漆爍の喪相と封禁の魔導書 其の一
漆爍の喪相と封禁の魔導書
――王国歴1499年 九月 ラミッツ リアンシュア砂漠
霧が濃く出るラミッツのリアンシュア砂漠を、三人の男達が歩いていく。
三人は立ち止まりランタンに火を灯そうとするが、夜のリアンシュア砂漠は湿気が多い為、安物のランタンでは上手く着火できない。諦めて、再びさらさらとした砂の上を歩いていく。日毎に地形が変化する砂漠を、霧がかかった月光を頼りに歩くのは困難を極めたが、なんとかして海の見える断崖絶壁へと到着した。
切り立った崖の淵に立ち、一人の男が何やら呪文のようなものを唱えると、崖の淵から下り階段が断崖に沿う形で姿を現した。三人はその階段を下っていく。
ちょうど崖の中腹までやってくると、人一人がやっと通れるほどの横穴があり、中からは微かに明かりが漏れ出している。三人の男の一人が、肩にかけている鞄を開き、中身を確認すると、明かりのついた横穴に入っていった。
霧の中に薄らと見える満月は、海面に反射し、さざなみの音だけが辺りに響いていた。
――王国歴1499年 十月 ルストリア アリーシャ城
「ミハイルっ! 入るぞっ!」
勢いよく、扉が開かれる。満面の笑みで俺の部屋に入ってきたのは、友人のディーだ。
「おう、おはよう」
ディーに朝の挨拶をし、部屋に設置されている柱時計に目をやると、時刻は八時を回ろうとしているところだった。最近、任務続きだったこともあって時間の感覚がおかしくなってきている気がする、規則正しい生活を心がけないとな。
「おはよう! ってそれどころじゃないだろ、支度は出来たかっ?」
ディーは、そういう俺の体調を気にして起こしにきてくれたわけだ。俺もそういう気遣いが出来る様になりたいもんだ。
「ちょうど今終わったところだ。先に行っててもよかったのに」
折角の気遣いに、こんな答えを自然と出してしまう俺に『気遣いへの道』は、まだまだ遠く険しいもののようだ。
「何言ってんだよ! 今日は二人で来るように言われたんだぜ? それもベガ大将にだ!」
「ディー、呼び出しは吉報とは限らないぞ?」
「いいや、賭けてもいい、今日は昇格に関する話だ」
ディーは自信満々に答えた。ともあれ、迫る時間は明白なので、私室を出て、ベガ大将の元へと向かう。
アリーシャ城二階の居住区を出ると、階段を使い四階の作戦室へとたどり着いた。かなり足早に向かったにも関わらず、二十分以上かかってしまい、ディーの迎えが来なければ危なかったかもしれない。
作戦室は複数あり、階段を上がって正面の扉が最も使われる機会が多く、かつ緊急性が高い事案に対して使われる。今日呼び出されたのは、この部屋から二つ右の作戦室。この部屋は一度も入室したことがない。呼び出された時間の一分前で扉の前に到着した為、どうやら心の準備などをする余裕は無さそうだ。ディーは間髪入れず、扉をノックした。
「魔導部隊グランツアッフェ所属ディーです。パンテーラ所属ミハイルをお連れしました」
短い沈黙のあと、「入れ」と一言、扉の中から聞こえた。
「失礼します」
入室すると、思いの外小さな部屋に艶々とした岩を加工した机が中央に置かれており、その向こう側には、守雷帝ベガが椅子に座っていた。入室した後、机に少し近づき敬礼の姿勢をとる。
「朝からすまないな、ミハイル、ディー。楽にしていい」
ベガは、穏やかな口調で少しだけ微笑んだ。ディーと共に敬礼の姿勢を崩す。それでも、楽な姿勢とは言えないが。
「先日のスルト残党兵掃討作戦、二人とも頑張ったようだな。バルバロッソから報告を受けたよ」
ベガ大将からの賞賛の声に、ディーはもちろんのこと、二人で自ずと『昇進』への期待を高めた。俺は今の立場を悪いと思っていないが、佐官を貰えれば、その分多くの人を救ける力を手に出来る。それは、俺の生きる意味にとっては、とても重要なことだ。次の言葉を発するベガ大将の口が、とてもゆっくりに見えるほど、刮目して言葉を待った。
「そんな二人に、是非引き受けて欲しいことがあるんだが、聞いてくれるか?」
二人は『はっ!』と声を合わせて、再び敬礼の姿勢を自然ととっていた。いよいよ、ベガ大将の口から、決定的な一言が出る。出るのか? 出るはず!
