54.雲ひとつない青空の下で(a few years later)
「あっつ……」
雲ひとつない青空。
それは快晴と呼ぶそうだ。
でも、遮るものがないこんな開けた場所では、照りつける太陽が残暑の暑さを容赦なく降り注いできて、とても快いなんて思えなかった。
まあでも、あの時と比べたら全てが輝かしいのかもしれない。
春夏を失ったあの時と……。
「……いつも綺麗にしてあるな、ここは」
きっと、春夏の両親が定期的に訪れては掃除をしているのだろう。
僕は綺麗に磨かれた墓石の前にしゃがみ、萎れかけた花を取り換える。
墓石には、『橘家之墓』と彫られていた。
花を取り換える役目は僕がもらった。
春夏の両親は申し訳ないと断ったが、僕が半ば無理やりに引き受けさせてもらった。
せめてこれぐらいはしたかった。
春夏に対する役目を、何かひとつでも持っておきたかったから。
「よっと……」
線香を供え、両手を合わせる。
墓石の向こうに春夏がいるイメージを浮かべながら独り言を呟く。
よくそういうシーンを見るけど、僕は本当にここに春夏がいたら嫌だなと思う。
こんな吹きさらしの寂しいところに。
どうせなら家族の側とか、あるいは僕の側に……なんて思ったり。
「……春夏。
久しぶり。
最近、あんまり来られなくてごめんね。
仕事が忙しくてなかなか時間を作れなくてさ。
仕事は順調だよ。
今度、また新作の発売が決まったんだ。
あ、そうだ。
そういえば、ちゃんと謝ってなかったね。
春夏のことを小説にしちゃったこと。
出版社の人からしたら事件関係者の執筆ってことで話題性を考えて協力してくれたんだろうけど、やっぱり春夏のことを忘れたくなくて。
いろんな人に春夏のことを知っていてほしくて。
気が付いたらペンを走らせてたんだ。
まあ、いざ出版してみればけっこう話題になって、結局小説家としてやっていくことになるとは思わなかったけどね。
……でも、これからもいろんな本を書くとは思うけど、僕の処女作である『彼女の遺日記』を超える作品はこれからも出ないと思う。
僕と春夏の失いたくない思い出。
それを、僕の代表作にしたいから……」
そこまで呟いたところで、遠くから明るい声と足音が聞こえてきた。
「……ああ。
でも、あの2人のことをもし書いたりしたら、今なら最高傑作だと言っちゃうかもしれないな。
そしたらごめんね、春夏」
「パパ~!」
「桜!」
汗をかきながら一生懸命走ってきた愛娘を出迎える。
脇を持って持ち上げてやると、きゃーと楽しそうに笑った。
「あ、ごめん。
まだ話してた?
秋冬」
「ううん、大丈夫。
手桶とかありがとね、百合」
水の入った手桶を持ってきてくれた百合を労う。
百合はいつも気を遣って、僕と春夏の話す時間を作ってくれる。
そういう細かいところに気を回してくれる百合は最高の妻だと自信を持って言える。
あの時、病院で想いを告げられた時はなんて答えようか迷ったけど、あんなに涙で顔をボロボロにしてまで僕の目が覚めるのを待っていてくれた百合の気持ちに応えたいと思った。
そして、今ではそうして本当に良かったと思える
。
百合がいたから、僕は今まで生きてこれた。
百合がいたから、僕はもう一度立ち上がろうと思えたんだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「春夏秋冬。
春夏と秋冬は2人で1つだったわ。
2人揃って完璧。
そんな感じがしたの。
知ってる?
