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丁々発止が鳴り止まない。改訂版  作者: ArU
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30/31

殺人鬼の村 12-1

 朝、孤児院の方角に向かった。


 荷台を引きながら、昨日の道を逆に辿る。村の通りは静かだった。朝の市が立つ時間なのに、露店が三つしか出ていない。野菜を並べた老人と、縄を売る男と、何も売らずに椅子に座っているだけの女。閑散としている。客足の少なさで分かる。この村は怯えている。


 通りを歩く人間の足音が速い。用事を済ませたら家に戻る足音だ。寄り道をしない。立ち止まらない。恩人が教えてくれた。「客の足音が速い村は、商品を並べる前に理由を探れ」。


 孤児院の近くに荷台を広げた。香辛料、防虫剤、傷薬、針と糸。並べる順番は恩人に教わった。最初に出すのは一番安くて一番よく出るもの。人が足を止めたら、隣に置いた少し高いものが目に入る。導線を作るのだ。


 村人が少しずつ集まってきた。


「あんた、昨日あの孤児院にいたんだろう?」


 年嵩の女が声をかけてきた。私の銀色の髪をちらりと見たが、忌み子の反応はしなかった。商品を物色する目の方が強い。この女にとって、私の髪より傷薬の値段の方が重大だ。それは嬉しいことだ。


「ええ。鴆護さんにお世話になったわ」


「鴆護にねぇ。あの人は良い人だよ。子供たちの面倒をよく見てる。ただ……」


「ただ?」


「最近、物騒でね。村の外れで人が死んだ。二人。どっちも旅の人だった。自警団が出たけど、犯人は見つかってない」


 殺人事件。それで村が閑散としているのか。恐怖で人が外に出なくなっている。露店が三つしか出ていなかった理由。


「どんな死に方だったの?」


「斬られたらしいよ。上からばっさりと。見た人が言うには、肩から腰まで一太刀だったって」


 肩から腰まで一太刀。骨の密集した胴体を一刀両断するには、相当の筋力と重い刀が必要だ。普通の賊の仕業ではない。


「気をつけなよ。あんたみたいな若い女が一人で旅してたら、狙われるかもしれない」


「ありがとう。気をつけるわ」


 女は傷薬を二つ買って去っていった。防虫剤には手を出さなかった。虫より人間の方が怖い村では、防虫剤は売れない。


                  §


 昼過ぎ、商売を片付けて孤児院に寄った。


 庭では子供たちが遊んでいる。よく見ると、ただ遊んでいるのではない。年長の子が年少の子に順番を譲り、小さな子が転んだら別の子が手を貸している。昨日夢魘が法律だと言った光景が、今日もそのまま続いている。


 クミが庭の隅にいた。日差しの中に深紅のドレスが映えている。木の切り株に腰を下ろして、膝の上に絵本を開き、子供たちに読み聞かせていた。六人が半円を描いてクミを囲んでいる。


「それでね、旅人さんは大きな山を越えました。山の向こうには——」


 クミの声は穏やかだった。抑揚が綺麗で、言葉の切れ目に少しだけ間を置く。子供たちが絵を見る時間を確保しているのだ。読み聞かせに慣れている人の間の取り方。


「大きな湖がありました。湖の水は青くて——」


「クミ姉ちゃん、めくって!」


「はい、はい」


 だが——ページをめくる時に、一瞬だけ動きが止まった。


 袖の奥から指先だけを出して、紙の端を摘まもうとする。薄い紙だ。指先と紙がうまく噛み合わない。紙の角が滑る。二度、三度。爪の先で引っかけようとして失敗し、袖の布地が紙に被さってしまう。ようやく四度目で一枚めくった。その間、クミの表情は一切変わらなかった。声も途切れなかった。


「——青くて、とても冷たくて。でも旅人さんは泳ぎました」


 子供たちは気づいていない。クミも気づかせまいとしている。声を止めないのは、子供たちの注意を声に留めておくためだ。ページをめくる手元を見せないための、計算された語りの途切れなさ。