「ラミッツの古代書庫から、魔導書が盗み出された、君たちにはこれを捜索し、確保してきて欲しい」
「……え?」
恐らく、ディーも同じことを思っただろう。だから、俺は言ったんだ、吉報とは限らないと。
――王国歴1499年 同日 ルストリア 城下町西部
「くーっ! あの流れで指令とは、想像もしてなかった」
現在、ディーと俺、加えてステラも一緒に、少し遅い朝食を摂っていた。
「あの……なんかすみません」
徹夜明けで、目の下に隈を作っているステラは、突如として謝罪を繰り出した。
「いやいや、ステラの責任でもベガ大将の責任でも何でもないから。ディーが勝手に舞い上がって、勝手に落ち込んでるだけだから、気にするな」
慌てて俺はフォローを入れたが、ステラはそれに対してニコニコするだけなので、どうやら癖で謝罪しただけの様子だった。
ステラは、魔導部隊グランツアッフェに所属しており、ディーとは同部隊である。グランツアッフェは、戦場において後衛、サポートであるものの、当然戦場における安全地帯などは、部隊内には存在せず、前衛よりも危険性がやや低いとは言え、当たり前に命を落とすこともある。当然のように後衛だけを狙ってくる敵部隊と対峙することもある。
更に言うと、ステラは「治癒魔法」の使い手である為、救う方法を持つ分、救助が叶わず死んでしまう兵を多く見つめる立場にある、その心労は計り知れない。
ベガ大将からの指令を受けたあと、今回の詳しい任務に関しては、ステラから説明を受けるようにと言われた。ステラはベガ大将の付き人の様なポジションに居る。昔からステラがひっついていたのが原因で、ベガ大将もなんだかんだ気に入って、右腕として使っている。
俺たちは、貸し切りになっている小さな食堂で朝食を摂りつつ、任務の詳細を聞かされた。
「禁書ねぇ。そもそも、盗まれてから一週間も経ってたら、こりゃ相当に骨だな」
ディーは、ハムサンドに齧り付きながらステラに言う。俺も気になることがあり、ステラに尋ねる。
「ラミッツ軍は、捜索隊を出してないのか?」
ステラは、複数の果実を絞って作られたミックスジュースを飲み干すと、また申し訳なさそうに説明をした。
「ラミッツ軍は、既に捜索隊を出してるみたいです。しかし、どうやら闇市場に既に流れてしまったようで、捜索は難航してるみたいですね……」
「なるほどなぁ……」
ディーは、妙に納得した様子だったが、俺にはいまいち的を得ない回答だった。闇市場に流れたのであれば、そこを捜索すれば良いのでは? 不思議に思っている俺の様子に気がついたディーが、すぐに説明をしてくれた。
「ラミッツは商売国家ってことは知ってるよな? そんな中でも、マジックトラブル99、武器商会などの大富豪は、国内において絶大な力を持ってる。その力は、政治や軍事にまで関わるほどに。まぁ、ここまで話せばもう察しはついてるかも知れないが、マジトラは別として、その他の商人達がこの闇市場を開いてるんだ」
「だから、捜索が出来ないと? 国家の重要な禁書が流出したのに?」
俺は驚きを隠せなかった。以前より、ラミッツに蔓延る闇については、なんとなく耳にしていたが、ここまでとは。
「そ。そういう国なのよ、ラミッツは」
あっけらかんと話すディーは、そのラミッツに詳しいという理由から、今回の任務が与えられた。詳しいはずだ、ディーはラミッツ出身なのだから。
「と、ということで、確かに任務の説明をしました。私は、城に戻り先日の掃討作戦の報告書をまとめないといけないので、戻らせていただきますね」
いつのまにか朝食を取り終えたステラが、そそくさと席を立った。
