第59話 スースーするのはイヤだから
突然の方向転換ごめんなさい。
遅刻の回数は割かし多くても、俺はそれなりに真面目に生きてきた。
信号だって無視することは無かったし、落ちてる財布はしっかりと交番に届けたりもした。
それなのに神様は俺から奪っていった、俺から、男である俺の身体を。
十数年だ。十数年の付き合いである。幼馴染や妹よりも付き合いは長い。
それを女の身体とすり替えられたのだから、俺の悲しみは計り知れない。
これが皆にかけられた幻術の類であるなら良かった。
しかし、どうやらそうでは無いらしい。指輪の魔王は幻術の痕跡は無いと言っていた。そして彼は笑ったのだ、精神感応を用い。いつかこの指輪は火山に捨ててこようと、固く心に誓うのであった。
市場までの道すがら、涙を流さぬよう空を見上げた。
そこには、どこまでも澄み切っている蒼があった。
何も無い。俺みたいに、何も無かった。
と、感傷などにひたるつもりは毛頭ない。
多少焦りや悲しみが無いと言えば嘘になるが、実はこの身体、そう悪い事ばかりではなさそうなのである。これは俺を哀れむ神様の優しさなのだろうか。
この身体は軽いのだ。とにかく軽快に動く、そんな印象を受ける。男の身体に比べて筋肉量が少ないのだが、その欠点を補って余りある程に軽い。車で言うなら、男がダンプカー、女がスポーツカー。要するに、パワーウエイトレシオが小さいように思えるのだ。
バランス感覚に関しては違いは無いが、こうなってしまってからそう時間が経過しているわけでは無いので、やっぱりまだまだ違和感はあったりする。
まぁ、じきに慣れるだろう。
けど、ひとつ心配がある。妹に関しての事だ。
こんな風になってしまった兄を見て、はたして妹はどう思うのだろうか。“私の知っているおにいちゃんは死んだ、もういない”とでも思ってしまわないだろうか。“キモイ”とでも思ってしまわないだろうか。などなど、悩みは尽きない。
成神たちに関しては、心配はいらなそうではあった。むしろ、少しばかりこの事態を面白がっている節さえ感じ取れる。まぁ、下手に腫れ物に触るように接してくるよりは、万倍マシであるが、俺がオモチャにされる心配が無いではない。
それともうひとつ、非常に重要なことなのだが、この身体になってから服が合わないのか、胸部のデリケートな部分が少々擦れるようで痛みが生じている。
「ああぁ、何だよこれ、胸が痛い、擦れる」
「きっも! きっも! 自分の胸さすってる、きっも!」
「成神お前うるせぇなおい、俺だって触りたくて触ってるわけじゃねぇんだ。痛いんだよ、仕方ないだろう」
「うーん、わからない」
「でしょうね、俺の方が大き――」
その刹那、成神の目から光が消えた気がした。
「きくは……ないですね。すみません」
「うむ。あと俺とか言わない方がいいと思う。“私”にしなさい。それなら男女関係無く使われてるから」
「合点承知!!」
胸の大きさに関しては、今後一切口にしないほうがいいだろう。私の方が大きいなんて、彼女からしたら屈辱であるのは明白である。ホント、気を付けないと。
「でもホント、胸部の敏感な所が擦れて痛い」
「市場で何か適当な服でも探しましょ」
「是非お願いいたします、成神さま」
「あ、お風呂どうするの!?」
何かとても重要な事を思い出したかの様に、塩見は突然大きな声を発した。
そして、続ける。
「だってさ、中身はかずっちだけども、身体は女の子でしょう? なんかそれってちょっとエロいじゃん、こいつ1人にしちゃ危険でしょ」
「あのねぇ、君ら俺……私をなんだと思ってるんだ。変態じゃないんだから」
「いやぁ、かずっちは変態だから」
「まぁそういいたい気持ちも分からんでもないけども、そんな自分の身体で興奮するような……と思ったが、これ俺じゃないもんな。私だもんな」
「そーだよ!」
塩見の言うとおりだ。俺は俺であって、俺じゃない。
しかし風呂に入らないワケには行かないし、トイレだって一日に何回か行かなきゃならない。そんな細かいことを気にしていてもしょうがない。
「そうだ、和人さんは目隠しをしてお風呂に入ればいいのでは」
芦尾だ。
「えぇ、危なくないか、それ。こけそうだけど」
「誰かが付き添うしかないですね」
「何か面倒だが、まぁ、仕方が無いか。目隠ししてりゃ問題ないもんな」
正直に言って今の身体がどうなってしまっているのか興味はあったが、風呂に入らないわけにはいなかいので了承する他なかった。
それにしても、この市場はいつ来てもそれなりに賑わっている。その混雑具合は元いた世界を思い起こさせるようで、少しばかりの懐かしさを覚えた。
憂鬱になる程の人並みも、一度そこから離れると恋しくなるものなのだな。
とりあえず目に付いた服飾関連の店で丈の短いズボン等を購入。
塩見にはスカートを勧められたが、恐らく俺が嫌がるのを見越して選んだのだろう。
断固として拒否だ。スースーするのはイヤだからな。




