年末の蕎麦粉の洋風どら焼き
※まだシホが魔王さまの元へ来たばかりの最初の年末の話です。
第2話の後の話です。
魔王様の元へ来て、良かった事の上位一つに、シロップおじさんの料理の美味さがあげられる。
一品一品の味の完璧さにも驚かされるが、コース料理としての一品一品である事も、全てを食べ終わった後の感動、達成感等々から改めて感じさせられるのだ。
「いやあ、やっぱりシロ……おじさんの料理は最高ですね」
思わずシロップおじさんと言い掛けた言葉を濁し、夕食を終えた私は椅子に背中を預け、満足げに膨らんだ腹を撫でる。
そんな少々行儀の悪い振る舞いに、魔王様とコンセルさんが注意喚起を孕ませていると思われる、引き攣った笑みを私に向けた。
「……一応、魔王様の御前だから、さ」
「す、すいません、つい…」
ゆっくりと傍に寄り、小声で窘めるコンセルさんに、私は姿勢を戻し謝罪する。確かに、食事が終わったとはいえ、命の恩人である魔王様の前で、あの格好はないだろう。
そんな私の慌しい様子に、魔王様が優しげな笑みで声を掛けた。
「大分此処にも慣れたようだな。と、愚問であったな」
「……どういう意味ですかい?」
魔王様の言葉に私は異を唱え、上体を魔王様へと向ける。仮にも異世界に飛ばされた者が、そう安々と環境に慣れるとでも……いや、結構慣れている気がするぞ? おかしいな……まだ数日しか経っていない筈だが、もう数年いるような気さえする。
まさかと思うが、環境に慣れる魔法でも使われたのだろうか? いや、魔王様は、私へ勝手に魔法を掛けるような方ではない……と思うのだが、いや、しかし、まさか、そんな、とはいえ、だが、よもや……?
私が脳内で自問自答していると、魔王様はコンセルさんへ何やら指示を出し、私へ布袋を手渡させた。
「頼まれた訳ではないが、必要かもしれんと思ったのでな。要らぬなら捨てても構わん」
「へ? な、何でしょうか?」
更に頭の中が混乱する私を眺め、怪しげな笑みを浮かべるコンセルさん。魔王様は特に気にも留めず、チョクラのお代わりを飲み干し、再度お代わりを所望している。
私は錯乱と狼狽が混濁した脳内で、ゆっくりと袋を開ける。
中には、私の世界の文字である年、月、日、曜日、時間がカウントされている、絵画のような、四角い壁掛け時計のような物が入っていた。
「こ、これ、は……?」
「シホちゃんが不思議な物体を眺めてたろ? そのカウントとかを計算して、それをずっと表示出来るようにした物だってさ」
コンセルさんが片目を瞑り、親指を立てた握り拳を私に差し出し、この物体の説明をする。
――ずっと見てた物体、って、もしかして、携帯の事だろうか?
絵画風壁掛け時計には、恐らく、元の世界の今――年月日、曜日が記され、一秒ずつ音を立てて時を刻んでいく。
あまり時間の変わらないこの世界だが、携帯の電源が切れた今、やはり元の世界と全く同じ時間が見られるというのは、非常に感慨深いものである。
しかし、いつの間に携帯を見ている事がバレたのだろうか? 電源切れを起こさないよう、あまり見ないようにしていたのだが? まあ、そんな疑問はどうでもいい。
「ま、魔王様……! 有難うございます! 一生、大事にします!」
「……う、うむ。 気に入ったのなら、使うといい」
魔王様は耳を赤く染め、顔を私から背ける。もしかして、照れているのだろうか? しかし、チョクラは絶対離さない。
私は改めて元の世界の時間を見つめる。
「……年、12月31日、か……って、をおおおおおおっっっっっ?!!」
今日は、もう年末かい!
私の奇声に魔王様とコンセルさんが目を丸くしてこちらの様子を恐る恐る伺っているが、今はそれどころではない。
「シロ……おじさん! すいません! 調理場いいですか?」
私は夕食の片付けをしているシロップおじさんを抱え、調理場へと駆け込んだ。
* *
そう、年末といえば、年越し蕎麦だ。
これ無くして年越しと言えようか? (反語)
かといって、今から麺を打つ時間はない。というか、チョコ大好き魔王様が、蕎麦を好きだとも思えない。
「蕎麦粉をアレンジした菓子作り、だな」
先日、シロップおじさんが作ってくれた食事用ガレットが、蕎麦粉に感じて堪らなかったのを思い出し、思わずシロップおじさんを拐ってしまったのだ。
仕事中に、大変申し訳ない事をしているが、私の体が止まらない。
「ああ、あのサラゾンでしたら、まだ実が残っておりますので、粉にしてお渡ししましょうか?」
「有難うございます! 有難うございます! 本当にすいません! 有難うございます!」
礼なのか謝罪なのか、いまいち私にも分からない言動に、シロップおじさんは快く引き受け、サラゾンという、蕎麦の実にそっくりな物を粉にしてくれた。
シロップおじさん、やっぱマジ菩薩様ッッッ!!