 だが私には見えた。ページをめくるという何でもない動作が、この娘にとっては何でもなくないのだということが。


 昨日の握手を思い出した。手を出さなかったクミ。半歩後ろに下がったクミ。袖の奥に隠された手。何かが繋がりかけて——繋がらなかった。


「おかえりなさい、闡釐さん」


「ただいま。商売は上々だったわ」


「それは良かった。お団子屋さんで何か買ってきました?」


「夢魘に食べられたわ」


「食べてねぇよ!お前が全部食っただろ!」


子供たちが笑った。クミも笑った。


§


「闡釐。飲むか」


 鴆護が奥から声をかけてきた。手袋を外して、カップを二つ持っている。珈琲を淹れる時だけ素手になる。昨日と同じだ。


「いただくわ」


 孤児院の裏手にある小さな部屋に通された。壁に古い絵が飾ってある。子供の手で描かれた花と太陽。色褪せているが、丁寧に額に入れられていた。


 カップを受け取った。一口含む。昨日と同じ味——のはずだが、今日の方が苦みの角が丸い。


「……昨日より美味しくない?」


「気温が違う。今日は少し冷えてるだろう。冷えた日は蒸らしを長くする。前の管理人がそう教えてくれた」


 この人は毎朝、珈琲のために空気を読んでいる。気温を読み、湿度を読み、豆の状態を読む。同じものを出すために、毎日違うことをしている。


「毎日、微調整してるのね」


「習慣だよ。教わったことをそのまま続けてるだけだ」


 鴆護が自分の分を注いだ。素手の指がカップを包む。昨日と同じ、小指が離れる癖。壊れやすいものを扱う指。


 殺しの件は、もう聞いているだろう。


「殺しの件、聞いたわ」


「ああ」


「孤児院に影響は?」


「今のところはない。だが——村の人間が怯えている。外に出なくなれば、商売も回らなくなる。お前にも影響があるだろう」


「そうね。今朝は客足が明らかに少なかった」


 鴆護がカップを両手で包んだ。素手の指に古い傷がある。手袋を外さなければ見えない傷だった。指の関節を横に走る白い線。


「鴆護さん。その傷、料理の傷じゃないわよね」


 鴆護の手が止まった。


「……目が利くな」


「手を見るのは癖よ。手を見れば、その人が何をしてきたか分かる」


 鴆護が少し笑った。笑ったが、目は笑っていなかった。


「孤児院の運営って、大変でしょう。資金はどうしているの?」


 これだけの人数を養うには金がかかる。


「……汚い仕事だよ。人に言えるような稼ぎ方じゃない」


 鴆護の声が低くなった。素手の指がカップの縁をなぞっている。


「昔は殺し屋をやっていた。辞めたと言いたいところだが、完全には辞められていない。孤児院を維持するには金がいる。依頼があれば、今でも受ける」


 殺し屋。この人が。子供の頭を撫でるあの手が、人を殺す手だという。昨日、菓子屋になりたかったと笑ったこの人が。


「……矛盾してるわね」


「矛盾しているさ。でも、綺麗事だけで子供は守れない」


 鴆護がカップを置いた。手袋を取り上げて、はめ直した。珈琲の時間が終わった——という合図のように。素手の時間と手袋の時間。この人には二つの時間がある。


 窓の外ではクミが子供たちと遊んでいた。長い袖を揺らしながら、鬼ごっこの審判をしている。子供たちがクミに群がっている。


「あいつが来てから、楽になったのは事実だ。子供たちの世話を一手に引き受けてくれる。だが……」


 言葉が途切れた。何かを言いかけて、飲み込んだ。


「だが?」


「……あいつには、違う幸せを見つけて欲しかった」


 鴆護の目が窓の外を見ていた。クミが走り回る子供たちの間で立っている。長い袖。深紅のドレス。


「殺し屋の元に転がり込んで、孤児院で子供の世話をして、それが幸せだと言い聞かせて生きるのは……正しくない」


 鴆護の声が、僅かに揺れた。


「正しくないって、誰が決めるの?」


「……分からない。分からないから、こうして珈琲を淹れて誤魔化している」


 笑った。自嘲の笑みだ。珈琲の湯気がまだ漂っている。苦い匂いの中に、あの微かな甘みが混じっている。昨日飲んだ珈琲と同じ甘み。この人が毎日守り続けている、小さな甘み。