「お代は既にベガさんが支払ってくれてあります、御武運を!」と颯爽と店をあとにした五分後に、椅子に置き忘れた財布を取りに戻ってきた。少し恥ずかしかったのか、再度「お代は既にベガさんが支払ってくれてあります、御武運を!」と、まるで初めて言ったかのように振る舞うので、俺達は思わず笑ってしまった。
「しかしまぁ、ステラはよく働くな。治癒魔法を扱う人間が、一番治癒を必要としてる気がするんだが」
ディーはそう言うとハムサンドの残りを口に運んだ。そして、二人で冷めたコーヒーを飲み干すと、店を後にした。
――王国歴1499年 十月 ラミッツ リアンシュア砂漠
ディーの案内のもと、俺はラミッツのリアンシュア砂漠へと訪れていた。というのも、ラミッツへの国境要塞に着くと、パルペン大尉が出迎えてくれて、一枚の手紙を手渡された。差出人は、ラミッツの大商人リンク・リンク氏からであった。リンク・リンク氏は、マジックトラブル99という商会の会長であり、先の大戦で偶然にも知り合いになり、以降も交流をもっていた。
「やあ、ディー、ミハイル、調子はどうだい? 今日は直接出迎えることが出来ずにすまない。気がついているかも知れないが、今回ルストリアの守雷帝さんに情報をタレこんだのは私なんだ。この盗難事件は、国を挙げて捜索をするべきなのは重々承知で、国王も尽力している。だが、ラミッツは商売国家であるが故に、こと金が絡むとスムーズにいかないことが多い。闇市場は複数あって、複数の商会が経営をしている。簡単に言えば、一つの闇市場を摘発してしまうと、そこに贔屓が生まれてしまう。国家が、どこかの商会に肩入れしていると誤解されれば、国内で暴動が起きるのは間違いないだろう。そこで、私の信頼する二人に、マジックトラブル99からの使いとして闇市場を調査してもらい、国内、もしくは大陸内の何処かにある三冊の魔導書を確保してもらいたいんだ。闇市場の中では皆、仮面をつけているから君達の身分がバレることはないと思う。それなりの仮面と服装は用意してあるから、それに着替えて向かってくれ。場所は……」
と、長文が認められた手紙は、不思議なことに読み進めると次から次に文字が消えていき、最後はまっさらな羊皮紙に戻ってしまった。どうやら、マジックトラブル99のマジックアイテムであったようだ。
「しかし、夜の砂漠は冷えるな」
ディーに声をかけると、しかめた顔で返事をした。
「なあ、もう一回コイントスをしないか?」
やや不機嫌ともとれるディーは、えんじ色のマントに、同色ストライプのかぼちゃパンツとタイツという、商人としては上級の服装に身を包んでいた。
「ご主人様、とても似合ってございますよ」
リンク氏の用意してくれた衣服は二種類あり、一つは今ディーが着ている商人の服。そして、もう一つは俺が着ている商人の従者の服だ。従者の服は、様々な雑用に対応するため、簡素で動きやすい作りになっている。ゆったりとした衣服なので、ズボンの裾をブーツにしまう必要があるが、その点を除けば深い茶色の落ち着いた色合いも、とても気に入った。この服を見た時に、二人でこぞって従者の服を求めたが、収拾がつかなくなりそうだったため、持っていた小銭でコイントスをし、決着をつけたわけだ。
道中、ディーは繰り返し衣服の交換を願っていたが、その願いを俺が聞き届けることはなかった。
「さて、到着だな」
リアンシュア砂漠を西へ西へと進み、海の見える場所まで移動するとそこは断崖絶壁であった。リンク・リンク氏の手紙によると、ここで合言葉を唱えると、崖に沿って道が現れるという。ディーは、崖の下を覗き込みながら合言葉を唱える。
「災禍など恐れない 蜥蜴は既に立ち去った 我らは取り戻す為にのみ行う 彼らは奪う為に立ちはたがる ルース マカラ コアント ディント」
…………
辺りに沈黙が広がる。
「何も起きないな……」
