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プロローグ ヒヨッコ独裁者

革命広場は一匹の大きな獣のようにうねっていた。

十万の体が肩と肩を擦り合わせて立っていた。

熱気が頭上で湯気のように揺れていた。

汗の匂い。揚げ物の油の匂い。

その下に、もっと古い匂いがあった。空腹の匂いだった。

並んでも買えない薬の匂いだった。

停電した部屋で眠れずに過ごした夜の匂いだった。

広場の誰もがその匂いをまとっていた。

そして誰もそれを口にしなかった。


私は演壇に立った。

広場の十万と、画面の向こうの何百万かが私を見ていた。

手の中の原稿は私が書いたものではない。

誰が書いたのかも知らない。

就任して半日の暫定大統領に、言葉を選ぶ権利などない。


「諸君! 海の向こうの合衆国が! また牙を剥いた!」


自分の声が自分のものに聞こえなかった。

私は与えられた紙を与えられた怒りで大げさに読んだ。


「奴らは甘い言葉で安定と言う! 協力と言う! 手続きと言う! だがその裏から硫黄の匂いがする! 昨夜その悪魔が我々の大統領を奪っていった!」


広場が吼えた。

私はその声に怒りを返した。

口角を上げた。拳を握った。声を張った。


「この国の油は誰のものかッ!」


我々のものだ! 我々のものだ! 広場が応えた。


「四十年前、我々はこの油を血で取り返した。その血の上にあなたがたは立っている。いま合衆国はそれを奪いに来た。次に狙うのは港だ! そして我々の命だ! 我々の子供の未来だ!」


怒りの目、怒りの目、夜に浮かぶ獣の目。

合衆国をにらんでいるはずなのに、私は恐怖に押しつぶされそうになる。

最後の力を振り絞る。


「だが聞きなさい! 灯りを消されても背骨は折れない! 闇の中でこそ! ミラージュ共和国は! ライラ・キンテロは! いちばんまっすぐに立つ!」


キンテロ! キンテロ! ライラ・キンテロ! 万歳!


群衆が私の名を叫んだ。

三日前まで書類を揃えるだけだった女の名を。


三日前、別の男がほとんど同じ言葉を同じ広場に投げていた。

その声の主はいま海の向こうのどこかにいる。

私は消えた男の言葉を代わりに読み上げたようなものだ。


あの夜も革命広場は人でいっぱいだった。

停電のはずの時刻に広場だけが煌々と灯っていた。

モラレス前大統領は演壇に堂々と立つ。

四十年前の革命の英雄。いまや終身の独裁者。私は演壇の裏にいた。

官房長官として彼の最後の演説を聞いていた。


「この国の油は誰のものだ!」と彼は叫んだ。


我々のものだ! 広場が応えた。


モラレス! モラレス!

アウグスト・モラレス! 万歳!


その声は四十年この国を動かしてきた。

その声で王を倒した。

その声で油田を国のものにした。

その声で誰も逆らえない一人になった。


「合衆国は言う。返せと。分けろと。安定のためだと。だが——」


彼が次の一語を言う前だった。

空が裂けた。


光が先だった。

広場の万の顔を白い閃光が塗りつぶした。

音は遅れて来た。

腹を蹴り上げる衝撃。肺から空気が消えた。

海の方角では火の手があがる。夜の中に昼ができた。油槽が狙われた!


黒い煙が星を消した。

視覚が奪われた次の瞬間、広場は地獄になった。

逃げ場のない石畳で万の体が一方向へ雪崩れた。

倒れた者は起き上がれない。

隙間がどこにもない。

踏まれた悲鳴が次の足音に潰された。

子の名を呼ぶ母の声が途中で別の音に変わった。

私は全部見た。見たくないものをその夜に全部見た。


演壇に見たことのない兵が雪崩れ込んだ。

すぐに見てわかる。国防軍ではない。最新鋭の装備だ。

モラレス大統領の護衛が応戦した。

最初の一人が額を撃たれて倒れた。血が白い布に扇のように散った。

二人目。三人目。

至近の銃声はもう音ではない。骨を直接叩く衝撃だった。


兵士たちはモラレス大統領を引きずり出す。

哀れな男は両脇を抱えられ、片足の靴が脱げていた。

四十年誰にも逆らわせなかった男が濡れた荷物のように引かれていく。

市民はスマートフォンをかざして歴史の瞬間を捉える。

世界中の人々が様々な角度からそれを目撃した。合衆国の兵士だ!

合衆国に屈しないと叫んだ男が、合衆国の手に派手に攫われた。

完璧な見世物だった。


誰かが私の腕を掴んだ。

骨が軋むほど強かった。

後にそれがハルナ・オオシロ将軍だと知るが、その夜の私はまだ彼女の名を知らない。

彼女は一言も言わず煙の中から私を引きずり出した。

守るためか捕まえるためか。

その時の私には分からなかった。


ほんの一瞬だが、引きずられていく前大統領の顔を私は見た。

奇妙なことにそこに恐怖の色がなかった。怒りも絶望もない。

長い舞台を終えた役者の様子のように、満足気に見えた。

一千万人を煽った口の端がほんの少し笑っていた。

混乱のあまり狂ったか。


翌朝、私は彼の執務室に入った。

広場はまだ焦げていた。

部屋のほうは、別の意味で荒れていた。


引き出しは全部引き抜かれ、中身が床にぶちまけられていた。

書棚は倒れ、本は背を割られて散らばっていた。

机は脇へどけられ、絨毯は剥がされていた。

床板は一枚ずつ釘を抜かれ、起こされている。

壁の羽目板まで剥がされ、その裏の空洞がのぞいていた。

金庫は扉を抉じ開けられ、空のまま口を開けている。

合衆国の兵士は前大統領を奪うついでに、この部屋を端から端まで解体していったらしい。


何か機密情報でも探していたのだろうか。

だが書類なら、引き出しを開ければ足りる。

床板を起こす必要はない。

壁の裏を覗く必要もない。

彼らが探していたのは、床板の下や壁の裏に隠せるほどかさばる何かだ。

そしてそれは見つかったのかどうか。

荒らされた部屋はそこだけ何も教えてくれなかった。


「片づけなさい」


私は傍仕えたちに命じて部屋を出た。

合衆国の探し物が見つかっていなかったとしたら、非常に困る。

なぜなら今、この部屋の持ち主は私なのだから。

せっかく片づけても、また床板を剥がされたらたまらない。


「どうにか平和に終わらないかしら」


派手な誘拐劇に似つかわしくない静けさの中で、私はそうつぶやいた。

すぐさま、頭では「そんなわけはないに決まっている」という声が聞こえてくる。

一国の大統領が?

衆目の前で公然と誘拐?

そんな馬鹿な!

この世界は一体どうなってるって言うんだ!

なんで私がこんな!?


ライラ・キンテロ。

半日前に椅子へ放り込まれた暫定大統領。

独裁者の後を継ぎながら、世界の秩序に思わず訴えかける。


「独裁者としてはまだヒヨッコだな、ハハッ」


乾いた笑いが廊下に響いた。

しばしお付き合いをどうぞよろしくお願いします!

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