 人にはそれぞれ事情がある。ソウマの時にも同じことを思った。聞いても答えの出ない問いを抱えている人間に、出来ることは多くない。ただ、良い珈琲を飲ませてもらったことは覚えておく。


                  §


 翌朝。日が昇る前に、叫び声で目が覚めた。


「鴆護くん!大変だ!大変だ!」


 幼女が孤児院に駆け込んできた。私は宿から走った。鴆護がすぐに幼女を抱き上げ、落ち着かせていた。


「何があった?」


「近くで人が殺されたー!」


 三人目だ。


 鴆護がクミの方を見た。クミは部屋にいる。子供たちの傍にいる。鴆護は僅かに肩の力を抜いた。それから私に視線を移した。


「行くのか?」


「走ってくるだけよ。場所はどこかしら?」


 幼女が指をさした方向に走り出した。夢魘が肩にとまる。


「上から見てくるぜ!」


 黒い翼が空に舞い上がった。


                  §


 村の外れ。ドームの膜に近い、雑草の生えた空き地。数人の村人が遠巻きに立っている。その中心に、死体があった。


 仰向けに倒れた男。肩から腰にかけて、一直線に裂けている。骨まで断たれている。女が言った通りだ。一太刀。常軌を逸した切れ味と力。


 そして、その死体の傍に男が屈んでいた。


 でかい。異様にでかい。二間を超えている。不細工な顔。長い腕。そして——腰に下がった刀と警棒。


「……りょう?」


 振り返った顔は、見間違えるはずもなかった。


「おー!闡釐やないか!こんな所で会うとはなぁ」


「アンタこそ何してるのよ、こんな所で」


「この辺りで殺人鬼が出とるって依頼を受けてな。アーノルドくんと二人で来とったんや」


 りょうの後ろから、もう一人の男が現れた。長身だがりょうよりは小柄。筋肉質で、腰に革袋を幾つも提げている。目つきが鋭い。口数の少ない顔をしている。


「アーノルド・ブロッケンだ。りょうの相棒をやっている」


「十慧闡釐よ。行商人」


「りょうから聞いている。刀使いの商人、だろう」


「余計なことまで言わなくていいのに」


 りょうが死体に顔を寄せながら言った。指先で傷口の縁をなぞっている。肉に触れる手つきに躊躇がない。死体を恐れないのではなく、死体を読んでいる。指先が肉の裂け目に沿って動く。断面の状態を確かめ、骨の割れ方を観察し、切断角度を測っている。死んだ人間の体に触れることを、この男は仕事として行っている。殺し方を見れば殺した人間が分かる。りょうにとって死体は署名のない手紙だ。


「検死の結果やけどな、刃物で胴から下まで斬られとる。これで三人目や。斬り方に癖がある、同一犯やな」


「骨が密集してる胴体を一刀両断できるのは相当の力がいるわよね」


「せやねん。身長が高くないと肩からの角度が出ーへん。しかも刀が重い。重心が先端に寄っとる斬り方や」


 ……待て。


 身長が高い。刀が重い。重心が先端に寄っている。肩からの角度。


 目の前の男を見上げた。二間を超える巨体。腰の刀は大きく、重心が先端に寄っている。肩から振り下ろせば、まさにこの角度になる。


「……ねぇ、りょう。それ全部アンタの特徴じゃない?」


 りょうが目を丸くした。それから盛大に噴き出した。


「ハハハ!言うと思ったわ!」


「死体の横に立って検死してる容疑者って、滑稽な絵面ね」


「酷いこと言うなぁ。ちゃんと見てみい、切断面が荒いやろ。肉が潰れとる。鋭い刃で斬ったんやなくて、鈍い刃で叩き割った傷や。刀を振ることを知っとる人間の斬り方やない。ただ重いもんを振り下ろしとるだけや」


