浮き出た悪意・6
放課後は平常通りお兄さま活動をした。かねての約束通り、彼の父の情報集めも手伝った。
その夜。
「佐手さん。僕です、羅紗です。いますか?」
会長の私室の扉をノックして、所在を確かめる。この時間なら普通にいるはずだ。
「…………?」
反応がない。もしかしたら誰かの部屋を訪れたりしているかも。気の多い人だからなあ。
「ご機嫌いかがかな、らしゃお兄さま」
後ろから突然、声を掛けられた。
「佐手さん。どうしてこんなところに」
もう夜も更けてきたのに、青制服を着ていた。好きだなあその格好。【お兄さま】でなくなった後も青制服を変わらず着続ける佐手さんは、生徒会長でも珍しい部類に入る。
「なあに。お花摘みから戻ってきたら、きみが部屋の前にいたからね。……しかし。全く驚かれなくてもつまらないものだね」
僕が全く驚かなかったのは、声を掛けられる直前、佐手さんの気配を全身で敏感に受け取ったからだ。佐手さんの匂いが空気に乗っていれば、それだけで僕の鼻孔の奥が反応してくれる。
僕は思い切り佐手さんの胸へ飛び込む。ふくよかに僕の頬を包み込む……ことは、会長のスレンダーな肉付きでは味わえない。しかし、力強く僕を抱きしめてくれた。
「なにかな、可愛いぼくの妹くん」
「なんかもう、なんかもう、僕ね僕ね!」
「落ち着きたまえ。【弟】に名が挙がる前のらしゃくんと思いきや、地味に今の人格だ。どちらかに揃えなさい」
「佐手さん。悩み相談を受けてください」
「落ち着きすぎだ。もっと狼狽えたまえ」
などと下らなくも楽しいやりとりをしているうちに、僕は流されるように会長の私室へ案内される。ああ連れ込まれてしまった! かつて憧れた【お兄さま】に! ……まあ数日に一回くらいは訪れてるんですけどねー。気分気分。
佐手さんは一人部屋で暮らしている。数年前までは先輩と同室だったが、その先輩が卒業して以来、ずっと気楽な暮らしだ。僕も出来ることなら、佐手と暮らしてみたい!
…………。まあ、『あの娘』は僕がいないと、てんで駄目だから。僕みたいに情けない先輩がいるから、ああやって気を張ることができる。そんな一面があるわけで。僕がそれを発見してしまった責任もある。結局、僕が同室できるのはあの娘しかいないのかな、と思ったりもする。
「もしも寮監が見回りに来たら、ぼくのベッドに潜ってね」
「いっぱい深呼吸しちゃいますよ?」
「……らしゃくんって、そういう冗談を言う娘だったっけ?」
「ぐぇ」
しまった、変なノリをそのまま引き継いできてしまった。いけないいけない。
僕はさっさと、一連のできごとを、報告ついでに打ち明けることにした。
「多少ならこちらでも掴んでいる。最近、設備に不備が出ててね。どうやら、人の手が入っているらしいと。ふうらくんも困ったものだ。……でも、会長として見逃すしかないんだ」
「証拠がないってのは大きいですね。言い逃れがいくらでもできますから」
「いや、それだけではなくて」
「…………?」
「これまでは、彼女たちからすれば、らしゃくん側こそが迷惑だったからだ。我慢させてたんだよ。男性が苦手だったら克服できるかもしれない。でも嫌いだとどうしようもない。食わず嫌いならともかくだがね。そういった娘のフォローをらしゃくんは絶対にできない。シーソーの片側に立ってるわけだ。でも、反対側にふうらくんが立っていることで、まだ少しなら均衡は保ってる。そういう見方もあるんだよ。これは生徒自治会長としての意見だ。勿論、エスカレートするようなら然るべき処置は取らせてもらう」
分からない。僕には分からない。佐手さんの言っていることが。
「それに、ぼくから思うところもあるんだ。……自分で気がつけなければ、まるで意味がない。らしゃくんには、是非とも自らの力でそこまで辿り着いてほしい。一人でその領域に行ける強い子だと、ぼくはきみを評価している」
ふう。諫早は母親の思惑に気がつかない。僕はあの人の思惑に気がつかない。
神様は、報復というものをきっちりと用意なさる。この場合の神様とは。……その神様としては、僕は子供なのだろう。そりゃそうだ。いつだって僕は駄々を捏ねている。それが見ていられないのだろう。目の前の女性を見てそう思った。
「これが、僕が動けない、動かない理由だ。納得してくれとは言わないよ」
「ちなみに佐手さん個人にも聞いておきたいです。佐手さんは諫早に賛成? 反対?」
「……らしゃくんには嘘をつけない。歯に衣をつけないが、勘弁してくれ。……反対派だね。ああ、誤解はされたくないけれど、だからといってふうらくんに同意するわけではないよ。彼女の行為は誉められたものではない。免責されても異論は挟ませない」
意見は十人十色であるべきだし、佐手さんと僕が常に相入れるわけではないとは、いつだって心に刻みつけている。
佐手さんは立ち上がって、僕の方まで歩いてくる。背後に立った。
「そのままで」
凛とした声に硬直した僕を、後ろからそっと抱きしめてきた。僕は座っているから、佐手さんがしな垂れた形だ。僕よりもほっそりとしている腕は、そのまま「女の細腕」と云うしかない。その細さで、驚くほど強い圧迫感。嫌じゃない。僕の背中に、佐手さんのトクントクンという心音が共鳴する。
「佐手さん?」
生徒自治会長とお兄さまの組み合わせは、全校生徒の妄想に使われる題材だ。文学倶楽部の歴代発表小説を読むと、一代に一作は必ずそんな作品がある。もしこの光景が外に漏れでもしたら、学校中が大騒ぎになること間違いなし。
「少しこうさせてくれないか? ぼくは幼等部から、お兄さまとなった方と二人っきりになれたときは、甘えさせてもらってるんだ。こうできるのも今年が最後。締めはらしゃくんなんだ。この身体に、【お兄さま】の感触を刻み込んでおきたい」
「それは、たまたま僕だからですか?」
「どちらがいい?」
ニヤリ、と女性的な妖艶な笑み。思わずドキリとさせられる。同時に、心がかき乱される。卑怯だ。男の格好でそんな表情をするなんて。
「ぼくは会長という手前、大っぴらにきみを助けることはできない。でも、背後は任せてほしい。きみにはぼくがいる。ぼくだってね、きみのファンなんだから」
なんたる口説き文句。僕の胸は嫌が応にも高鳴ってしまう。
「本当は誰よりも不器用なのに、そうやって誰にでもいい顔をしているだけの人に、どうして僕は振り回されているんでしょうか……」
「らしゃくんほどの人物を誘惑できているなんて、光栄の至りだよ」
佐手に比肩できるように、僕なりの【お兄さま】を目指す。
前を歩む大きな背中を追い越すには……誰一人として、被害を及ぼさせないことが最重要課題、か。




