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「ここが?冗談だろ…」
地下へ続く階段を見て、アキラが言った。
地下鉄の駅のようだ。階段の上に名前がある。
『小菅町駅』
「嘘じゃない。ヴェスパのアジトは地下にある。地下街を通って行けるが、決められたルートを通らないと、迷ったり、罠が仕掛けてあったりして危険なんだ。入口は二か所あって、こっちは荷物搬入用だ」
ショウゴが答えた。肩に担いだ角材は、武器として、ここに来る途中調達して来たものだった。他に、包丁を一本、コートの裏に隠し持っている。アキラが背負っているリュックも、今はいっぱいになっている。布を巻きつけた材木が何本も飛び出していた。
ヴェスパとは、この辺り一帯を縄張りにするワスプの名前だ。かつては、もっとたくさんのワスプがいて、縄張り争いをしていたが、今はヴェスパに吸収されるなり、潰されるなりしてしまったということだ。人数は、ショウゴが抜けた時点で100人強。今はもっと増えていると考えるべきだろう。
「地中に巣を作るヴェスパ(スズメバチ)かよ。なるほど、シャレてるぜ」
とはいえ、ほんの一年前まで、ヴェスパはそれほど大きい組織ではなかった。ヴェスパが力を蓄え始めたのは、タクミという男がボスの座についてからだそうだ。
ショウゴによれば、タクミの年齢ははっきりしないが、おそらく、自分たちと同じか、ひょっとしたら下だろうという話だった。女のような外観で、極度の潔癖症。そのくせ、残忍な正確で、人の命など何とも思わない。いや、むしろ殺人を楽しんでいるようにさえ思える。カリスマ性というのだろうか。人心を掌握することにかけては天才的で、どれだけ酷い仕打ちをしても、逆らう者が出たことは無いという。
そう言われても、与えられる情報が全てチグハグで、アキラには、まったくその人物像が掴めなかった。それをショウゴに伝えると、
「そうかもしれないな。何もかもが突出し過ぎていて、他の誰かに例えることができない。この世の中で、正真正銘、一点物の人間なんだ。本当に特別な人間というやつだよ。俺は、奴から離れて、もう何か月も経つが、今も心の何処かを握られているような気がしてならない」
アキラが、ペットボトルに入った廃油をランプに注ぎ、ライターで火をつけた。風に揺れる炎が、消えないように手で覆う。
「あんまり明るくないけどさ」
「ちょうどいい。明るいと、それだけ敵に発見され易い。いいか?この階段を下ったら、そこは奴らのテリトリーだ。一瞬たりとも気を抜けないぞ」
アキラは、まだ昼前だというのに真っ暗な階段の下を見て、ゴクリと唾を飲んだ。
そこには、闇が溜まっていた。
人類は、本能的に闇を怖れる。文明の衰退した世界では、闇は人類にとって脅威である。電灯の発明を、闇を駆逐するためだと言えば、大げさだろうか。
「引き返すなら、今だ」。ショウゴが言った。「はっきり言って、まず成功しない。失敗したら、確実に死ぬ。それに、今さら助けに行ったところで、既に彼女は生きていないかもしれない」
言い難いことをはっきり言うのは、自分のためを思ってのことだと分かった。
「ユイを見捨てて生き延びる俺なんて、俺じゃない。死んだも同然だ。お前こそ、俺に付き合って死ぬことはない。生きてさえいれば、新しい人生の幕が上がるかもしれないじゃないか」
「俺にとっちゃ、ワスプもハイブも放浪者も、みんな同じだった。みんな同じで、みんなクソだった。何処へ行っても、何をやっても上手くいきっこない。新しい人生なんて始まらない。だが、あのサイコ野郎の顔に唾を吐きかけるためなら、頑張ってやろうかという気にもなるってもんだ」
「だったら、何が起きても自己責任だ。礼は言わんぞ」
「お互い様だ」
アキラは、ランプを左手に持ったまま、ズボンから拳銃を抜き出して構え、階段へ足を踏み出した。その後ろに、角材を構えたショウゴが続いた。
懐中電灯でもあれば別だが、廃油のランプでは、周囲数メートル照らすのがやっとで、決して速くは歩けない。規則正しく並んだ柱の間を抜けて少し行くと、券売機があり、その先に自動改札機が現れた。
改札を抜けると、そこにはホームと、闇の川のようになった線路があった。すぐには下りずに、ホームに沿って少し歩く。両開きの鉄扉の前で、ショウゴは立ち止まった。
「ここ、なんだが…」
ガシャンガシャンと音を鳴らして扉を揺するが、開かない。見ると、取っ手に鎖が巻きつけられ、南京錠がぶら下がっている。
「クソッ、前は鍵なんてかけてなかったのに…」
南京錠は、それほど大きな物ではなかった。ショウゴが角材の角を使って数回叩いてやると、壊れて床に転がった。
「ここは?」
「ヴェスパの連中が使っている倉庫だ。調達して来た資源を、一先ずここに保管しておいて、トロッコでアジトに運ぶんだ。アジトの方にも倉庫はあるんだが、そこがいっぱいになったから、ここに置いてある」
蝶番を軋ませて扉を開くと、倉庫一杯に積み上げられた燃料の山が現れた。
「ポリタンクが灯油。一斗缶がガソリンだ」
今の世の中では貴重なはずの燃料。すごい量だ。
これだけあれば、発電機も使い放題じゃないか。使わない分は、取引材料としてファームに売ることもできる。持って帰れば、ハイブのみんなは、今よりずっと楽に暮らせそうだ。
思わず口に出しそうになったが、また『お前はもう、ハイブの人間じゃない』と言われそうなので、飲み込んだ。
次に、ショウゴはランプを持ってホームの下を覗き込んだ。
「思った通り、トロッコもここにある。さぁ、ここにガソリンを、できるだけ積み込もう」




