85話:サキュバスキャンダル
後続への『道』を作りたい。
そんな想いを残り少ない日数で遂げるため、アルノはひたすらがむしゃらに頑張った。
十九日目。
まず午前。
アルノは昨日と同じく、大衆の前で演説をおこなった。
ただし昨日は三千人だったのが、今日は市民会館満員の四千人プラス外に行列が六千人。
おそらく平民労働者たちの心には、精吸い事業への漠然な不満が昔から積もり積もっていたのだろう。
それをアルノが理論建てて分かりやすく問題提起という形にしたことで、『漠然な不満』から『具体的な不満』へと変異。
さらにアルノはその解決策まで導き出した。
が、その解決策の中には『貴族の娯楽としての精吸いを禁じる』という項目があり、それに対し国は、
「貴族の楽しみが減るのはダメ」
という理由で却下したのだ。
国の第一次産業を支える平民労働者の命より、貴族の遊びを優先したという訳だ。
これにより平民の『具体的な不満』に『不信』が付加し、ついには爆発──
と、言った所であろうか?
とにかくアルノの行動、労働者たちの心理、そして新聞や雑誌等メディアの目論見が見事に調和し、たった二日で計一万三千人の心を見事掴んでしまった。
それに平民だけでなく、精吸いを元々娯楽とは考えていない一部の貴族たちも、アルノの考えに同調しているようだ。
そして午後。
お偉いさんたちとの二度目の会議。
ただし今回は、正確には会議ではなく陳情会とでも呼ぶべきか。
アルノの味方として、多くの記者や有識者が傍聴している。
更に街中では、一万三千人……いやそれ以上の民がアルノを応援しながら結果を待っている。
流石の役人たちも、これではアルノの提案を無下に却下する訳にはいかない。
結果として、
「…………分かりました。アルノ・ゴードキイスさん、あなたの提案を前向きに検討することをお約束します」
との返事を得た。
前向きに検討。なんともフワッとした答えだ。
しかしただ「期待しないでくれ」と遠回しに拒否していた前回からすると、大きな前進である。
アルノは一応喜び、そして同時に「まだまだこれからだ」と気を引き締めていた。
アルノを応援している平民たちも、国に「もっと具体的な答えを出せ!」と文句を言いつつも、一応の前進に対しては喜んでいた。
その晩、アルノの父親の喜びようも凄かった。
「よく頑張ったねえアルノ。今日は御馳走だよ」
と、テーブル一杯に並ぶ豪華な料理。
その中には、この世界には珍しい地球産オヤツまであった。ブルボンのルマンドとルーベラとバームロールとホワイトロリータだ。
我は天井裏からそれを覗きながら、羨ましい気持ちと空腹を無理に抑え込み我慢していた。
今の我はアルノの家庭教師ということになっているため、屋敷の中を自由に行き来しても大丈夫にはなったが、それでも夕食にまで参加するのは不自然なのである。
後でアルノから余ったルマンドを貰った。旨かった。
ただし家族全員がアルノの活躍を喜んだ訳では無い。
アルノの姉などは、
「ふん。わざわざ貴族を敵に回すようなことして……ホント、あなたって愚かね。英雄でも気取っているつもり?」
と嫌味な口調でアルノを睨みつけていた。
しかしアルノも姉の態度にはもう慣れてしまったようで、苦笑いしつつ受け流すのみである。
◇
二十日目。
今日も二回の演説。
夜には異界の文献を漁り、更により良い解決法が無いか模索。
二十一日目。二十二日目。二十三日目。
演説二回。その後、有志による勉強会。
夜は文献漁りの続き。
二十四日目。
演説三回。勉強会。
役人との会議、三回目。
ここで「改善案の全てを採用する方向で、審議を始めた」と、大きな躍進を見せる。
夜にまた父親がご馳走を用意。
深夜に文献漁り。そして新たな資料作成。
二十五日目。
演説三回。勉強会。
夜に再び文献漁り……が、途中でまた文字が読めなくなった。
我の魔力を再び注ぎ込み、なんとか読めるようになる。
前回より知能抑圧の間隔が狭まっている。
ザンブグが予測していた悪い方のパターンだ。