 確かに、断面が綺麗ではなかった。引き裂かれたような、力任せの痕だ。


「りょう君が斬ったら、もっと綺麗に逝かせるわ。命を奪うなら、奪い方にも格っちゅうもんがあるやろ」


「……冤罪だったら商品一つタダにするわ」


「おっ、ほんまか。じゃあ早よ犯人捕まえよ」


 りょうがこちらを見た。


「闡釐、すまんけど囮になってくれへんか?こっちで用意する予定やったんやけど逃げられてもうてな」


「森羅なら今頃一人で研究でもしてんじゃないか?二間超えの男二人に連れ回される気持ちも分かってやれ」


 アーノルドが呆れた口調で言った。森羅。聞いたことのない名前だ。


「どうすんだよ闡釐?」


 夢魘が聞いた。


「別にいいんじゃない?」


「恩に着るで!」


                  §


 夢魘が上空から索敵し、私が囮として一人で歩く。りょうとアーノルドは物陰で待機。


 村の外れの道を歩いた。刀は腰にあるが、わざと無防備な旅人を装う。荷物を担いで、きょろきょろしながら。


「居たぞ!南に真っ直ぐ!徒歩で移動してる!」


 夢魘の声が降ってきた。


 足音。重い。地面が僅かに振動している。大きな体。重い刀。


 木の隙間から、長身の男が見えた。こちらに気づいている。上段に構えた大きな刀。刃についた乾いた血が、夕暮れの光に鈍く光っていた。隠す気がない。


 距離を詰める。体格で負けている。だが上段からの振り下ろしは、発生におよそ半拍かかる。居合いの方が速い。


 三間。二間。刀の間合いに入る。


 相手が振り下ろした。


 空気が裂けた。重い。鉄塊を叩きつけるような一撃——頬を風圧が殴る。肌が痺れた。横に飛んで避けた。地面が砕ける。石が脛に当たって、チリッとした痛みが走った。


 鞘を左手で前に送り、右手が柄を掴む。一拍で抜き放つ。刀身が弧を描き、相手の腹を薙いだ。


 金属音。浅い。この男、腹の下に鎖帷子を巻いている。


「見くびってもらっては困る」


 男が刀に体重を乗せて押してくる。下から支えるように受けている刀が、徐々に力の逃げ場を失う。腕の筋肉が軋んだ。手首の骨が鳴りそうだ。力で負ける。


 意を決して自ら倒れ込み、足で刀の峰を蹴り上げた。足の甲に鉄の硬さが食い込む。痛い。だが男が仰け反った。その隙に——


「そこまでや」


 りょうの警棒が男の刀を弾いた。同時にアーノルドが背後から男の膝裏を蹴り、体勢を崩させる。


 男が地面に転がった。すぐに起き上がろうとするが、りょうが足で胸を踏みつけた。


「大人しくせぇや」


「戯言を!」


 男がもう片方の手でりょうに掴みかかった。りょうが避ける。男が起き上がる。走り出す。


 逃走。


「闡釐!」


 りょうが叫んだ。私は既に動いていた。


 男の背中を追う。速い。だが私の方が速い。木々の間を縫って距離を詰める。枝が頬を掠める。足元の草が滑る。


 あと三歩。二歩。


 男が振り返った。手に短剣を持っている。振り向きざまに突いてくる。体を捻って避ける。右腕を掠めた。肌が裂ける熱さ。浅いが、血が滲んだ。


 次の瞬間、私の刀が男の胸を貫いていた。


 心臓を一突き。肋骨の間を抜く感触が手に伝わった。骨に当たらず、筋繊維を裂いて心臓に達する。手の中で命が止まる振動。男の目が大きく開いた。口から血が溢れる。温かい血の匂いが鼻を刺した。鉄の匂い。この匂いを、体は覚えている。覚えていたくないのに、覚えている。


 刀を引き抜いた。男は動かなくなった。


                  §


 立ったまま、息を整える。


 呼吸が荒い。肺が熱い。走った分の息が上がっている。右腕の擦り傷から血が滲んで、袖を濡らしている。温かい。自分の血は温かいのに、殺した男の血は急速に冷えていく。地面に広がっていく血の赤が、土に吸われて黒くなる。


