25
再び一階に下りてきたアキラは、階段の脇に吊るしてあった南京錠の鍵をとり、檻の扉を開いた。
「さぁ。行くぞ、ショウゴ」
「どこへ?」
昨日スーコに殴られた所が青くなり、血が瘡蓋になって張り付いた顔の傷は、いっそう酷くなったように見えたが、一晩寝たおかげで、いくぶん体力が回復したらしい。幸い、深刻な骨折なども、ないようだ。
「逃がしてやる。どの道、ここにはもう、いられないだろう」
ショウゴはフラフラと立ち上がり、中腰になった。檻は天井が低いので、立つことはできない。そのまま檻から出た。
もし、途中で誰かに咎められたら、三発弾の残った拳銃を抜いてでも、ショウゴを連れて行くつもりだ。何故なら、アキラはワスプのアジトの場所を知らない。それに、理屈ではなく、ショウゴを助けたかった。直感で、こいつは悪人ではないと感じていた。元ワスプだ。罪のない人を殺した事も、あるかもしれない。だが、それは、この時代を生きる、手段の違いだ。ヒザキやスーコは悪人ではないが、人を殺した。アキラはまだ、殺したことは無いが、必要があれば、そうするかもしれない。
だから、今からワスプをこの拳銃で撃ち殺したとしても、それが悪者を討伐することになるとは思わない。
俺は、大切な人を取り返すため、やむを得ず、こうした手段をとる。それだけだ。
幸い、外はまだ暗く、地上の見張りは、ハイブの裏側を重点的に警備していたので、抜け出すのはそう難しいことではなかった。
夜明けの町に、うっすらと霜が降りていた。太陽がビルの向こうで顔を出し、廃墟の町を上から順番に照らし始めた。
もう、十分にハイブから離れたというところで、アキラは立ち止まり、お気に入りのオレンジ色の、ところどころ羽毛が飛び出したダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んで、
「ワスプのアジトの場所を教えてくれるだけでいい。…あとは、好きにしろ」。白い息を吐きながら言った。
「一人で乗り込む気か?」
「ああ」
「女一人のために、死ぬ気か?」
「…ああ」
「馬鹿だな」
「……」
「付き合うぜ、馬鹿野郎。どの道、ハイブを追い出されては、この先、生きていけるかどうか分からん。だったら、せめて死ぬ前に借りを返しておいた方がいい。一応、あんたは命の恩人だからな」
「馬鹿はお互い様だ」と言うと、ショウゴは傷だらけの顔を歪め、何本か間の欠けた歯を見せてにかっと笑った。「酷い顔だ」。そう言って、アキラも笑った。
途中、ショウゴは、ショーウィンドウを叩き割って、マネキンからロングのトレンチコートを引き剥がした。女物だが、サイズはちょうと良い。
「見たところ、荷物のようなものはその小さなリュック一つしか見当たらんが、武器はどうするつもりだ?」
「これがある」と、アキラはダウンジャケットを捲って、ズボンにさした拳銃を見せた。あと、リュックの中から、キャンプ用のサバイバルナイフを出してみせた。
「それだけか?」
「ああ。弾も三発しかない。足りない分は、途中でなんとかしよう」
「猟銃の一つくらい、がめて来られなかったのか?」
「銃は貴重なんだ。ハイブに二丁しかない。無くなったら困るだろう?」
ショウゴは、大きく嘆息した。
「そんな甘い考えじゃ、この先、生きていけないぜ?ハイブだ仲間だと言ったところで、お前はもう、部外者じゃないか。今となっては、あのハイブがどうなろうが、知ったことじゃないだろ?」
ゴロウが言った言葉を思い出した。
『お前が守らなければならないのは、ユイちゃんだけじゃないだろう』
俺は、ハイブを捨てるべきではなかったのかもしれない。
だが、もう遅い。ショウゴの言う通り、アキラには、もうハイブのことを心配する必要も、権利も無い。
「もっとも、正面から戦って勝てる人数じゃない。武器だけあったって、どうにもならない。作戦が肝心だ」
もう、ずいぶん歩いて来たような気がする。辺りの景色は、すっかり馴染のないものに変わっていた。
「何処だ?ここは?」
「知らないのか?まだ、ノイサンハイブから5kmと離れていないぞ」
「パンデミック以来、自由に外を出歩けなくなったんだ。今のハイブに移って以来、5kmも離れるのは、これが初めてだ」
今のハイブに移って来たのは、5年前のことだが、前のも、歩いて数分のところにある。今のと大きさはそれほど変わらないが、立地上見晴らしが悪く、窓の数が多いのでバリケードも設置し辛かった。その前は、避難所だった。公園の中にある『憩いの家』というのがそれで、姉に連れられてやって来た。7歳のときだった。今となっては、かつてアキラが住んでいた市営住宅の場所すら分からない。
ふと、そのときのことを思い出した。避難所に着いて、初めて話したのがヒザキだった。あの頃は奴も子供で、青白い顔の、吊り上った目の下には真っ黒なクマがあった。こいつも、パンデミックのせいで、辛い事を数えきれないくらい体験したんだろうなと、思った。ヒザキの後ろには、当時は背の低かったスーコが、ベソをかいていた。
『俺を連れて来て正解だったな。お前一人じゃ何にもできないからな、ガキ』
何とはなしに、ここにいるのがショウゴでなく、ヒザキであったら、こう言うだろうなと考え、おかしくなった。
それを見たショウゴが、怪訝な顔で訊ねた。
「何をニヤニヤしてるんだ?こんなときに」
「いや、お前を連れて来て、良かったと思っているのさ」