やはり魔導無昇華病は、我の魔力に対して耐性を付けていっているらしい。
このままではアルノの知能は、我と出会う前の状態へと戻ってしまうだろう。
その不安を押し殺すように、アルノはとにかく労働環境改善活動に打ち込んだ。
二十六日目。二十七日目。
演説四回。勉強会。
二十八日目。
演説五回。勉強会。
夜、またもや文字の識別が不可能に。言葉も上手く喋れなくなった。
我の魔力で治療する。
しかし知能抑圧の間隔は、確実に短くなっている。
次に知能の抑圧が起きたのは、三十一日目。三十三日目。三十四日目。
そして三十五日目……朝と夜、二度も。
もう毎日だ。
毎日我の魔力を分け与えないと、アルノは会話さえ出来ぬ状況である。
そしてそろそろ、我は魔界へ帰らないといけない。
我が帰らねば、アルノは生命力が尽きて死ぬ。あと二日が限度だろう。
しかし我が帰ってしまえば、アルノの知能は完全に元へ戻ってしまう。
「でも、もう充分かもね……私、頑張ったよね? 良くやったよね?」
三十六日目の早朝。魔力を補給したアルノは、ベッドに横たわったままそう言った。
震えている。元の状態に戻るのが怖いのだろう。当然だ。
我は、
「うむ。良くやった」
と、本心から答えた。
アルノが提案した労働環境改善案は、ほぼ要望通りに事が進みそうである。
もし国が完璧な施策を作らなかったとしても、アルノに続く者たちが徐々に改善していくだろう。
そのために勉強会で後進を育成した。
「お前は充分以上に仕事をした。ほぼ役目をやり遂げたと言って良いだろう。夢魔の歴史に残る偉人だ」
「もう。それは言い過ぎだよ」
アルノは笑いながら、今朝届いたばかりの新聞を広げた。
まだ家の者は誰も読んでいない、きっちりとした折り目が付いている届いたばかりの新聞。
そこに、思わぬ記事が書かれていた。
『アルノ女史、疑惑の金』
『薬の独占利権を巡る黒い陰謀』
『利用された市民たち。やはり貴族から搾取される未来、確定!?』
「え……?」
アルノは己の目を疑うように、まばたきして新聞を再度読む。
我もアルノの後ろから覗き込んだ。
夢魔世界の文字は地球の英語と同じであり、我も完全には読み取れないのだが……
『最近お騒がせしている、夢魔労働衛生改善の活動家であるアルノ・ゴードキイス女史。精吸い事業における従事者の死亡率を問題とし、改善案を国へ提出した。それだけ見ると美談である。が、問題はその改善案の一つ』
──薬や道具などで感染症を回避可能な場合、それらを従事者へ無償提供する──
『耳触りの良い一文だ。しかし罠が隠されている。ご存じの者もいるかもしれないが、ゴードキイス家は貿易を営む大資産家の貴族。かつてあの龍孔病のパンデミックに乗じ、薬品の貿易で大儲けした事業家である。今回のアルノ女史の案にある薬の無償提供。それを実施するためには勿論、国がどこかから薬を買い取るという工程が発生するのであるが……記者が掴んだ情報によると、その薬の販売はゴードキイス家が独占するらしい。金の流れが完全に出来上がっているのである』
そして次の文章は、大きく太い文字で書かれていた。
『その売買の仕組みさえ完成すれば、従事者への無償提供も反故にして構わない。共連れで他の改善案も反故になる。そういう計画だ。我ら市民はゴードキイスに……またもや貴族に踊らされていたのだ』
「な、なにこれ……? デタラメ! デタラメだよ!」
アルノは叫んだ。
そして我は気付く。
記事の最後には、記者の名前が書かれているのだが……見覚えがある名だ。
この名は、最初にアルノの提案書を新聞記事にした男。
『記者はアルノ女史の掲げる理想に共感し、一時は協力していた。そして真実を知り落胆した。だからこそ今、告発するのである』
アルノへ演説などを勧めてきた、あの新聞記者だ。
◇
その日の夜。
やっと足取りを掴んだ。
「ひゃっひゃひゃ。俺の神聖な記事で、また愚民どもが思い通りに動いてくれたぜ」
例の新聞記者だ。
