獣肉の定食 13-1
村を出る朝、孤児院に寄った。
子供たちが荷台の周りに集まっている。夢魘を触りたがる子、ツバキの鼻面を撫でる子、私の銀色の髪を指で梳こうとする子。昨日髪を触りに来た女の子が、今日は遠慮なく両手で掴んでいる。
「痛いわよ、引っ張らないで」
「えー、もうちょっとだけー」
クミが門の所に立っていた。深紅のドレスが朝日を受けて、裾の暗い赤が明るい赤に変わっている。見送りに来てくれたのだ。
「お気をつけて、闡釐さん」
「ありがとう。また商品を持ってくるわ」
クミが微笑んだ。
鴆護が門柱に寄りかかっていた。手袋をはめた手で柱を掴んでいる。いつもの硬い握り方だ。
「子供たちの分の傷薬、次は多めに仕入れておく」
「助かる。……気をつけろよ」
短い言葉だった。だが「気をつけろ」の中に、あの忠告が入っている。泉の笑顔。俺でも読めない。あの声が、まだ耳に残っている。
ツバキの手綱を引き、村の門を出た。振り返ると、子供たちが手を振っている。その中にクミの深紅のドレスが見えた。
§
街道を歩いた。半日の道のりだ。
天気がいい。風が柔らかい。ツバキの蹄が乾いた道を叩く音が心地いい。商品は孤児院の村での売り上げで少し減ったが、まだ十分にある。香辛料と防虫剤が半分ほど残っている。隣町はもっと人口が多い。需要はある。
「でかいドームだな」
夢魘が上空から声を落としてきた。
「見えるの?」
「おう。あと四半刻ってとこだ。外壁が高ぇ。前の村の三倍はあるぞ」
「それだけ人も多いってことね」
「人が多けりゃ商売も捗るんじゃねぇの?」
「人が多いと競合も多いのよ。行商人なんて町に着いた順で場所が埋まるから、出遅れたら端っこで干物を並べるだけになる」
「干物を並べるのと今と何が違うんだよ」
「失礼ね。香辛料も売ってるわよ」
ツバキが歩調を少し速めた。町が近づくと馬は勝手に速くなる。厩舎の匂いと水場の匂いを嗅ぎ取っているのだろう。
穏やかな道だった。魔物も出ない。空は青く、雲が高い。風が頬を撫でていく。冬の名残が抜けきっていない風で、肌の表面だけが冷たい。ツバキの蹄が乾いた土を叩く音が、一定の間隔で続いている。あの音を聞いていると、自分の足音が消える。馬の歩調に体が乗って、歩いているのか運ばれているのか分からなくなる。旅をしていて一番好きな時間だ。何も起こらない、ただ歩くだけの時間。
だが今日は、その穏やかさの中に石が沈んでいた。
昨夜、天井を見つめながら浮かんだ光のことを考えている。六つ増えて、一つ減った。
「おい闡釐、ぼーっとすんな。門が見えたぞ」
「ぼーっとしてないわよ」
「嘘つけ。手綱が緩んでる」
夢魘は正しかった。手綱を握り直した。
§
隣町のドームが見えてきた。
孤児院の村とは打って変わって大きい。膜が厚く、中の緑も濃い。建物が密集していて、人通りが多い。活気がある。宝保吉行の計画の中心地だけあって、金が流れ込んでいるのだろう。
門を通ると、街道沿いに店が並んでいた。食堂、鍛冶屋、薬屋、布屋。行商人にとっては良い市場だ。
通りを歩きながら、建物の看板を見ていた。どれも読める文字で書かれている。
一軒だけ、違った。
通りの角に、小さな店があった。看板が掛かっている。だが書かれている文字が読めなかった。流れるような曲線が並んでいる。この土地の文字ではない。昨日、殺人鬼の懐から出てきた紙の記号と同じ種類の線に見えた。
変わった店ね、と思った。だがそれ以上に気になったのは、店の周囲だった。通りの他の場所には行商人が隙間なく荷台を広げているのに、この店の左右だけ空白がある。一間ほどの空白。誰も荷台を置いていない。場所代が高いのか、それとも——暗黙の了解で避けているのか。後者だった。
通り過ぎた。
夢魘が上空を旋回して戻ってきた。
「闡釐、さっきの角の店な」
「何か見えた?」
「あの店だけ客層が違う。地元民が入ってねぇ。出入りしてるのは旅人風の連中ばっかりだ。しかも全員、同じような外套のフードを深く被ってる。顔を見せたくない連中だ」
いい匂いがした。振り向くと「猪鹿亭」という看板が見える。獣肉の丸焼きを出す店らしい。煙が分厚く、脂の焼ける匂いが道に溢れ出している。
「闡釐、目が輝いてるぞ」
「輝いてないわよ」
「お前の嘘は声に出るんだっての」
ツバキを繋ぎ、荷台を広げて商売の準備を始めた。まず商売。食事は後。鉄則だ。
§
商品を並べて半刻ほど経った頃、人影が近づいてきた。
お腹の大きい女性だった。よく見ると、かなり大きい。臨月に近い。それでも足取りは確かで、地面を踏む音に迷いがない。
隣に長身の男が立っている。男の手の先まで鎧が伸びていて、それ自体が一つの槍になっている。指がない。指の代わりに穂先がある。だが立ち方は穏やかだった。
「あなたが十慧闡釐さん?」
「ええ、そうだけど。どうして私の名前を?」
「鴆護さんから聞きました。腕の立つ行商人がこの辺りにいると」
「私、宝保泉と申します。吉行の妻をしております。こちらは己貫刃。私の護衛です」
己貫が丁寧にお辞儀をした。
「折り入ってお願いがあります。アリーヤ・カーンを殺して頂けませんか?」
率直だった。回りくどさがない。
「報酬は?」
「依頼費はもちろんのこと。計画が成功した暁には、この一帯の商品販売権をお渡しします」
商品販売権。行商人にとってはこれ以上ない報酬だ。だが——話が早い。早すぎる。初対面の行商人に、ここまでの条件を即座に提示する。条件を出す順番が整いすぎている。最初に依頼内容、次に報酬。選択肢を与えているように見せて、選択の余地をなくす並べ方。
「……話が早いわね」
「明日、夫が演説を行います。その夜に会合を開きますので、ぜひご参加を。他にも実力者を集めております」
「分かったわ。参加する」
泉が会釈して去った。己貫がその隣を歩いている。二人の足音が遠ざかっていく。泉の足音は妊婦のそれにしては軽かった。
恩人が言っていた。「条件が良すぎる話には、値札のついていない品物が紛れ込んでいる」。
二人が去った後、夢魘が言った。
「あの女、腹デカいのに一人で動き回ってんのか。護衛つきとはいえ、普通じゃねぇな」
「普通じゃない人が多いわね、この辺りは」
「お前もな」
「自覚はあるわよ」