百合の花って6月~8月に咲くの。
私じゃ春夏の代わりにはならないかもしれないけど、秋冬の中に空いちゃった春と夏の部分を私が少しでも埋めて上げたいって思うんだけど、どうかな?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……ふふっ」
「なに1人で笑ってるのよ、気持ち悪いわよ」
「いや、ごめん。
ちょっと思い出しちゃってさ」
あの時は正直、うまいこと言うな~って感心しちゃってたんだよね。
それと同時に、春夏のことがあった上で、それでも僕を想ってくれたことがすごく嬉しかった。
全部を引っくるめて、それでも一歩前に進もうとしてる百合がすごく眩しく見えたんだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「見て、可愛い女の子よ。
ねえ秋冬。
名前はそれでいいの?」
「うん。
決めてたんだ。
名前は桜。
これで1年中、僕たちは無敵だ!」
「じゃあ、秋冬担当分の半年は任せたわよ」
「なんか僕だけ負担大きいけど、大黒柱として頑張るよ!」
「ふふふ、ばーか」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「そういえば、春夏のご両親のとこの冬秋君、私立の中学に行くからって塾に通い始めたそうよ」
春夏のお墓に手桶から水をかけながら百合が話す。
「そうなんだ。
お父さんの後を継ぐんだから、それぐらい必要なのかもね」
冬秋という名前はもともと男の子が生まれたらつけようとしていた名前らしい。
春夏が生まれてからは、いつか男の子が出来たらと思っていたところに僕(秋冬)が現れたんだ。
春夏のお父さんは何となくつまらなくて、僕のことを初めから嫌っていたらしい。
「にしても、冬秋って、ふふ。
秋冬への当て付けとしか思えないわよね」
「やめてよ。
おばさんはまだしも、おじさんは本当にそう思ってそうで怖いんだから」
まあ、今では、冬から秋に戻るように、春夏のことを忘れないってことのような気もしてるけど。
それに、娘を持った身としては、娘が連れてきた男が気に食わないという気持ちが分からないでもないんだ。
「……それにしても、春夏の日記を送ったのが教授だったのには驚いたわね」
家族3人で改めて春夏のお墓に手を合わせる。
桜には、ここには僕たちの大切な人が眠ってると伝えてある。
よく意味は分かってないだろうけど、それでも一生懸命に手を合わせる娘に愛おしさを感じるなと言う方が無理な話だ。
「……そうだね」
あとから教授に聞いた話だが、春夏は湖に向かう前日、教授に自分が書いた日記を託したそうだ。
自分に何かあったらこれをポストに投函してほしいと、紙袋ごと渡されていたそうだ。
出来ることなら宛先や中身は確認しないで、どこか遠い場所から投函してほしいと言われていて、彼はそれを律儀に守ったらしい。
そうして教授の出張先から出された春夏の日記は、僕の家に届いたんだ。
教授が春夏のためにそこまでするのには何か理由があったみたいだけど、本人が話したくなさそうだったから聞かなかった。
胸に閉まっておきたいことの1つや2つ、誰だってあるだろうから。
「あ、そーそー。
そういや聞いた?
優香んとこ、2人目が出来たんだって」
「あ、兼次さんから聞いた。
上の子は幼稚園だっけ?」
「今年からね。
でも驚きよね。
あの兼次さんが痩せてシュッとしたら、あんなにイケメンになるなんて」
「たしかに。
それに、今は高梨教授の後を継いで、立派な准教授だもんね」
「いやー、優香は先物買いが得意って言ってたのがよく分かったわ」
そんなこと言ってたのか。
女の人って怖いな。
「でもまさか、あのあと教授があっさりと大学を辞めちゃうとは思わなかったね」
「ホントよねー。
それで変な探偵事務所を開いちゃうんだから、頭の良い人の考えは分からないわー」
「変なって。
まあでも、鷹山探偵事務所って高梨教授に全然関係ない名前だもんね」
「あー、なんか高梨って、小鳥遊とも書くでしょ?
それで、小鳥が安心して遊べるような山にするために自分が鷹になって見張るんですとか、よく分からないこと言ってたわ」
「……うん、たしかによく分からないね」
「でしょー!」
百合がケタケタと笑う。
「なにー?
なんのお話ー?」
それを見て、桜も大きな目を輝かせながら笑う。
「なんでもないよー!っと!」
「きゃー!」
僕はそんな桜を肩車して、そのまま歩き出した。
「それよりお腹すいたよ。
ご飯食べに行こ!」
「やったー!
ハンバーグー!」
「またー?
ちゃんと野菜も食べるのよー?」
「えー!
パパだって、この前ピーマン残してたー!」
「ちょっ!
桜!
それは内緒だって!」
「……ふーん。
あなたのご飯はこれからピーマン尽くしにしとくわ」
「やめてー!」
3人の笑い声が雲ひとつない青空に響く。
なんだか、さっきまでいたところからも、クスッと微笑むような声が聞こえた気がした。
「ねーねー。
桜も弟か妹がほしーなー」
「な、なんで急に!?」
突然、何を言い出すんだ。
我が娘は。
「あー、たぶん、優香と話してるのを聞いてたんだと思う」
「あ、そういうことか」
百合が頬をかきながら答えたあと、少し照れくさそうに尋ねてくる。
「ね?
もしもう1人出来たら、なんて名前にする?」
「ん?
んーそうだなー。
四季ってのはどう?」
「あ!それいーかも!」
「いーかもー!」
キャッキャッとはしゃぐ妻と娘。
世界で一番大切な存在。
春夏。
安心して。
僕はいま、とても幸せだ。
でも、春夏のことも忘れない。
春夏は、僕に人を愛することを教えてくれた大切な人だから。
いつか僕がそっちに行った時にたくさんの土産話が出来るように、僕は家族で人生を楽しむよ。
だから、その時はまたたくさん話をしようね。
もちろん、義也も一緒に。
雲ひとつない青空に3人の笑う声が響く。
それを聞いた人は彼らにどんな過去があったかなんて知らない。
きっと、ただただ幸せな家族がいるなと思うことだろう。
彼らの後ろ姿を見送る彼女も、きっとそう思っているはず……。
『秋冬。
良かった。
幸せにね』
(寿々喜節句様作)