86話:夢を詠むサキュバス
魔導無昇華詠夢症候群。
体内の魔力生成機能が停止する病。
一万年に一人しか発症しない奇病。
とはいえ『魔力を生成出来なくなる』という症状自体は他の多くの病にも見られ、特段珍しくはない。
では何故、魔導無昇華詠夢症候群だけが一万年に一人の奇病なのか。
それは患者に、『詠夢』と呼ばれる第二の症状が出るからである。
詠夢は本人の意思に関わらず発症──発動し、大きな混乱や利益を生み出すこともある。
詠夢とは、要するに──
未来予知。
◇
父親の命令で食事に毒を入れていた。という老執事とメイド長の告白。
それを聞いたアルノは、
「……今から、お父さんの部屋に行って話を聞いてくる」
なんとも思い切った行動に出た。
老執事とメイド長はオロオロしながら引き留めようとしたが、アルノの意思は固い。
我もアルノについて行こうと提案したが、
「これは私の家の問題だから……メッシュさんには、見て欲しくない」
と、断られた。
しかしそういう訳にもいかない。
下手をするとアルノの命に係わる。召喚獣として、召喚術師に死なれては困るのだ。
我はアルノに見つからないよう、例のごとく天井裏に隠れて様子を伺うことにした。
そして父親の書斎にて。
「お父さんは公明正大で優しい人。私には分かってる。執事さん達の勘違いだとは思うけど……でももし本当だったとしても何か理由があったはず。正直に答えて欲しいの」
刻は既に深夜。
未だ眠らず仕事中であった父親は、アルノの問いに困惑しつつも微笑んだ。
「どうしたんだいアルノ? 何を答えろと……」
「私の食事に毒を入れてたの?」
一瞬、父親の笑顔が消えた。
ただしすぐに笑みを戻し、顎のヒゲを擦りながら「おやおや。急におかしな事を言うねえ」と述べた。
「毒なんて入れるハズないだろう。私はお前の父親だよ」
真っ直ぐにアルノの瞳を見ながら、父親は答えた。
一見誠実そうな態度。
「本当? そうだよね。お父さんは……」
アルノは泣きそうな表情で頷いた。
追及もしない。
もうすぐ魔導無昇華病が完全に再発してしまう運命。もはや真実は重要では無いのかもしれない。
父を信じたいのだろう。安心したいのであろう。
しかしそれは虚構の安心であると、すぐ思い知ることとなる。
「嘘よ」
書斎の扉を叩き付けるように開き、一人の女性が入室した。
「……お姉ちゃん?」
アルノの姉だ。
「ふん。ホッントに愚かな妹ね。お父様にずっと騙されてるのに」
そう言って、つかつかとアルノへ近づく。
父親が「おい。人聞きの悪いコトを……」と抗議しようとしたが、姉が掲げた小瓶を見て黙った。
「これ。この毒を飲まされていたのよ。まあ正確には毒というより薬なのだけど……ただし治療用じゃなくて、実験用のね」
「薬……?」
「三十六日前、あなたの魔導無昇華病が突然治った……あの日から、ずっとこの薬を飲まされて続けていたのよ」
姉はアルノを哀れむように見た後、父親を睨んだ。
「これは体の免疫力を一時的に低下させる薬」
「め、免疫を……? それって」
「お父様はあなたの魔導無昇華病を再発させようとしてたのよ。実の娘に毒を飲ませてね……ふん。こんなもので一万年に一度の奇病が再発するかどうか怪しいものだけど。愚かな考えね」
免疫低下薬だと?
もしやこの薬のせいで、アルノの魔導無昇華病が再発したのか?
