鞄に手を突っ込む。
「ちょ、ちょっと待て! お前、冗談じゃ……」
――冗談じゃない。
その神童は父親譲りの才能が込められた得物を右手に掴んで。
そのまま俺の首筋めがけて音もなく、躊躇もなく真一文字に薙ぎ払った。