少々大きめのホテル上階にて、愛人らしきサキュバスと共にベッドで笑って酒を飲んでいた。
我はその様子を、窓の外から闇に隠れて眺めている。
都合の良いことに、記者は愛人と酒を飲み『今日の出来事』について話していた。
「でも良かったの? あんた昨日まで、あのガキを持ち上げてたじゃないの。集まった寄付金をパクって小遣い稼ぎまでしてたのに」
「そんな小銭どうでもいいよ。それより、あのガキを邪魔だと思ってる貴族様からスポンサー料を貰っちゃったのさ。悪評流して潰してくれってな!」
「ふーん」
「まあ俺にかかれば簡単だ。あんな記事一つで、アホな民衆は手の平返してガキを叩き始めたからな。あのガキは本心からテメーらを救おうとしてたってのにな。馬鹿だから考えることを知らないんだろうなあ。大爆笑。ほら笑え笑え」
「あははは」
「ひゃっひゃひゃ」
ふむ。
裏切った理由は大体わかった。
そして我の心にずっと燻っていた……少々悪魔らしからぬ、複雑な感情が膨れ上がって来た。
新聞記者の裏切りにより、あと少しで成功するはずであったアルノの計画が、一日で破綻してしまった。
いや正確には破綻とまではいかない。捏造記事を無条件で信じるような者ばかりでは無いだろうから、いずれ濡れ衣は乾く。
が、アルノには時間が残っていない。
少なくともアルノの知能が元通りになるまで、濡れ衣を着せられたままだろう。
つまり結局我は。我がしたことは。
我がこの夢魔世界に来て、やったことは。
いたずらにアルノの知性を芽生えさえた。
そして徐々に知能が抑圧され戻っていく恐怖をアルノへ与えた。
それでもアルノは負けず、限りある時間で意義あることを成し遂げようとした……が、結局最後に味わったのは、絶望。
結果として我がアルノへ与えたのは、恐怖と絶望だ。
召喚獣として、一体何の役に立った?
「……とりあえずアイツは殺しておく。我は召喚獣である前に悪魔だ。責任転嫁する……いや実際あの記者にも責任の一端はあるだろう。そして何より、我が気に食わぬ」
我は窓ガラスを破り、新聞記者が横たわっているベッドへ近づいた。
愛人の女は「ひぃっ!?」と恐れ、布団へ潜る。
しかし記者は、
「ああぁ? あーっ、えええー? 誰だっけあんたぁ? あひゃひゃひゃ、どっかで会ったよなあ」
酔いと大金により気が大きくなっているのか、我を恐れず立ち上がった。
この記者には一度だけ顔を合わせていたが、もう忘れているようだ。
「えー……ああ、あれ? たしか……ああそうだ。ゴードキイスの屋敷で」
「思い出さなくて良い」
「っぶぁ……あ、あああ!?」
記者の腕、足、ついでに舌を抜き取った。
「ひああああ! い、いぎいいいいあああああああ」
「黙れ。行くぞ」
そして我は、記者を窓の外へと連れ去った。
そのまま下水へ放り込む。
「ひぐゃあああ! はす、助けて……あびゅああ痛ああい、痛いいぎ!」
手足が無いため動けぬ記者の傷口へ、さっそくネズミたちが集っている。
少しずつ食われて死ね。
◇
しかしあの記者を始末したところで、捻じ曲がってしまった世論は戻らない。
そしてアルノの運命も変わらない。
──ただしその運命とは、この時に我が考えていたよりも数段過酷であったのだが。
不幸とは、矢継ぎ早に起こるものである。
記者を始末しアルノの部屋へ戻ると、そこで奇妙な状況が発生していた。
二人の夢魔が床に這いつくばり、アルノへ頭を下げていたのだ。
その二人とは、屋敷の中でよく見る執事とメイド長。
「やめてよ急に! どうした!?」
アルノが困惑している。
我は先程と同じように、窓の外から様子を伺った。
「だ、旦那様は……旦那様が……うぅ、申し訳ございません。私たちは、恐ろしくて、もう耐えられない……」
老いた執事が泣きながら言う。
「旦那様って……お父さん? お父さんがどうしたの?」
「旦那様は、実は……」
執事は一瞬言い淀んだが、大きく息を吸い、思い切ったように言葉を吐いた。
「ここ数日、毎日……アルノお嬢様の食事に毒を入れていたのでございます……!」