私は別立てのビスキュイ――バターの入るスポンジケーキが、パータ・ジェノワーズで、バターが入らないのを、パータ・ビスキュイという事もあるらしいが、パータケックがバター入りスポンジを表し、卵の卵黄と卵白を別々に泡立てて作る方法で名称が分かれるという説が最有力らしいのだが、まあ美味しければどうでもいい知識だ――を作り始める。
砂糖を分けて入れたメレンゲを作り、卵黄とと砂糖、そして蜂蜜少々をよく混ぜる。
そこへよく練ったリコッタチーズを少々入れ、更によく混ぜ、メレンゲを分けて馴染ませるように混ぜ、何度も篩った小麦粉と蕎麦粉をサックリと混ぜていく。
鉄板に小振りな円形を幾つか作り、180度のオーブンで焼き上げる。
その間に、クレーム・パティシエール――所謂カスタードだが、小麦粉を入れずに作るとクレーム・アングレーズという名になるそうだ――を作り、そこへ泡立てたホイップクリーム――クレーム・シャンティを混ぜ、クレーム・ディプロマットを作る。
他にもホイップにリコッタチーズを混ぜたり、苺もどきを潰し入れたり、カスタードにチョクラを甘く煮溶かし混ぜた物を入れたりし、様々なクリームを作り、焼きあがったスポンジに挟む。
これで、洋風蕎麦粉入りどら焼きの完成だ。
一応、小豆に似た豆らしき物を砂糖で煮、餡も作ってみたが、魔王様の趣味に合うだろうか? というか、これは流石に作り過ぎたかもしれない。
本能の赴くままに作ってしまった、洋風蕎麦粉入りどら焼きの山が乗った大皿と小皿人数分を持ち、食堂へと戻っていく。
……そういえば、もう何時だ? 魔王様とコンセルさんはいるだろうか?
作る事に夢中で、二人の予定を失念していた私は、恐る恐る食堂の扉を開ける。
そこには、魔王様とコンセルさんが、菓子時間の席に座り、今か今かと待ちかねていた。
「……あれだけ甘い匂いがしたら、席を立つ訳にいかんだろう」
「おー! やった! 山のような菓子! 丁度腹減っちゃってさ! シホちゃん、早く早く!」
二人は何故かナイフとフォークを持ち、ちゃっかりと飲物の用意まで済ませ、私を急かす。
恐らくシロップおじさんが二人に伝えたのだろう。私のティーカップに紅茶を注ぎ、笑顔で頭を下げて去っていく。
「あ! シロ……おじさんも! 良かったら食べてください! 作り過ぎちゃいまして」
「え? よ、よろしいのですか?」
恐縮し、魔王様を中心に周囲を見渡すシロップおじさんへ、コンセルさんは魔王様の視線で立ち上がり、シロップおじさんを椅子へと促した。
「……シホの要望だ。叶えねば、菓子作りを辞めると言いかねん」
……いや、私はそこまで心が狭くありやせんぜ、旦那。しかし、部下の我儘を叶えてくれる魔王様の優しさが嬉しい。
「一杯ありますから、食べきれないかもしれませんよ」
「……シホちゃん、それ、本気で言ってる?」
確かに、魔王様ならば、甘い物は本当に別腹……いや、別次元に胃袋があってもおかしくない。
「ま、まあ! もう直ぐ年越しちゃいますし、食べてください!」
「……年越し? 日が変わると食えん物なのか?」
「と、言いますか、年間行事の一環ですね。私が居た所では……」
私は皆の皿にどら焼きを乗せながら、元いた世界の行事を説明する。
「美味しい行事だな! ん! これ、アリコロージュを甘く煮たのか? 意外とイケるな!」
アリコロージュとは、小豆に煮た豆の事らしい。コンセルさんは甚く気に入ったらしく、餡の入ったどら焼きを選んで食べている。正統派か、成る程。
「この、ギュージーとストレリイの物も、生地と相まって更に深みのある味になっておりますね! このギューの風味とエググのとろっとしたクリームも、うむむ、こういう風味が、この生地の旨みを更なる高みに……!」
「いや、やはりこれはチョクラの風味がよく合う」
シロップおじさんは、全てのクリームの味を味わい、それぞれに感嘆の声を上げてくれる。料理の特上プロフェッショナルであるシロップおじさんにここまで褒められると、嬉しいやら気恥ずかしいやら、感極まるやらでやはりかなり喜ばしいものだ。
魔王様は、相変わらずチョコ味を中心に、物凄い速さでどら焼きを平らげていく。
「シホちゃん、その『ソバ』とかいう食い物も、今度作ってほしいなー? オレは食ってみたい!」
「わ、私も、よろしければ、ご相伴に……」
「勿論! 来年は年越し蕎麦で年を越しましょう!」
私が握り拳を振り上げると、魔王様が不満げなジト目でこちらへ視線を移動させる。
「も、勿論! 魔王様には菓子も用意しますよ!」
「……うむ」
私の言葉に、満足げに口を動かす魔王様。……本当に、甘味が好きなのだと痛感させられる。細く長くの意味を持つ行事の食べ物が、ここでは蕎麦粉のどら焼きが定番にされそうだ。どういう意味になるのだろうか……?
