6
草木も眠る夜。
村は静かだった。
マリシアは家の中で、今日収穫した薬草を整理していた。
「明日はこれを乾燥させて……」
窓の外を見る。
月が高い。
「……デュランさん、今日は来なかったわね」
王子としての仕事があるのだろう。
そう思いながら、マリシアは明かりを消そうとした。
そのとき。
――カタン。
小さな音がした。
「……?」
マリシアが振り返る。
窓の外。
誰かがいる。
「誰ですか?」
返事はない。
マリシアは警戒しながら窓から離れた。
その直後。
バリンッ!
窓ガラスが割れた。
「!」
黒い服を着た男が室内へ飛び込んでくる。
「動くな」
マリシアは後ずさった。
「あなたたちは……?」
「おとなしく来てもらおう」
男の後ろから、さらに二人が入ってくる。
合計三人。
全員が武器を持っていた。
「どこへ連れていくつもりですか?」
「それを知る必要はない」
「私は何もしていません」
「そんなことはどうでもいい」
男がマリシアへ手を伸ばす。
「来い」
マリシアは咄嗟に後ろへ下がった。
「嫌です!」
男が腕を掴もうとする。
その瞬間。
――カチン。
どこからか、金属音が響いた。
「……?」
刺客たちが振り返る。
窓の外。
月明かりの中に、一人の青年が立っていた。
「……その手を」
低い声。
「彼女から離せ」
デュランだった。
「殿下……?」
刺客の一人が呟く。
デュランは剣を抜く。
いつもの穏やかな笑顔はない。
「その呼び方を知っているということは」
彼は静かに言った。
「あなたたちは、僕のことも調べているんですね」
「……!」
刺客たちが身構える。
「殿下、お下がりください」
「断る」
デュランは一歩、家の中へ入った。
「今日は逃げません」
その言葉に。
刺客たちが一斉に襲いかかった。
一人目が剣を振る。
デュランは身体を僅かに逸らした。
刃が髪をかすめる。
「遅い」
柄で相手の手首を打つ。
武器が落ちる。
続けて踏み込み、相手の足を払う。
男が床に倒れた。
「ぐっ!」
二人目が背後から迫る。
デュランは振り返らない。
「そこ」
剣を逆手に持ち替えた。
振り向きざまに相手の武器を弾き飛ばす。
そして肩を打ち、動きを封じる。
「う……!」
残った一人がマリシアへ向かう。
「この女を連れていけばいい!」
「――させません」
デュランの姿が消えた。
次の瞬間。
男の目の前にデュランが立っていた。
「なっ――」
剣の柄が腹部へ入る。
男が崩れ落ちた。
わずか数秒。
三人の刺客は、全員が床に倒れていた。
マリシアは呆然とする。
「……デュランさん」
「大丈夫ですか?」
デュランは振り返った。
その瞬間。
先ほどまでの冷たい目が、いつもの優しい瞳へ戻る。
「怪我はありませんか?」
「はい……」
「よかった」
デュランは大きく息を吐いた。
「怖かった……」
「……」
マリシアは思わず目を丸くする。
「今まで、ものすごく冷静だったのに」
「怖かったですよ」
デュランは震える手を見せた。
「手が震えています」
確かに。
剣を握っていた手が、小さく震えている。
「でも……」
デュランは倒れている刺客たちを見る。
「あなたが連れていかれそうだったので」
その声は穏やかだった。
「怖がっている場合じゃありませんでした」
刺客たちは拘束された。
デュランはその場で尋問を始めなかった。
「まず、この人たちを城へ運びます」
「何を聞くのですか?」
マリシアが尋ねる。
「誰に頼まれたのか」
デュランは答えた。
「そして、なぜあなたを連れていこうとしたのか」
待機させていた騎士たちが、手際良く牢へと全員を運ぶ。
デュランの前に、捕らえた刺客たちが並んだ。
「誰に雇われた?」
「……知らない」
「そうですか」
デュランは困ったように笑う。
「では、別の聞き方をします」
一枚の書類を取り出す。
「あなたたちが使っていた馬の購入記録です」
刺客たちの顔が強張った。
「購入者の名前も分かっています」
「……」
「そして、その人物が誰から金を受け取ったのかも」
さらに別の書類。
「ベルネ伯爵領の元会計官の証言」
刺客の一人が顔を上げる。
「……!」
デュランは見逃さなかった。
「やはり、ご存じですね」
「違う!」
「では、これは?」
最後に一枚の紙を置く。
そこには、アルベルト公爵家と繋がる商会からの送金記録が記されていた。
刺客たちは沈黙した。
やがて。
一人が諦めたように口を開く。