とも思ったが……いや、しかし無関係だろう。
魔導無昇華病は「おそらくウイルスや病原菌性の病気ではないです、ハイ」と、以前ザンブグが言っていた。
となると、父親は無意味にアルノの体を危険に晒していただけになる。
とにかく、父親が毒を飲ませていたというのはもはや疑いようがない。
執事、メイド、そしてアルノの姉。証言の量は充分だ。
そしてその父親は、渋い顔で黙っている。
「お父さんが……私に……毒を……私の魔導無昇華病を…………」
アルノは目を充血させ、ゆっくりと父親から離れた。
そして父へ尋ねる。
「魔導無昇華詠夢症候群の、『詠夢』が目的なの?」
「……知っていたのか……いや、当然か」
父親が先程までの態度から一変、苦々しく言い放った。
アルノの姉が「その通りよ」と、父親の代わりに答える。
「そもそもの始まりは七年前。あなたが龍孔病のパンデミックを予言したこと。その予言を見て、お父様は事前に薬を大量に買い占めて大儲けしたのよ。それからずっと、あなたの予言を頼りに商売を続けてきた」
「……そうだ。そうだとも。アルノ、お前の丸やバツや三角で出来ている落書き。それが実は詠夢による予言の暗号であると……当のお前自身も気付いていなかったことに、私は気付いたのだよ」
父親はヤケクソ気味に説明した。
姉は「ふんっ」と眉間にしわを寄せる。
「お父様は暗号ごっこは得意でも、肝心の商才は無かったみたい。最近あなたが賢くなって予言をしなくなってから三十六日。たったの三十六日で、業績が一気に火の車。更に今日、アルノの提案書の件で世間からの総バッシング」
それを聞き、アルノの肩が震えた。
しかし姉は構わず説明を続ける。
「とにかく大失態の連続。今のお父様は役員会議で退陣を迫られているのよ」
「もう黙れ」
父親がドスの聞いた声を出したが、やはり姉は構わず続ける。
「だから切羽詰まったのね。今日の夜食用のコーヒーに、いつもの倍量の薬を入れるように指示して……そして良心の呵責に耐えかねた執事達から裏切られた。ふんっ、経営者のくせに人を使うのも苦手ね」
「だ……黙れ! 黙れ黙れ! 子供のクセに、親をコケにするな! 出来損ないが!」
父親が怒声と共に、姉の頭を殴った。
「うぐっ」
姉はふら付き、倒れ、机の角に頭を打つ。
「お姉ちゃん! 大丈夫!?」
アルノが駆け寄る。
しかし打ち所が悪かったのか、姉は仰向けに転がったまま中々起き上がらない。
「馬鹿が。親の邪魔をするからだ。そもそも私にはアルノさえいれば良い。他は邪魔だ……邪魔だ。邪魔だ邪魔だ。私が会社を作ったのに……どうして皆、私の邪魔をするんだ!? 私が一番偉いのに。私が私が。ああああみんな邪魔邪魔邪魔邪魔……」
「……お父さん! 酷い。酷いよ!」
アルノが抗議しようと父親の方へと振り向いた、その時。
いつの間にか、父親が拳銃を握っていた。
銃声が二発。
我は咄嗟に天井を破り床へ降り、アルノを守ろうとした。が結果として、その行動にさほど意味は無かった。
父親が撃ったのは、倒れている姉の方だったのだ。
そして姉も同じく、いつの間にか銃を握っていた。銃口は父親に向けて。
つまり先程の二発の銃声。それはアルノの父親と姉がお互いを撃ち合った音。
姉の撃った弾は父親の額を貫いた。即死だ。
そして父親の撃った弾は、姉の胸を貫いた。即死では無いが、もはや助かるまい。
「お……お姉ちゃん! お父さん! なんで……なんで……なんで!?」
アルノが錯乱する。
それを見て、姉が皮肉そうに微笑んだ。
「……ふんっ。ホント愚かな妹……ホント……何も知らなければ……魔導無昇華病のままだったら……馬鹿のままだったら、ずっと幸せに暮らせてたのに……ね……」
「お、お姉ちゃ……」
「私……お父様が、あなたに毒を盛っていることを……前から知ってたけど……知ってて、黙ってたんだけど……どうしてだろうね。今日は、我慢できずに言っちゃった……ふふ……愚かね」
「お姉ちゃん……お姉ちゃん!」
そして姉は息を引き取った。
アルノはしばらく姉に覆い被さり泣いていたが、ふと、
「……私が賢くなったせいで……文字を読めるようになったせいで……落書きをしなくなったせいで……馬鹿じゃなくなったせいで……こうなっちゃったの?」
俯いたまま呟いた。
「それは違う」
「ちがわないよ」
アルノが顔を上げ、我を見た。
泣き腫れている瞳が、どこか虚ろになりかけている。
ここ数日何度も見た。魔導無昇華病が再発する直前のサイン。
「メッシュさんには感謝してる。でも。わたし、もう……」
「待て。それ以上言うな。今すぐ我の魔力を」
「わたし、ばかのままでいいです。わたし、ばかでいい。もう」
そしてアルノの表情が、出会った時と同じになった。
無邪気で欲の無い。清純な少女の顔。
「………………あぅ。メーシュさん。どーしたの? なにか、かなしいぃ、ですか?」
どうやら直近の記憶が曖昧になっているようだ。
もしや自己の精神を防衛するため、家族の末路を忘れてしまったのか。
父と姉の死体を視界に入れないよう、無意識に行動しているようにも見える。
我は念動力で二つの死体を机の下へ隠した。
「おへや、かえりたい。です」
アルノが言った。
部屋か。
部屋に戻った所で……今の状態のアルノを経済的に保護出来る父親も姉も、もういなくなってしまった。
残された執事やメイドが面倒を見る……のは無理だろう。せいぜい施設へ入居させる手続きまでか。
今のアルノは新聞記者の裏切りのせいで、世間からも嫌われている。施設で不当な扱いを受ける可能性は充分にある。
果たして今後、まともに生きていけるのか?