 柄を握ったままの右手に、まだ感触が残っていた。刀が肋骨の間を通った時の手応え。骨に当たらなかった代わりに、心臓の筋肉が刃を噛んだ感触。手の中で命が止まる振動は、一拍の遅延がある。突いた瞬間ではなく、引き抜く瞬間に来る。引き抜いた後の刀身が軽い。命の分だけ軽くなっている——気がする。気がするだけだ。刀の重さは変わらない。だが手が覚えている。


 国光が傷を塞ぎにかかっていた。


 腕の内側で、肉が盛り上がり始めた。裂けた皮膚の縁が互いに引き寄せられるように動く。触れてもいないのに、傷口が自分で閉じていく。表皮の下で、何かが編み直されている感触がある。痒みに似ているが、痒みとは違う。もっと深い場所で、もっと正確なことが起きている。自分の体なのに、自分がやっていない。


 その時——刀が光った。


 国光の刀身の周りで、光の粒が瞬いている。


 今までの光とは違った。


 今まではぼんやりと明滅する塊だった。蝋燭の残り火のような、輪郭のない光。減っているのは分かっても、いくつ残っているのかは数えられなかった。あの光は、ただ薄くなっていくだけの光だった。


 今は違う。


 一つ一つが独立して見える。粒が。一つ。二つ。三つ。四つ目が浮かぶ。五つ目。六つ目。


 数えられる。


 いつからだ。銀狼の時は分からなかった。りょうの光を見た時も、「星空のように多い」としか感じなかった。なのに今は、自分の刀の光が一粒ずつ見える。粒と粒の間に暗い隙間がある。隙間がある、ということは、有限だということだ。


 増えている。前に見た時より明らかに多い。まばらだった光が密度を取り戻している。


 血の匂いがまだ鼻に残っていた。鉄と土の混じった、殺した男の血の匂い。だが光には匂いがなかった。増えた光は何の匂いもしない。命を奪ったのに、その対価は無臭で、無音で、手に持てない。目に見えるだけ。見えるだけのものが、私を生かしている。


 なぜ増えたのか。


 何をした。何が変わった。


 銀狼を殺した後——変わらなかった。廃墟の魔物を倒した後——変わらなかった。あの時は気にもしなかった。賊を殺した翌朝に、何となく多かった。りょうの光は潤沢だった。りょうは——人を殺してきた。


 今、目の前で人を殺した。


 そして光が増えた。


 膝が笑った。


 力が抜けたのではない。膝の裏の筋肉が勝手に痙攣した。立っていられなくなったわけではない。体が何かを知っている。頭がそれを言葉にすることを拒んでいる。


 ——知っていた。薄々気づいていた。目を背けてきた。考えないようにしてきた。


右腕の傷が閉じた。塞がった瞬間、光が一つ消えた。粒が一つ、ふっと暗くなって、消えた。修復のたびに一つ消費される。数えられるようになったからこそ、それが見えた。


増えた六つから一つ引かれて、差し引き五つ。


帳簿のようだった。入りと出がある。何が入って、何が出ているのか。


言葉にしなかった。言葉にしたら確定する。確定したら、次に人を殺す時——あるいは次に傷つく時——この帳簿を開くことになる。


国光を鞘に戻した。手が震えていた。柄から手を離す時に、指が張り付いて離れなかった。一本ずつ剥がした。親指。人差し指。中指。薬指。小指。五本の指を柄から引き離すのに、五つ分の決心がいった。


