今後の方針(2)
「どういうつもりか教えてもらえるかい?」
執務室に腰掛け、パトリックが書類を差し出す前に一冊の本を机に置いて問いかけた。
パトリックは涼しい顔で差し出された本を一瞥し、また視線を戻した。視線の先には、彼の主人。そして、その顔は一見穏やかではあるものの、そこから発せられる空気がいつもより厳しいことを感じていた。
「どういうつもり、とおっしゃりますと?」
「ティアナの教育について、今頃は読み書きのマスターと日常生活における必要な礼儀作法のはずでは?なぜこんな本が与えられているのかな?」
「その必要がある、と判断したからです」
「それはどういうことか、具体的に教えて欲しいね。あんな幼い子供を相手に、この本を明日までに読むように命じる必要がどこにあるんだい?深夜まで読めない本を開いて頭を悩ませているあの子の姿を目のあたりにした時は、痛々しいものを感じたよ」
それを聞いて、パトリックは「さすがに、古文書は無理でしたか」と呟いた。
どうやら、無理ならすぐに諦めて止めてしまうと思っていたらしい。
「あの位の子供は、飽きてしまうのも速いですから」
それを言われて、昔の自分を振り返る。
「………そうだったな」
できない課題を放り投げ、剣の稽古に逃げていたことを思い出す。
ティアナもできないなら止めてしまうと思ったのだろう。できるから、止めずにやってくるのだと。
既に当初予定されていた教育レベルを達成されているにも関わらず、次々と課題を出し続けのはティアナの実力を知りたいというところがあったようだ。これまでも、今は無理かもしれないと思われるレベルの課題を出してきたが、ティアナはその予想をことごとく覆してクリアしてきたそうだ。パトリック自身も、ティアナがどの位できるかを見るのが楽しみになっており、加減を間違えて行き着いた果てが古文書。
パトリックが出す鬼のような課題をクリアしていくティアナは、本当にすごいと思う。
しかし、それ以上に思うこともあるわけで。
深夜、部屋の明かりがついていたことにも驚いたが、部屋に入ってさらに驚いた。いつもなら、既に寝ているはずのティアナが起きていた。
そして、本に向かっていると思えば、突然うずくまるように顔を伏せ、肩をふるわせ始めたのだ。
泣いていると思い、慌てたのだが「よし!」と大声を出して顔を上げたティアナの顔は泣いてはいなかった。ほっとして理由を問うと、何やら慌てた様子だったが、落ち着きを取り戻すと本当に申し訳なさそうに言ったのだ。
『これを明日までに読むよう言われたのですが、読めておりません』
差し出された本を見て驚いた。それは、大人でも難解な創世記に関する古文書。
幼いティアナが読めるはずもない。それなのに、こんな夜遅くまで諦めることなく読もうと努力するティアナ。うなだれた様子がいじらしく、また、愛おしいと思った。守りたい、そう思って抱きしめた。すっぽりと両腕に収まる小さな体。この娘には、この小さな体に色々な重荷がのしかかってくるかもしれない。
守ってあげなければ。
強く、そう思った。
最初は、よくわからなくて、子供だから可愛がればよいと思った。
だから、自分の思い出を辿り、楽しかった思い出を再現してみたのだがその結果………『実は、足が動かないのです』と答えられた時、このままではだめだと痛感した。自分の思い出(経験)をなぞるだけでは、ティアナを危険な目にあわせてしまうかもしれない。
そう思うと、どうしたらいいか余計に分からなくなってしまい、結果としてパトリックやマーラにほとんどを任せてしまうに至ったのだが。
そこでフと気がついた。それをそのまま口にした。
「ところで、お前はあんな小さな子供を相手に教育って、経験したこと、あるか?」
「ありませんね。私の領分ではありませんでしたので」
即答。それはそうだろう。教育係は他にいた。執事の仕事ではない。
「………………春になれば、その辺りも対処する。ティアナに関する教育について、この冬に行うレベルのことは達成できたんだ。読み書きを忘れないようにする最低限のものを除いて、これ以上の課題を出すことは禁止だ。いいな?」
「仰せのままに。」
腰をおったパトリックの口元に微かな笑みが浮かんでいた。ぽそりと「父親らしくなられましたな」と言っていたのは、むず痒かったので聞こえなかったことにする。