アルノは「もう馬鹿のままでいい」と言ったが、しかし我は魔力を分け与えることにした。
一時的な処置にしかならぬが、このまま放っておく訳にもいかない。
「きゃふふ。ううぁ。おなか、いっぱいぃです。ありぃがとございます」
アルノは深くお辞儀をした。
そしてしばらく待った。
しばらく──
「ね。おへや。かえりたい、です」
しばらく、待ったが────アルノの知能は抑圧されたままだった。
治っていない。
我は愕然とした。
「何故だ。どうして……」
『それこそ完全に”免疫”が付いちゃったんだろうね』
我の頭の中に声が響いた。
弟のマートだ。
魔界からテレパシーで通信しているらしい。
『結局兄上の魔力は、あくまでも一時的に症状を抑え込んでいただけ。既に効果は切れ、病気自体に耐性がついてしまった。なんて、これは僕の推察だけど。でも的外れでは無いと思うよ』
「……もはや、アルノはずっとこのままだと言うのか」
『でもその子自身、もう賢くなりたくは無いと言ってたよね。今の状態が幸せなんじゃあないかな?』
それは我も分かっている。
分かっているが、しかしこのままではアルノは生きていけないのも事実。
『兄上、珍しく沈んだ顔だね。その子に同情しているのかい?』
「同情? まさか。我が」
していない、とは言い切れない。
アルノは親に裏切られ、毒を飲まされた。それが我の幼き頃の境遇に、少しだけ重なったのは否定できない。
だがそれよりも、
「……我は、悪魔らしからぬ負い目を感じている。召喚獣として、召喚術師であるアルノの役についぞ立てなかった。恐怖、絶望、失意、そして家族の死をくれてやっただけだ」
『兄上は優しいね。確かに悪魔っぽくない感情だけど、召喚獣としては正しい責任感だよ。ふふっ……でも、兄上が気に病むことはない。兄上がその子に召喚されたのは、どうしてだと思う?』
マートの唐突な問いに、我は眠そうにしているアルノの顔を眺めながら答える。
「召喚されたのは偶然だ。偶然、アルノの落書きが召喚魔方陣の図形を成し」
『あははっ。違う、違うよ兄上!』
マートが笑い、我の言葉を遮った。
『偶然であるハズが無いじゃないか。その子は魔導無昇華詠夢症候群だよ? 詠夢! 未来が詠めるんだ。結果も全て分かった上で、召喚魔方陣を作ったのさ』
……なんだと?
