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適当な空き家を見つけたアキラは、そこで丸まって眠り、朝を待った。
半日かけて探し回ったが、適当な武器は準備できなかった。
長い棒の先に出刃包丁を固定した槍が一本だけ。
前回、ヴェスパのアジトに乗り込んだときのような、拳銃も火炎瓶もない。後は、ゴロウ直伝の格闘術。
どれだけ戦えるか分からないが、これで、奴らを一人でも多く減らしてやる。
せめて、腹ごしらえくらいしておきたかったが、食料らしいものは、何もなかった。こちらの世界へ来てからは、何一つ口にしていない。欲を言えば、もう一度牛丼を食べておきたかった。ヴェスパのアジトへと続く、地下鉄の小菅駅へ近づくと、あのどぶ川に突き当たった。向こうの世界では、酷い臭いがするどぶ川だが、こっちは水が澄んでいる。
完全に錆びてしまったフェンスを乗り越えて、靴を履いたまま川の中へ着地する。ぬかるんだ川底で足を滑らせて、尻餅をついた。バシャンと、水が頭の上まで跳ね上がった。
浅い。水は、膝までもない。
その水を、両手ですくって口に運んだ。
冷たい水が、空っぽの胃に沁み渡る。美味い。
川から上がったアキラは、靴をひっくり返して水を抜き、靴下を絞った。フェンスのところに立ててあった槍を担ぎ、歩き始めた。
準備が整った。
余計な時間は無い方がいい。恐怖心が出て来るから。
地下鉄、小菅駅。ユイが死んだ場所。
腐敗した恋人の死体を目の当たりにすることも覚悟していたが、既に誰かが片付けたようだ。ヴェスパが頻繁に行き来する階段だ。当然といえば、当然だった。
ただ、階段の途中に、あのときの血痕だけは残されていた。しゃがんで、その血に触れてみる。もう、二週間以上前の血の跡は、茶色く変色して、コンクリートについた染みのようになっていた。
アキラは、目を閉じて手を合わせた。宗教をやったことはないが、これが死者の安息を願う行為だということは、目上の人たちがするのを見て、知っていた。
これまで、彼女のことを思い出すたび溢れた涙が、今は出なかった。既に、自分がユイと限りなく近いところにいることを、悟っているからだろう。
立ち上がると、ダウンジャケットのポケットから、ヒカリに貰った写真を取り出して眺めた。
ユイにそっくりな、誰かの写真か…。
ふと、アキラの中で思い当ることがあった。
この写真を商人に持たせて、聞き込みさせたのは、タクミの仕業だ。そして、タクミはもともと、向こうの世界の住人。
そうか!そうだったんだ!
よくよく、自分の馬鹿さ加減に呆れる。
この写真は、向こうの世界にいるユイのものだったんだ!
パンデミック前のものだと思っていた背景は、十年以上前の物ではなく、向こうの世界の、最近のものだったんだ。
タクミは、向こうの世界のユイを知っていた。もしかしたら、何らかの深い関係にあったのかもしれない。だから、こっちの世界でユイを捜そうとした。
『記憶なんて、無くたっていい。俺は、それでもユイに会いたいんだ!』
奇しくも、タクミと同じことをしようとしていた自分の台詞を思い出して、アキラは苦笑した。
「結局、君に会うことはできなかったな」。写真を見ながら、ボソリと呟いた。
かつて思い描いた、ユイとの幸せな未来が、頭の中を埋め尽くす。もう二度とやって来ることのない、幸せな時間。
俺のことなど、まったく知らない、最愛の恋人よ。願わくば、こんな世界のことなど知ることなく、幸せな人生を送ってくれますよう…。