合言葉を間違えたのか、不安になってきたところで、ディーは崖の下を指差した。その方向を見ると、なんと階段が出現している。
魔法、であることは間違いないのだが、一体どんな仕組みで出現したのかが気になった。というのも、この闇市場に訪れる人間が魔力を扱えるとは限らない、その為、この合言葉によって反応するマジックアイテムなどを想像したが、そもそも言葉に反応するマジックアイテムなど聞いたこともない。
可能性としては、付近に闇市場の関係者が潜んでいて、合言葉を確認し、何らかの形で魔力を注ぎ込んでいるのかも知れないとは思ったが、俺やディーの目を盗んで魔法を扱う者がいるとすれば、それは相当の手練れだ。
ディーも、同じような想像をしたらしく、共に会話をすることを避けて、階段を下っていった。リンク・リンク氏の使いで来たことが嘘であるとバレてしまえば、ラミッツの商会を巻き込んだ闘争になりかねない。慎重に行こう。
ディーを先頭に、崖に沿って現れた下り階段をゆっくりと下っていく。目の前に広がる大海が、空の星々を反射しキラキラと輝く。ルストリアにいると、海を見ることはないため、少し見惚れていると、前のディーが突然止まるので、慌てて俺も止まった。
どうやら、下り階段の終着点に着いたようだ。階段の下は、少しだけ余裕のある踊り場になっており、壁には不釣り合いな美しい扉がある。俺たちが扉の前に行くと、その扉はすーっと消えていき、中から白いローブの男が出てきた。
「リンクさんとこの使いだな。新しい顔のようだが、ここでの規則は知っているな?」
白いローブの男は、顔が見えない為、表情こそわからないが、声色から威圧的な態度を放っていることはわかった。
「当然心得てます。武装禁止、魔法禁止、商人同士の交流禁止ですね」
ディーがそれに答えると、白いローブの男は頷き洞穴の奥へと進んでいった。洞穴の壁には光る石が埋め込まれており、明るくはないが歩く為には十分な灯りとなっていた。それほど長くない通路を進んでいくと、大きな広間に出た。広間には商人が十名ほど居て競売に参加していた。
白いローブの男達は、壁際に七名ほど等間隔に立ってそれを見守っていた。先程入口で出迎えた男も壁際に戻り、整列したので合計で八名か。
「さあ! 次の商品はこちらだ! 瞬間的に魔力を増幅させるイヤリング! 副作用が激しかった為、発売が禁止されてしまい、今では入手困難になってしまった代物だ!」
競売から、聞き逃せない商品の紹介が始まった。そんなものが、世間に出回ったら使った者も、魔法の暴発に巻き込まれた者もタダでは済まない。
「ディーン様、あのイヤリングは、是非購入したほうがよろしいかと……!」
ディー改め、ディーン様に購入を促したが、ご主人様は、イヤリングを見つめて「いらない」という手振りをして、俺に小さな声で耳打ちした。
「ミーハ、あれは偽物だ。ただの銅の輪だ」
なるほど、ディーの観察眼はこの本の捜索任務には適任であるということか。考えてみれば、ディーは商人の子供であり、幼い頃から商売を行なってきたわけだから、これほど相性の良い任務もない。
「聞き捨て……ならないな……」
突然、背後から聞こえたその声に俺とディーは飛び退いた。俺たちの後ろに居たのは、くたくたの白いローブを着た老人だった。
「聞き捨てならないな、若いの。うちの商品が偽物だって?」
慌てて、ディーが切り返す。
「いやいや、そんなこと言ってませんって! 聞き間違いじゃないんですか?」
それもそうだ、先程は相当に小さな声で耳打ちをしている。至近距離にいない限りは聞こえるわけもない。
「いやいや、お前さんは言ったよ。ただの銅の輪だと」
老人は、銅の輪という単語まで聞き取っている。どうやら、本当に聞こえていたらしい。でも一体どこで?