「闡釐!大丈夫か?」


夢魘が降りてきた。肩に止まる。爪が食い込む。心配している。


「大丈夫よ」


嘘だ。大丈夫ではない。でも、今は嘘をつく。


「追いかけて殺しちまったのか」


「逃がすわけにはいかなかったでしょう。また人を殺す」


「……そうだな」


夢魘は何か言いたそうにしたが、黙った。私の声の奥にある何かを、聞き取ったのかもしれない。


§


 りょうとアーノルドが追いついてきた。


「やったか。まあ、逃がすよりマシや」


 りょうが死体を一瞥した。だが首を振った。


「格がないわ。雑に殺してきた奴は、雑に死ぬ」


 りょうが死体に手を合わせた。嫌いな相手でも手を合わせるのだろう。一拍。目を閉じた。開いた。それだけ。だがその一拍の間に、この男の中で何かが記録されている。


 夢魘が死体を見下ろしていた。肩の上から、片目で。


「こいつ、七人殺したんだろ」


「ああ。三つの村で七人」


「覚えてたのかな。一人目の顔を」


 りょうが顔を上げた。夢魘を見た。


「覚えてたと思うか?」


「分からん。分からんけど——覚えてなかったら、殺されたやつは二回死んだことになるな」


 りょうの目が変わった。不細工な顔の奥で、何かが動いた。


「……おもろいこと言うやん、カラスのくせに」


「くせにはよけいだ」


 りょうが立ち上がった。腰の刀に手を添えた。何気ない仕草だったが、刀に触れた瞬間に指の形が変わった。死体に触れていた時の指とは違う。柄を握るのではなく、確かめるように撫でている。自分の刀が無事だと確認する手つき。


 鞘を少し引いた。刀身の根元が見えた。鋼が夕暮れの光を受けて鈍く光っている。


 だが——鋼の光とは別のものが見えた。刀身の周囲に、微かな明滅。見覚えのある光。


 国光と同じ光だ。


 りょうが鞘を戻した。見せるつもりはなかったのだろう。自分の刀を確かめただけだ。だが私の目はそれを拾っていた。


「……綺麗ね」


 口から出ていた。言うつもりはなかった。


 りょうがこちらを見た。何に対する言葉か、一拍で理解した顔だった。


「……見えたか」


「少しだけ」


 りょうが少し黙った。それから空を見上げた。夕焼けが顔を照らしている。


「りょう君が斬った奴は、全員りょう君の中で生きとる。名前も、顔も、最後の一息も。全部預かっとるんや。それが刀に残る」


 預かっている。あの光を、「預かる」と言った。


 奪った、ではなく。消費している、でもなく。預かっている。


 りょうの刀には星空のような光がある。私の刀には六つ。その差が何を意味するのか——考えかけて、やめた。今は考えない。


 私は笑い返した。笑い返しながら、手を後ろに組んだ。指がまだ震えていたから。


 アーノルドが死体の身元を調べている。懐から紙が出てきた。


「賞金首だ。三つの村で計七人殺している。賞金がかかっている」


 アーノルドがさらに懐を探った。もう一枚、紙が出てきた。手配書とは違う紙だった。折り畳まれた薄い紙。開くと、曲線的な記号がびっしりと並んでいた。


 私には読めなかった。この土地の文字ではない。見たことのない字体だ。流れるような曲線が規則的に並んでいるが、意味が取れない。


「何これ?」


「さあな。読めへんわ」


 アーノルドが紙を受け取って、目を細めた。しばらく見つめてから、短く言った。


「傭兵をやっていると、似たような紙を見ることがある。外から来た連中の文書と同じ字体だ」


「外から来た連中?」


「どこの土地にも一定数いる。出自が分からない連中が、この手の文書を持ち歩いている。読める者に会ったことはない」


 アーノルドは紙を折り畳んで、懐に入れた。


「気にはなるが、今はこっちの処理が先だ」


 それ以上は誰も触れなかった。私も深くは聞かなかった。だがこの紙の曲線と、孤児院の柱の裏に半分隠れていた線の並びが似ていた。二枚目の紙。一枚目は孤児院の壁にある。まだ値はつかない。だが同じ場所に並んでいる。


