ざっくりと思い出話など
認知症になるずっと以前からの寅蔵は、やっぱりどこかとぼけた人だった。
口数はあまり多くはなかったが、冗談が好きで、ちょっぴり皮肉やで、神仏に対する崇敬の感覚は薄かったが、自然に対しては本能的な畏敬の念を抱いているようだった。
農作業や塗装業など、黙々と身体を動かす仕事が好きで、よく働き、何でも手作りしようとした。
廃材をもらってきて山に二間四間四方のプレハブ小屋を建てたり、炭焼き窯を苦心して作ったり、みかんのビニールハウスも、他人の手を借りながらではあったが自分で建ててしまった。
急に思い立って、庭に大きな穴を掘り、大きな深鍋を埋めてパイプを挿しこみ、それをまた埋め戻し、いたずらっぽい笑いをしてヨシコを呼んできたこともあった。
パイプの上部に耳をつけてみ、マボロシの音がするから、と言うのでヨシコが耳をつけると、寅蔵は脇の短い管から水を流しこみ始めた。
じょぼじょぼじょぼ、と情けない音が響き渡る中、どや顔をしている寅蔵に、ヨシコはもしや、これは、スイキンクツ? とおそるおそる訊いてみたこともあった。
どうもそれは本当に、スイキンクツらしかったが、すぐに土砂が入り込んで、それはまさに幻の音となった。
ひとりでどこかに出かけ、夕方、立派な山芋やキノコ、地蜂の巣を持って帰ることもあった。
たまたま石を投げたら当たっちまって……と申し訳なさとうれしさと入り混じった顔でコジュケイを下げて帰り、焚火で羽をむしり取って、焼き鳥にしていたこともあった。
釣りが好きで、元気な頃は、特に6月の鮎解禁を指折り数えて待っていた。
知り合いの魚屋からでっかいマグロの頭を安く買ってきて、庭にかまどを作って鍋をかけ、そこで2日ほどかけてそれを煮たこともあった。
折悪く湿気の多い時期で、家中、魚の生臭い匂いが染みついてしまいヨシコは閉口したものだった。
認知力がやや衰えてきた頃ではあったが、ヨシコが庭をいじっていた時ふと家から出てきて、大きな石を掘り起こすのを手伝ってくれたことがあった。
ありがとう、(おもいがけず)助かったよ、とヨシコが礼を言うと、寅蔵はしみじみと
「あー、こういう仕事が、好きなんだよな~」
そう言って、笑っていた。
力を出して、それがその分見える、地道な仕事がほんとうに好きな人だった。
それからちょっとばかり、日頃にはない面白いことも何かと。
少し体力と認知力が衰えてきた頃、ヨシコ含め家族全員で寅蔵の故郷・福島に訪ねて行ったことが、一度だけある。
車の運転は昔から大好きだったので、できれば道中の運転もしたかったようだが、さすがにヨシコとていしゅとで、ゆっくり景色を見ているように何度も勧めたものだった。
それでも、久々の景色に顔をほころばせていた寅蔵、故郷の山を見渡して、
「♪宝の山ヨ~、ってなぁ」
そっと、ひとふし歌ってみせた。
金儲けには疎かったが、学はなかったが、生涯ぜいたくな暮らしとは縁がなかったが、身の丈に合った暮らしの中でせいいっぱいやりたいことをやりつくし、身体を動かしてたくさんの楽しみを見つけていった寅蔵。
今では天の畑を、にこにこしながら耕していることであろう。
水琴窟なんかも、案外器用に作ったりして。
認知症ながらもその人らしい生き方だったし、ちょっぴりボーナス的な時期もあったし、寅蔵てば、案外よい人生だったのかもしれない。
とヨシコは今更、思えるようになってきたのだった。
(おしまい)
何だかまとまりがなくなってしまいましたが、最後までおつき合いいただきありがとうございました。