「……来年、か」
ポツリと呟く誰のものとも知れない声に、私も少々思案する。……その時、私は此処にいるのだろうか? それとも、元の世界に戻っているのだろうか? もしくは……。
暗くなりそうな思想に、頭を振ると、今は、それより大事な事を思い出した。
そういえば、今は何時だ?
私は、貰った絵画風壁時計を取り出し、時間を確認する。時間は夜11時59分47秒。そろそろ年が明ける時間だ。
「10・9……」
「シ、シホちゃん?」
「な、何だ? 何のつもりだ?」
「シ、シホさん?」
何故か皆が慌てふためくが、私は気にせずカウントダウンを呟く。
「7・6……」
「ギャーッッッ! シホちゃん! 城を爆破する気かー?!」
「4・3……」
「ひゃあああああ! シ、シホさあああん?!」
コンセルさんは武器と盾を構え、シロップおじさんは右へ左へ駆け回る。
皆の顔が青ざめ、緊張感の高まった表情で臨戦態勢を取り、カウントダウンに備える。
何故、カウントダウンがそんなに恐ろしいのだろうか。カウントダウンは爆破、とこの世界では決まっているのか?
だが、私も毎年、これをしないと気が済まない。皆には、慣れてもらうしか無いのである。許せ……っ!
私は我を通し、カウントダウンを続けた。
「……1・0! 明けましておめでとうございます!! 今年もよろしくお願いします!」
私はその場に立ち上がり、お辞儀をしながら、新年の挨拶を告げる。皆、訳が分からず呆然としているが、こちらではこういう習慣はないのだろう。少々寂しい事だ。
そんな中、比較的冷静であった魔王様が、私の挨拶を興味深げに聞いていた。
「……ふむ? 日付が変わると挨拶をするのか。不思議な儀式だが、悪くはないな」
魔王様が優しげな微笑を漏らし、ゆっくりと立ち上がり頭を下げる。
「明けまして、おめでとう。うむ、今年もよろしく頼むぞ、シホ。……こんな感じだろうか?」
「はい! 有難うございます! さすが魔王様、完璧ですぜ! 今年もよろしくお願いします!」
私が魔王様に満面の笑みを向け、親指を立てた拳をぐっと近付ける。
やっと緊張のとれたコンセルさんが武器を収め、そのままお辞儀をして挨拶を返してくれた。
「明けましておめでとう、シホちゃん。今年もよろしくな!」
「はい! 今年もよろしくお願いします!」
何だか皆が返してくれる事が嬉しくなり、私は新年の挨拶を繰り返す。
「魔王様も、今年はチョクラを控えめに、よろしくお願いいたします」
お辞儀をしながらコンセルさんが魔王様へ注意喚起を織り交ぜ挨拶する。確かにチョクラは薬にされるほど強力で、此方では鼻血を吹くほど作用が強いようだ。
「……私が、チョクラ如きに体を壊すとでも思っているのか?」
「万が一、ということもございます故」
魔王様のチョクラ愛と、コンセルさんの魔王様の体を案じる思いがぶつかり、一色触発の火花が飛び交う。
それはともかく、何か足りない気がするのは気のせいだろうか?
もう一人いた……!
「あ! シロ……おじさんは何処へ?」
私の叫声に、皆で慌ててシロップおじさんを探し始める。確か、扉付近で右往左往していたような……?
「……居たよ、シホちゃん……」
少々呆れ声で私を呼ぶコンセルさんの元へ駆け寄る。そこは、食事用の大きなテーブルの下だ。
その中へ潜り込むと、身を縮こませ、唸り声を上げるシロップおじさんが意識を失い倒れていた。
「うぎゃああああっっっ!! シロップおじさあああああああんッッッッ!!!」
「う、ううう……!」
「……ちょっと、やりすぎたね、シホちゃん?」
冷や汗を流し苦笑するコンセルさんを横目に、私はシロップおじさんを揺すり、意識を戻そうとするが、一向に目を覚ます気配がない。
「……こっちへ連れてこい、シホ。直ぐに意識を……」
「うがああああああっっっっっっ!!!!! しろっぷおじさあああああんっっっっ!!」
混迷し過ぎ、脳の秩序が惑乱状態の私には、魔王様の声が聞こえず、シロップおじさんを抱え上げ、医務室へと飛んでいく。
「……秒読みを10からする時は、相手に殺意ある攻撃を為す、という事は教えていなかったか」
「も、申し訳ありません! 早めに家庭教師を手配致します!」
「その方が良いだろうな……」
冷や汗を流し跪くコンセルさんを前に、魔王様は魔法を即展開出来るよう準備していたらしく、チョクラを数十杯、一瞬で飲み干した。
――後日、その話を聞いた私が、暫く平謝りを続け、人目を避けるように移動していたのは言うまでもあるまい。
良い、お年を!