「なんなら、連れの心臓の音がそれを証明しているような気がするんだが、どうかな?」
なんなんだ、この老人は。見つめられて、たじろいてしまった俺を尻目に、ディーは落ち着いた様子で老人に話しかける。
「ご老人、こちらは商売で来ている。仮に、俺がそいつを偽物だと思っていようが、他の客にそれを言ったわけじゃない。あんたの迷惑になっていない。精巧に出来た偽物が売りに出されることもあるだろ、だが、それよりも精巧な目をもった人間が現れるかもしれない。そんなことよりも、俺は商売でここに来ている、こんな言い合いに値がつくのか? 値がつくならもう少し続けても良いが」
俺は、心底ディーを尊敬した。というより、商売人でも大成したに違いないだろう。老人は怒りに震えている、のかと思ったがどうやらそうではなかったようで、ローブから顔を出すとその表情は満足そうにも見えた。
「なかなか面白い男だ。リンクは、良い商人を育てている。俺はここを仕切ってるナザールだ」
ディーはそれを受けて、自己紹介をしようとしたが、ナザールに制止された。
「聞こえていたよ。ディーンくんと、ミーハくんだね、リンクのところからの使いだという話も聞こえた」
そうなってくると、入り口の時点で近くに居たのだろうか。いや、そうではない、これは何らかの魔法か? それも可能性としては低い。魔力を感じたのは、ここに来る際の階段と扉からだけだ。そんな疑問をナザールは自ら説明してくれた。
「私はな、特別に耳が良いんだ。生まれつき。ディーンさんが上で言った合言葉を私が聞き、それを入口の係に伝えて階段を出したんだからな。ディーンさんは、特別目が良いみたいだが、私の場合は耳ということだ」
なるほど、道理でナザールから魔力を感じないわけだ。だが、階段で降った距離は二十メートルはあった、そんな距離で声が聞こえるなら、それはもう魔法なんじゃないだろうか。ディーは、動じた様子もなくナザールに訪ねる。
「階段は、どうやって出してるんです?」
「ああ、それはマジックアイテムで階段を隠しているだけさ。巧妙だっただろう? 私の指示でその効果を解除する、そうすると階段が現れる、客人を入れた後に再びマジックアイテムに魔力を込めれば階段は見えなくなる」
「なるほど、俺たちも安心して買い物が楽しめるというわけか」
ここに来るまでの謎が一通り解けたところで、ディーは本題に入る。
「ところでナザールさん、こちらに魔導書が流れてきていないか?」
ナザールの顔色が変わる。それもそうだろう、現在形だけだとしても国を挙げて捜索している魔導書だ、警戒もしているはずだ。ディーは続ける。
「ご存知の通り、主であるリンク・リンク氏は、マジックアイテム制作の謂わばプロだ。様々なものを参考にマジックアイテムを制作していくが、そんな中でも古い魔導書は出回っていない分、価値が高い。古代書庫から飛び出した魔導書となれば、喉から手が出るほど欲しいのだ」
ナザールは、まだ警戒しているようだったが、「ついてきなさい」と小さく呟くと奥の部屋へと案内された。
奥の部屋は、競売を行うステージの真裏にある小さな扉の中にあった。小さな扉を屈んで入ると、中は様々な商品が陳列されており、どうやらここは一段階上の売場のようだった。中に入るなり、白いローブの男三人がこちらを警戒するのがわかった。競売場の白ローブとは違い、三人のうち二人が帯剣している。ナザールは、こちらに向き直ると帯剣していない白ローブの男に向かって命令をした。
「おい、例の本を持ってこい」
白ローブの男は、微動だにしない。
「おい! グースト! 例の本を持ってこい!」
ビクッ!と、グーストと呼ばれた白ローブの男は、非常にゆっくりとした動きで陳列された商品の中から三冊の本を手に取り机の上に並べた。横からチラリと見えたグーストの顔は、ナザールよりもよっぽど老けた男の顔であった。ナザールは「言われたらすぐ動け」と、グーストの足を蹴った。グーストは、それに特に反応することなく元の場所に戻った。