「何を言って……いや……そうか、まさか……」
『その子自身が望んだんだよ。落書きの組み合わせで召喚獣メシュトロイオンを呼び出す。一時的に魔導無昇華病が治り、本来の知能に戻る。そして必要な知識を得て、夢魔の労働環境改善運動を始める。記者の裏切り。父の裏切り。家族の死。最後には知能が元通り。全て、全て! 全て、その子は無意識下で分かっていたのさ。分かって選択した。だろう? じゃないとおかしいじゃないか。だって彼女には詠夢があるんだから』
「…………うむ」
言われてみればその通りかもしれない。
詠夢……仔細は分からぬが、未来を予知する力。
「だがどうして、こんな未来を選択した」
『さあね。でも安易に考えるなら、きっと社会貢献じゃないかな。その子が発端となった労働環境改善活動。即物的な記者と民のせいで今はバッシングされてるけど、でも、いやむしろだからこそ深く議論され、活動は今後も広がっていくだろう。彼女はその一石を投じた。それで将来、何万人もの夢魔の命が救われる』
「……そうか」
社会に貢献したい。事実、アルノも何度か口にしていた言葉。
我は再びアルノの姿を見た。
床に横たわり、我のズボンの裾を引っ張りながらウトウトと眠りかけている。
こんな少女が……自分や家族の不幸より、多くの同胞の命を選択したのか。気高き理想を掲げて。
我はアルノの小さな体を抱き上げ、ソファの上に寝かせた。
「あぅ……うぅ」
アルノは小さく唸り、目の周りをこすった。長い髪が乱れ、口に入っている。
我は「今は眠っていろ」と言い、アルノの髪を整えた。
『さて兄上。ここで僕から提案があるのだけれどね』
マートが我の頭中へ囁く。
『その子、このまま放っておいたら餓死するか暴徒に襲われるか……とにかくいずれ不幸な死に方をするだろう。だからさ、魔界に連れて帰って来なよ』
「……連れ帰る? しかしそれは禁止事項であるぞ」
意外な提案に我は少し戸惑った。
レンタル召喚獣が召喚術師を魔界へ引き込む。それは規則により禁じられている。
無用なトラブルを避けるため、大昔に我の祖父殿が定めたルールだ。
『ふふっ。魔王の僕が言っているんだよ? その子に限っては特別扱いしてあげるよ。理由は簡単。僕らのお爺様が魔界を作った時、多くの野良悪魔や難民悪魔、魔物なんかを国民として迎え入れたって歴史があるけど、でもその中には夢魔族がいなくてね。だからこれを機会にサキュバスを一人移民させるのも社会的に有意義なことだと思ってさ。それに──』
それに──
「魔導無昇華病だからか」
『そうだね』
「実験台にする気か?」
『ふふっ。違うよ、実験台にはしない。研究対象さ』
我の弟ながら、いまいち信用できぬ部分はある。
だがアルノを守るためには、この提案は願ったり叶ったりであることも事実。
『まあ兄上が嫌だと言っても、誘拐するだけなんだけどね』
「だろうな。お前らしい」
我はアルノの頬に触れた。
アルノは半目で我の顔を見て、大きなあくびをした。
「アルノ。我についてこい。我の故郷へ、共に行こう」
「メーシュさんとぉ? メーシュさんの、ふるぅさとぉ……」
アルノはソファから体を起こし、勢いよく我に抱きついた。
「うん。いきまぁす。きゃふふ」
◇
そして三日後。
我がアルノと出会い、三十九日目。
「お兄様お兄様お兄様!」
「メーシュさぁんメーシュさぁんめー……きゃふ」
イトコの娘であるフォルと、今や魔界の住人になったアルノが、同時に我へ飛びついて来た。
ここは魔界。魔王城の中に最近作られたばかりの魔導研究所。
ザンブグとその仲間の研究者達が働いており、通門ゲートによってトモモモン工場の世界とも繋がっている。
アルノはこの研究所の一角に住み、研究者や執事やメイドの手によって手厚く保護されている。
「メッシュお兄様はウソ泣きすれば何でも言うコト聞いてくれますの。いや、くれましたの。最近その手が通用しなくなってきたのですけれど……でもきっとアルノちゃん様ならまだ通じますわ!」
「ウソ、なきぃー?」
「聞こえているぞフォル」
同じ魔王城内に住んでいるフォルは、年齢が近いアルノとすぐに友達になった。
まあそもそも種族が違うため、年齢が近いと言っても見た目だけの話であるが。
アルノは夢魔世界ではずっと部屋に軟禁状態だったため、友達が出来るのはおそらく初めてだろう。
この交友関係が幸いしているのか。もしくは魔界の空気が合っているのか。
理由は分からぬが、アルノの知能はこの三日で多少の成長を見せていた。
夢魔の文字──つまりは地球の文字を思い出し、多少の読み書きが出来る。
魔界の文字も読めるようになりたい、という学習意思も見せている。
「メッシュ陛下の魔力が一時的な症状緩和に効いてたコトと、何か関係があるのかもしれないですね。ハイ。要研究です」
とザンブグは言っていた。
何にせよ、良い兆候だと思う。
「メーシュー……」
アルノが我の服を引っ張った。
「どうした」
「メーシュ。すきー」
そう言ってアルノは、我の腰に抱きついた。
「あああああ! お兄様がロリコンを! ロリ・コンを発症なされましたのー! 皆に報告ですの」
「おい違うやめろ」
誤解したフォルの口を封じるのは、中々に大変であった。
オヤツを50キロ与えてようやく黙った。
サキュバス編おしまいです。
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