「……俺たちは、公爵家の使いから依頼された」
「誰です?」
「アルベルト様に近い男だ」
デュランは静かに尋ねる。
「目的は?」
「ベルネ伯爵令嬢を王都へ連れていくこと」
「なぜ?」
「……裁判にかけるためだと聞いた」
「嘘ですね」
デュランは即座に言った。
「あなたたちは正式な逮捕状を持っていない」
刺客が黙る。
「それに、なぜ夜中に侵入したのです?」
「…………」
「答えてください」
しばらく沈黙した後。
男は吐き出すように言った。
「……消すつもりだった」
デュランの目が冷たくなる。
「誰の命令です?」
「直接の命令は……」
男は震えながら答えた。
「公爵家の家令からだ」
デュランは目を閉じた。
これで繋がった。
ベルネ伯爵家の横領疑惑。
偽造された帳簿。
不自然な補助金。
アルベルト公爵家と繋がる商会。
元会計官の証言。
そして、マリシアを狙った刺客。
「……十分です」
デュランは立ち上がった。
「これだけ証拠が揃えば、正式な再調査を要求できます」
王都へ、一通の書状が送られた。
差出人は第二王子デュラン。
そこには、これまで集めた証拠がすべて添付されていた。
ベルネ伯爵領の帳簿。
補助金の送金記録。
元会計官の証言。
商会との金銭の流れ。
マリシアを襲った刺客たちの証言。
デュランは、王国の外交官を通じて正式に要求した。
――ベルネ伯爵家への再調査を。
――横領疑惑について、第三者による調査を。
――婚約破棄と追放処分についても、併せて再審理を。
これまでなら。
誰も「臆病者王子」の意見など真剣に聞かなかったかもしれない。
だが。
今回は違った。
十分過ぎるほどの証拠が揃っていた。
しかも、リューネ王国の王子が正式ルートを使って外交文書として提出したのだ。
王都は動かざるを得なかった。
さらに数週間後。
マリシアのもとへ、正式な書状が届いた。
震える手で封を開く。
そこには。
「ベルネ伯爵家に対する横領の嫌疑について、再調査を行った結果――」
マリシアは息を止めた。
「横領の事実は認められず」
さらに。
「帳簿の改竄及び不正な資金移動について、第三者による工作が確認された」
マリシアの目に涙が浮かぶ。
そして最後に。
「マリシア・フォン・ベルネ嬢について、反逆及び横領への関与を認める証拠は存在しない」
「……」
「よって、マリシア嬢に対する嫌疑をすべて取り下げる」
手が震えた。
婚約破棄されたあの日。
誰も自分の言葉を信じてくれなかった。
全てを嘘だと決めつけられた。
けれど。
「……終わった」
涙が頬を伝った。
そのとき。
「マリシアさん」
後ろから声がした。
振り返る。
デュランが立っている。
「……おめでとうございます」
「デュランさん……」
「これで、あなたは自由です」
デュランは笑った。
「王都へ戻ることもできます」
「…………」
「ご家族のところへ戻ることも」
「…………」
「以前の生活を取り戻すこともできます」
マリシアは書状を握り締める。
ゆっくりとデュランを見る。
「……はい」
「…………」
「でも」
マリシアは涙を拭った。
「私は、まだここにいたいです」
デュランの目が見開かれる。
「……ここに?」
「はい」
マリシアは微笑んだ。
「この村で暮らしてみて、分かったことがあります」
畑を見る。
小さな家を見る。
そして。
隣にいる青年を見る。
「私、ここで生きていくのが嫌ではないみたいです」
「…………」
「それに」
マリシアは少し恥ずかしそうに笑った。
「ここには、毎日のように会いに来てくれる王子様がいますから」
「…………!」
デュランの顔が一瞬で赤くなる。
「そ、それは……」
「嫌ですか?」
「いえ!」
デュランは慌てて首を振った。
「全然!」
少しだけ俯いてから呟く。
「……僕も」
顔を上げる。
「あなたがここにいてくれると嬉しいです」
二人の視線が重なる。
マリシアは微笑んだ。
「では、これからもよろしくお願いします」
「はい」
デュランも笑う。
「こちらこそ」
自分の力で生きる場所。
信頼できる人々。
そして――。
「マリシアさん」
「はい?」
「明日も来ていいですか?」
「……ふふ」
マリシアは笑った。
「明日だけでなく、ずっと来てください」
デュランは嬉しそうに頷いた。
「はい!」
不当に追放された令嬢。
臆病者と呼ばれた王子。
二人の未来を祝福するように、晴れ渡った空はどこまでも繋がっていた。