「すまないね、この爺さんはマジックアイテムに魔力を込めるための要員として雇っているんだが、去年くらいからボケちまってな。時々仕事をさせないと寝入っちまうから、たまにこうやって刺激を与えてるんだ」
そう説明するナザールに対して、特に反応しないグーストを見て、もしかすると今まさに寝入るところなのではないかと思ったが、それよりも気になったのは机に置かれた三冊のほうだ。ディーと俺は、机に近づこうとしたがナザールによって止められた。
「ここからは商売だ。一冊十万ルッカで売るよ。これ以上先に進む権利も合わせてね」
「そんな! この距離じゃその本が本物かどうかすらわからない!」
思わず声を荒げてしまった。なにせ机まで十メートルはある。この状態で、俺たちが探している魔導書を当てることは出来ない。魔導書は、魔力を込めることにより何らかの反応を見せるものが大半であるため、真贋を確かめるためには直接手に取る必要がある。魔導書の反応は様々であるが、基本的には注いだ魔力に比例して反応も激しくなっていく。新たな魔導書を買う際には、僅かな魔力で実際にそれが起動するかを確認するのが一般的だ。しかし、横にいるディーは慌てる様子もなく、その本が置かれた机を指差し言った。
「よし、購入しよう」
「ディー! ……ン様! あの本が本物だという証拠がありません!」
思わずディーと呼んでしまいそうになったが、ギリギリで踏みとどまった。それにしても、ディーはどうゆうつもりだろうか。まさか、既に判別できているというのか。
「ディーン様はお目が高い。さて、どれにしますか? 何冊買いますか?」
ナザールは、ニコニコと微笑みながらディーに詰め寄る。ディーも同様にニコニコと微笑みながら、再び机を指差し言った。
「その机の上の三冊には用はないが、その机の引き出しの中に入っている本は必要だ。出してもらおう」
俺は、ディーが何を言っているのかわからなかったが、ナザールは理解していたようで真顔になって言った。
「これは、これは、お目が高いことで。グーストっ! グーストっ!」
そう言って、再びグーストを呼びつけると机の引き出しの中から、手のひらサイズの黄色い小さな魔導書を取り出し、こちらに持ってきた。そして、ナザールの横でこちらに向けてその魔導書の表紙を見せたまま停止した。
「ディーンさん、試すような真似をして申し訳なかった。この商品を追う役人共が多くてね、本当の商人にしか売らないように、こうやってテストをさせてもらったのだ。さぁ受け取ってくれ」
ディーが見抜いたことが、なんなのかよくわからないまま商品の引き渡しが始まったので、俺は慌てて肩に掛けている鞄から十万ルッカを数えて渡した。ナザールは、それを受け取ると丁寧に数えた。そして、ディーに質問をした。
「しかし、どうやって見抜いたのか教えてくれないか? 目が良いだけじゃ分かるはずもない。まさか透視でも出来るのか?」
ディーは、ハハハ、と短く笑うとナザールの目を見て言った。
「あなたですよ、俺が最初から見ていたのは。きっとあなたは生粋の商人じゃないでしょ? 目線が素直すぎますよ」
ナザールは、これは参った、といったことを言いながらグーストに命令し、従者である俺の元へ届けさせた。グーストが俺の手のひらに魔導書をのせたその瞬間、魔導書が強烈に発光し、その中から無数の幻影が飛び出してきた。
「車輪運動? そんなものに関わってはいけない!」
「娘と孫を返してくれ! 金は払う!」
「マグナ、マグナ、絶対に取り返す」
「何故、国はマグナを追い詰めないのだ」
「ああ、なんて姿に。これは、助か……ら……ない」
「本当に、儂の孫なのか。この肉塊が……」
「憎い……憎い……」
「マクレガー、貴様が車輪運動を行ってる幹部だな」
「憎い……憎い……」
……今のは、グーストの記憶か?