「この死体の処理は?」


「燃やすで。魔物になったら厄介や。アーノルドくん、頼む」


 アーノルドが火薬を取り出した。手慣れた動作だ。


 りょうが私の方を向いた。


「それより、隣町で会合があるの知っとるか? アリーヤ・カーンの討伐やて」


「……まだ聞いていないわ」


「ほな、そのうち聞くやろ。りょう君はそっちにも顔を出すつもりや。会合で会えるかもしれんな」


 りょうが笑った。不細工な顔が、夕焼けに照らされて妙に綺麗に見えた。前にも同じことを思った。


                  §


 孤児院に戻ると、鴆護が門の前に立っていた。手袋をはめ直している。何かの作業を中断して出てきたのだろう。


「殺人鬼は?」


「始末したわ。外から来た賞金首だった」


「そうか。……ありがとな。村の人間が安心する」


 鴆護が少し間を置いた。腕を組んだ。夕日が門を照らしている。


「闡釐。明日、隣町に行くのか?」


「隣町?」


「吉行の計画の中心地だ。商品を卸す先もあるだろう。それと——」


 鴆護が声を落とした。


「泉という女がいる。吉行の妻だ。あいつがアリーヤ討伐の会合を開くと言ってきた。俺はクミをここに置いて離れるわけにいかないから断ったが、腕の立つ人間を紹介すると言ってある」


「それが私?」


「お前しか思い浮かばなかったんだよ」


 鴆護が少しだけ笑った。笑うと顔が変わる。子供たちの前の顔に近くなる。


「報酬は泉が出す。悪い話じゃないはずだ。ただ……気をつけろ」


「何に?」


「泉は頭の切れる女だ。味方に見えても、全てが本心とは限らない」


「人の本心を読むのは得意よ」


「そうだったな」


 鴆護が背を向けた。手袋をはめた手が門柱を掴んだ。素手の時とは違う、硬い握り方。鎧を戻した手だ。


「……あいつの笑顔には気をつけろ。俺でも読めない」


 笑顔には気をつけろ。俺でも読めない。


 昨日のクミの笑顔が、一瞬だけ浮かんだ。あれも読めなかった。読めない笑顔の持ち主が、この辺りには多い。


                  §


 宿の部屋。横になった。


 天井を見つめていた。


 光の粒が、まだ目の裏にちらついている。六つ増えて、一つ減った。


 もう一度数えようとして、やめた。数えたら確定する。確定したら、考えないふりが出来なくなる。


「闡釐」


「……何?」


「今日、お前が殺人鬼を殺した後、変だったぞ」


「変?」


「刀を見つめてた。長いこと。ぼーっと」


「……気のせいよ」


「嘘つくな。お前が嘘つく時は声が平坦になる。抑揚がなくなる。今のがそれだ」


 夢魘は賢い。声の変化を聞き取る。嘘を見抜く。この一羽が隣にいる限り、私は嘘をつき通せない。


「それだけじゃねぇ。さっきから呼吸が浅い。お前は普段、深く吸って長く吐く。今は短く吸って短く吐いてる。手が震えてる時の呼吸だ」


「……いつから分かってたの」


「最初からだ。お前は嘘が下手なんだよ。嘘をつこうとすると、声から感情を全部抜く。感情を出したら嘘がバレると思ってるんだろうが、逆だ。感情がなくなった方がバレる」


「話したくないなら聞かねぇ。でも——隠すなら、もう少しうまく隠せ。お前の嘘は薄すぎて、向こう側が透けて見える」


「……ありがとう」


「何に対する礼だよ」


「聞かないでくれたことに対して」


 夢魘は何も言わなかった。片目を閉じて、もう片方の目で窓の外の星を見ていた。


「……いつか話すわ」


「おう。急がねぇよ。お前が自分の言葉を見つけるまで、俺はここにいる」


 夢魘が片目を閉じた。もう片方の目がこちらを見ている。追及しない。でも忘れない。このカラスはそういう生き物だ。


 明日は隣町に向かう。泉という女に会い、アリーヤ討伐の話を聞く。報酬を得る。それだけの仕事だ。


 そのはずだ。


 目を閉じた。瞼の裏に光の粒が明滅している。あの六つの光。何の匂いもしない光。何の音もしない光。目に見えるだけの、静かな光。あれが私を生かしている。


 ——それでも私は、明日も殺さずにいられるだろうか。


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