「驚いた! 今のはお前の記憶か? グースト」
ナザールは、グーストに声をかけたが反応はない。
「また、呆けちまった。まあ、いい。心拍数も正常だ。端っこで休んでろ」
ディーも俺も、声にならなかった。他人事では無かった。正気を取り戻し声を出したのはディーだった。俺は情けなくも固まったままだ。
「他の魔導書は、どちらにありますか?」
その質問にナザールは、既に売却済みであり、客の情報は渡せないが、あんたは気に入ったから、ということで、簡単な情報だけ答えてくれた。
その情報によると、一人はルストリアに、一人はミクマリノに向かったということだった。また、ミクマリノに向かった男の頬には蜥蜴の刺青が入っており、その特徴からミクマリノの異民族ルナ・ザホビットであることがわかった。ディーはその情報を半信半疑で捉えており、この場で残り、もう少し調査を行うということになった。
俺は、一つ目の魔導書「祈りの書」を手に、一度ルストリアに戻ることにした。ディーは、何やら俺と話したい様子だったが、この場で話す内容はナザールに筒抜けになってしまう為、会話を避けハンドサインで今後の行動を示唆した。
ディーが話したかったことの内容は見当がついている。
「両親のことは気にするな」
だろうな。
――王国歴1499年 十月 ラミッツ城下町 東部
盗まれた禁書のうちの一つ、『祈りの書』が手に入り、幸先の良い出だしにはなった。ディーの言うところの「気にするな」という内容に関しては、正直なところそこまで気になっていない。いや、こんなことを考えてるのだから気になってはいるのか。
祈りの書は、願いを叶える魔導書だという話であったが、どうやらそれは解釈が違ったようだ。持ち主の「二度と戻らない過去の記憶を見せる」という効果の魔導書だった。グーストが、普段魔力を込める仕事をしている関係で、俺に渡す際に誤って魔力を込めてしまったらしい。それにしたって、その見せられた過去が俺に関する内容だとは驚くべき偶然だが……。
いや、マグナ・ディメントのやったことは大陸全土に傷跡を残している。偶然被害者に会うことなど、珍しいことでもない。俺が、そんな人達に何か出来ることがあるとすれば、調停者として大陸を守ること以外にない……。
ディーと別れたあと、砂漠を出て待たせていた馬車に乗ると、状況の共有の為にラミッツ城下町の東部バザーに来ていた。リンク・リンク氏が手配してくれた酒場で、事の顛末を詳細に話すと、リンク・リンク氏はディーの商人としての才覚に関心していた。
現に、三冊の何でもない本を売りつけようとしてきた商人を、さらっと返り討ちにした。商人同士のコミュニケーションは、全く厄介だ。ディーが同行してくれていて本当によかった。
リンク・リンク氏と別れたあと、辺りは既に夜であったが、そのままルストリアに向かうことにした。連れだった者がいれば、一泊する判断もあったが、今は一人だ。俺の魔法の特性から、日中だろうが夜中だろうが一人であれば逃げることも戦うことも大した苦労にはならない。リンク・リンク氏が手配してくれた馬を取りにバザーを出たところで、強烈な違和感を覚えた。
これは殺気だ……。
「ジェニー、マクレガー、ジェニー、マクレガー、ミハイル、ミハイル」
そう言って、白いローブの男が建物の影から現れた。はっきりとした言葉を、澱みなく発し、曲がっていた背骨はしっかりと伸びている。
その様子から、一度は別人かと思ったが、その男は間違いなくグーストであった。
「ミハイル、車輪運動の傑作、ミハイルよ」
グーストは、目を見開いて小さな杖を構えた。腰に差したロングソードに手をかけたが、抜くことを躊躇ってしまった。
「アルカルンド 走馬 マガス 亡骸 ドルム 縫い目 ガイラ 手紙」
魔法の詠唱を始めたグーストを妨害しようと、接近しようとしたが、俺はこれも躊躇してしまった。
これは、魔導戦の基本だが、詠唱を開始したにも関わらず、魔法陣が出現しない、あるいは発光したり、発動が見えない場合は、かなり特殊な魔法を発動している可能性が高い。そこに飛び込むリスクは非常に高くなる。通常は、初級魔法など発動が早いもので妨害するか、暗器や弓などで遠方から妨害するのが正しい対処法であったが、俺は躊躇に躊躇を重ね、完全に機会を見失ってしまった。とりあえずの判断になってしまうが、後方に飛び退いて距離をとるくらいしかない。
「永久凍土の彼方 古の弓 常世の森ザルガフラン 顕現 ベロス・パゴ!」
グーストの体の周りに次々に氷の矢が錬成されていく。錬成されていく矢をグーストは、妖しく光る手で優しく撫でた。
これは、氷を扱う魔法の中でも初歩的なものだ。しかし、詠唱の前半の内容が違うことから、これはただの矢では無い可能性が高い。妖しく光る手も、通常の魔法ではああはならない。後手に回ってしまった以上、これらを全て捌いたあとに、グーストを捕縛するしかない。そう決意したのも束の間、すぐさま氷の矢は放たれた。
「三、四……八、九本か」
決して目を離さずに、矢を躱した。しかし、躱したはずの矢は消えずに旋回し、グーストの付近に一度戻り、再び矢がこちらを目掛けて飛んできた。
「追尾の魔法を多重にかけているのか! なら!」
俺は咄嗟に抜剣すると、矢を斬り捨てた。
……!!
「なんだとっ!」
確かに矢を斬った。だが、砕けた矢の中から、矢が飛び出した。当然、振り切ってしまったロングソードを切り上げ直すことも間に合わない。矢は、俺の心臓を目掛けている。
――パンっ!!
「忌々しい。マグナの申し子。魔法はお手のものというわけか」
グーストは、嫌悪感を包み隠さずに、俺への侮蔑を表現した。
「はぁ……はぁ、危なかった」
咄嗟に魔力を急所に集めて、なんとか防いだが、高火力の魔法なら死んでいた……。
底が知れない魔導士だ、もう出し惜しみしている場合じゃなさそうだな。胸に意識を集中し、詠唱を始める。
「諸事万端 絆す楔は日月――」
その様子を見たグーストは、建物の裏に止めてあった馬目掛けて走り出し、逃亡を謀った。あくまで闇討ち、不意打ちを狙うつもりか。俺は咄嗟に手に持ったロングソードを投擲した。ちょうどグーストが馬に跨ったところで、ロングソードは馬の首元に命中し悲鳴をあげた。
……が、馬は倒れない。グーストが触れている手のひらから、馬が破けて、中から同様の馬が飛び出した。グーストが馬から馬を引っ張り出したようにも見える。グーストは、タイミングよく馬を乗り換え、新たに現れた馬に飛び乗った。
その身のこなしは、闇市場で出会った老人と同一人物なのか疑わしいほどだった。破けた馬の抜け殻を残して、グーストは闇夜に消えていった。騒ぎを聞きつけた近くの住人の通報で、駆けつけてきた憲兵隊に一通り事情を説明すると、魔力を消耗したことを懸念し、結局この日はラミッツに一泊することとなった。
安宿で良かったのだが、憲兵隊と共に駆けつけたリンク・リンク氏の計らいで、上等な宿場を用意してもらうことになった。ただ、この後のことを考えれば、壁の薄い安宿じゃなくてよかったと思う。
誓って言うが、俺は故意で行っていない。俺は荷物を整理していただけだ、明日の朝、素早く出発出来る様に、準備をしていただけ。断じて、過去に戻りたいなどと思ってはいない。ただ、やはりピリついていたんだろうな……。
触れてしまったのだ。意図せず魔力を帯びた俺の手が、祈りの書に。
「僕は大人になったら、先生になる! ランツ先生みたいな優しい先生になるんだ」
「ミハイルならきっとなれます、必ずなれます」
「なんで、僕にはお父さんやお母さんがいないのかな?」
「ミハイルのお父さんやお母さんは、大変大きな事故にあってしまったんだ、そして今は原魔結晶石に導かれて、この大陸を見守っているんだよ」
「そっかぁ。僕もそこに行けば会えるかなっ!?」
「そんなこと言ってはいけない、ミハイル、役割を終えていない君が結晶石に導かれることはないんだ。だから、一生懸命生きて、生きて、その後の話だよ」
「ねぇなんで、みんなケンカばっかりするんだろ?」
「それは、私にもまだわからないことだけど、きっと大切な人を守るためだと私は思うよ」
「大切な人のために、誰かを傷つけるの? それってなんだか変だよ」
「そうだね、私もそう思うよ。本当に、変だね。ミハイル、君は本当に優しい子だ。君が笑える世界を作ることが、先生たちの役目だな」
今、俺の目の前に昔の幻想が漂っている。これは、ディーと出会う前の俺だ。世間や、自分を知らない、矮小な俺だ。
俺は、過去になんて戻りたいとは思わない。
あぁ、心の奥にある黒いドロドロしたものに、全てが浸食されていく。
……俺は、―――――。
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